ラス回避麻雀でトップ取りを狙ってはいけない理由

絶対にトップを狙うなというわけではないですが、「トップ取り」と「ラス回避」ではラス回避麻雀のほうが選べる選択肢が多いです。

 

トップ取りというのはダントツで守る側でもない限りは基本的に「高打点で点数を稼ぎに行く」という追う側の立場になります。

そうなるとリーチをしたり副露をしたり、相手の聴牌に対して押すようにしたりと、攻撃的な選択が多くなります。

つまり「ゼンツになる」ということを意味します。

 

それに引き換え「二着でもいい」「三着でもいい」「他家に任せてもいい」「オリてもいい」「自分が軽くアガってもいい」とラス回避は選択肢が無数にあります。

シチュエーションもそれだけ増えるでしょう。

対してトップ取りは基本的に他家のアガりは自分の和了チャンスを失うことになるので阻むようになります。軽い手でアガれないことも増える。

トップ取りは逆に選択肢が狭まります。

 

典型的なのがアガりの最終形。

「高い手にしないといけない」ので三色確定のカンチャン待ちにしたり、ツモ三暗刻を残してシャボ待ちにしたり、ドラ単騎にしたり・・・。

いずれもリャンメンや三面張など、広くアガりやすい形に受けられるチャンスがあったにも関わらず、それらを放棄してアガりの出にくい高めのほうを選択して、結果アガれれずに振り込みに回ったり・・・。

 

ラス回避が重点のネット麻雀ではこういった行為はタブーとされている。

まぁ、もちろん麻雀の打ち方は自由なので気にすることはないのだが、ラス回避でランクポイントを稼ぎたいのであれば避けるべき行為だということ。

ラス回避麻雀は究極的に言ってしまえば、どれだけ下振れて3着を引いて1着が取れないとしても、4着さえ引かなければポイントがマイナスすることは殆どない。3着の微マイナスは2着のプラスで簡単に打ち消せる。

(雀魂の場合は素点もあるのでこの限りではないが、4着を避けていればポイントを盛れるのは間違いない)

 

加えてラス回避麻雀で一番避けるべきは「放銃」になる。放銃したプレイヤーがラスになると言っても過言ではない。

もちろん平場で高打点の手が入ったのなら勝負すべきだ。その結果、放銃になって4着を引くことになったとしても、麻雀とはそれをやらなければトータルでの勝ちも無くなる。

しかし無意味な放銃は厳禁である。上に挙げたような「トップを狙うために無理に高めを狙って放銃」などは、その最もたる例だ。

 

とはいえ、こういった打牌に覚えがあるのが初中級者であり、エンジョイ勢でもある。

言ってしまえば、放銃を避け、無用な高打点を避け、リーチをせず、聴牌してもオリて・・・。

そういう我慢の麻雀をしても「段位ポイントを盛るのが目的だから関係ない」という鋼の意志を持たなければ続けないだろう。

だからこそ、そこそこのエンジョイ麻雀に興じる層が大半を占めるようになるのだが・・・。

 

半荘単位でのトップ取りが目的ではなく、トータルでの成績で上昇を目指すと見れば、トップを取るかどうかに半荘単位で固執する必要はない。

ただ聖以上になると1~2着も狙う打ち方を心がけないと4着のマイナスを打ち消せずに目減りしていくだけになるのだが。

 

 

そんなの来るわけないやろの話

追い詰められたときには見た目で残り一枚の牌でも希望にすがるしかないものですが、そうでないときは確率に従って枚数で選ぶのも正解。

このあたりも押し引きの一種で、自分の手が安いのに聴牌に真っすぐ向かうか、それとも高めになる三色などの手役や、ドラ赤のくっ付きを残したり。

それとも諦めて安全牌を確保しておくか。

 

ただ手なりで打つ以上にこういった打ち回しも必要になってくる上級卓。

渡辺太プロなどは「手がどうにもならないときは最高めだけ逃さないように打つ」とも語る。

例えば配牌がバラバラのときに三色や一通といった材料がパラパラと見えるのなら、そこを目指して打ちつつ、無理ならばオリ、という選択だ。

 

こういったときに大雑把な打ち手だと「もうオリだから最初から安牌確保でいいや」となることもしばしば・・・。それもそれで正解ではある。

中途半端に打って痛い目を見るくらいなら、しっかりとオリきったほうが正解ともいえる。

実際に太プロのような打ち方はオリに自信がある人間がやる打ち回しだ。読み切れずにオリ打ちしてしまうレベルなら、字牌などの安牌確保をしたほうがいいだろう。

 

ただ、この「高めだけは逃さずに打つ」というのは重要だと思っている。

ここの押し引きが難しいのも事実だが、「いや、こんな牌引くか~~」という良形変化は麻雀あるあるだ。

「こんな牌来るわけないだろ」「そんな都合のいいことあるわけないだろう」と自分で勝手に見限ってしまってチャンスを逃す。

 

鳴きにおいても同じことが言える。「ダブドラの赤5を上家が切るわけがない」とネトマで鳴きOFFにしていたら、不意に上家が赤5を切ってきて「だったらチーするわ!」となったり。

「あり得ないなんてことはあり得ない」のが麻雀なのだ。

「もしかしたら」「かもしれない」、車の教習所で習うような心構えが常に必要なのだ。注意力が求められるゲームである。

 

だからこそ愚形リーチなども「こんなのアガれるわけがない」よりも、「来るか来ないかなんて判らねーんだからリーチ!」が正解となりえるのだ。

もちろん序盤に述べたように、読みから「この待ちは無い可能性が高い」と場況読みを入れらるのであれば打たないリーチも十分にあり得る。

こうなってくると読みのレベルが求められてくるのである。それが押し引きに重要になってくる段階が来る。

 

相手の最終手出しで危険牌の優先度が変化したり、微妙な差、ギリギリを抜ける選択が求められるようになる。

ただ、この「ギリギリを攻める」というのも格好良いように思えて、実際のところ「大雑把にベタオリしていたほうが得」というのもある話だ。

そこの差が読みでついてくるので、まぁこのへんは形の無い戦術なので。押し引きと同じくというかセットというか。初中級者には求められないところでもある。

 

 

格ゲーのモダンの話

格闘ゲームには最近「ボタンひとつで必殺技が出る」というモードがあるんですが、この機能自体はたぶん2000年代の頃から家庭用ゲームにはありました。

ただそれでネット対戦までできるようになったので話題になってきているというか。例えばKOF15だと〇ボタンをポンポンと3回ほど押すだけで連続技になってフィニッシュの必殺技まで出すことができます。コンボをボタンだけで出せるようになっています。

 

これによって何が起きるかというと、対戦を行うにあたって難しいコマンド入力の練習などをしなくてもいいのです。ゲームをダウンロードしてすぐに対戦できるようになる。

しかも全キャラ共通なので、どのキャラを使ってもある程度は戦える。

やり込みや練習が不要となったのです。

 

格闘ゲームの優劣は「難しい局面で複雑なコマンドを正確に入力できるか?」という技術的な側面がありました。そこに駆け引き、押し引きの要素が加わって勝負になる。

大ダメージを狙って難しいコンボを狙うも、コマンドをミスして相手に逆転されてしまう。そういったドラマもありました。

あるいは見事に成功させて拍手喝采。レッツゴージャスティン!とかね。

 

モダンの登場でこういった場面が減少(無くなることはない、後述)したという指摘もある。それは確かにそうだが、それはある一定層以上での会話だというのもその通りで。

そもそもコマンド入力がわからない観客からしてみれば「今の何がすごいの?」としかならない。「なんか逆転して勝ったね、すごいね」くらいの反応にしかならない。

コマンド入力の難しさを知っている者だけが「あの場面で、あんな難しいコンボを正確に決めるなんて・・・なんて凄いプレイヤーなんだ」と感嘆することになる。

 

だが、それはトップ層の数%のプレイヤーに限っての話で、多くのカジュアルなプレイヤーからしてみれば「何がすごいの?」止まりなのだ。

だからこそ、そういった多くのカジュアルプレイヤーに向けて入力が簡略化されたモダンモードが登場する。

言ってしまえばゲーム側のサポート機能によって、誰でもある程度以上は対戦できるようになっていくという仕組みなのだ。

 

コンボの練習 → 駆け引き → 勝敗

という過程を踏まえる必要があった環境から、

(コマンド入力の簡略化) 駆け引き → 勝敗

という段階へとスキップすることが可能になった。

 

ただし、今のところ環境の条件として「モダンモードは独自のコマンド入力にダメージ量で劣る」という部分がある。

しかし麻雀でもメインを「押し引き」と捉える人が多いように、技術力で勝敗が決まるわけではない。状況判断などで差がつくことのほうが勝敗には関わりやすい。

上位層だけが「そのちょっとが勝敗に関わるから手を抜けない」という領域に突入するのだ。

 

・麻雀におけるサポート機能

現在でも麻雀アプリでは「手積みしなくてよい」「自動理牌」「点数計算」などは当たり前になっている。

さらに「リーチ宣言の表示(聴牌が判る)」「フリテンの表示(チョンボできない)」「鳴き牌の表示」「同一牌の点滅表示」「ドラの点滅表示」などなど。

 

アプリによっては河の牌を手出しツモ切りまでわかるようにしていることもある。

これらは格闘ゲームのモダンなどよりも、かなり先立って実装されていた機能である。

しかし、それによって麻雀の対戦の質が低下したということはない。むしろ新しい才能が生まれている。

 

ないおとんであるとか、天鳳位の中にも「特上卓に入るまで字牌ピンフが付く理由がわからなかった」というプレイヤーもいた。

それでもゲームは成立するし、ある程度までの上位には食い込めるのだ。

もちろん、そこから先はひとつ壁があるといっても差し付かえない。

 

雀魂の王座の間などは顕著で、上記のサポート機能がいくつか失われる。

だが天鳳FF14のドマ式麻雀などを打ちなれた者であれば、ドラが光らないとか、待ち牌が表示されないといったことは普通のことだ。リアル卓の手積みなら猶更。

そういった環境で慣らしてけば雀魂でも少し強くなれることは間違いない。

 

主にドラや河を自分でよく記憶するようになるため、見逃しやポカが減る。

雀魂だと「光る前に切っちゃったのでドラだと気付かなかった」なんてことがあるが、それはシステムに頼り切ってしまったがゆえのミスだ。

「リーチ宣言の表示が出たので聴牌したが、待ち牌が河に全部出ていた」など。

 

それらはサポート機能が無いほど自分で把握しようと努めるためミスは減る。

しかし打つのが難しくなるし、負担が増えるのも確かだ。

私も気が付くと残り枚数を表示する機能にはかなり頼ってしまっているため、河の把握がイマイチなことは多い。

 

ただ一般層にはこのくらいのほうが馴染みやすいのは確かだ。

点数計算ができなくても、手出しツモ切りが見れなくても、とりあえずゲームに参加して楽しむことができる。初手でその段階にしてもらえることが大きい。

あとは数をこなせば慣れて覚える部分も増えるだろう。

そしてさらに上を目指すのであれば勉強が必要で、サポート機能に頼っていても仕方がないことが解る。

 

こういった機能があると「ゲームの質が低下する」という人もいるが、現代でそれは否定的だろう。

まず高度な上位数%になるためには多くのカジュアル層が必要なのだ。その中からさらに上を目指すものが出てくるし、そこからはサポート機能に頼りっぱなしでは勝てないと切り替える者もでるだろうし、押し引きだけで上位に食い込んでくるプレイヤーも出てくるかもしれない。

 

友人がKOF15のネット対戦である相手を「たぶん全部簡略化のコマンドしか使ってないんだけど、格闘ゲームのセオリーというか、駆け引きが解っている人ですごい強かった」と語っていた。

細部の難しいことをやっていなくても、大枠さえ合っていれば上手く型にはまるという典型である。逆にどうでもいい細部にこだわって勝率を落とすプレイヤーのほうが多いだろう。

言ってしまえばサポート機能で簡略化されるような部分は、勝負ごとにおいて「ぶっちゃけどうでもいいくらいの要素」で、本来はそれよりも重要なことがあるのだ。

 

麻雀でいえばそれは押し引きになるだろう。

そしてその押し引きをより正確に、高度に行うためには点数計算が必要であったり、手牌や河の把握を自分で即座にできるといった細部が求められるようになってくる。

特にネット麻雀の場合は時間制限があるため、そこを反射的に判断する速さが求められる部分もある。それもひとつアドバンテージになるのだ。

 

ひとつの情報処理が早ければ、他のことに脳を使える。(カジュアル層の場合はこれにサポート機能が役立っているともいえる)

 

 

打牌批判の話をするなよの延長上の話

お前この話、何回こするねん。ってタイトルなんですが。ふと見た格闘ゲーマーの切り抜きが知見に溢れていたので紹介しようかと。

youtu.be

「ムカツクもの(ゲーム)には中毒性がある」

これはわかるw

基本やっぱり思い通りにいくものって一過性の楽しみはあるけど、中毒性とまではいかない。まぁ、そこは使い分けでね。思い通りに行かないゲームで「クソがよ!」ってなったら、確実性の高い娯楽でストレス緩和してっていう・・・。

 

「もう一般に流行るの無理やろって思ってた」

格ゲーも90年代に爆発的に流行ったんですが、まぁ色々あって衰退していった面があります。特に00年代あたりは「家庭ゲーム機でアーケードと同等の質で遊べるようになった」「でもネット対戦は一般的じゃなかった」という剥離した環境から、ゲームをやりたいだけの人は家で遊ぶし、対戦したい人はゲーセンに行っていたという人口の分離が起きてしまった面があります。

現代でよく言う「課金ゲーでも課金しない人口層も大事」というやつで、ゲーセンにあれだけ溢れていた人が減ると「ブーム終わったな」ってなっちゃうんですよ。で、次第に全体的に熱が冷めていく。

色々なものに再ブームというのはありますが、どこで火が付くかは判らないものです。麻雀も皮肉にもコロナ禍で流行るという現象がありました。外に出ることができずに室内娯楽としてネット麻雀の雀魂などのプレイヤー数が増加。

そして巷ではMリーグが開催されていて観戦者や人口の増加に拍車がかかった。

 

VALORANT(ヴァロラント:FPSのサーチ&デストロイに特化したゲーム)の大会に観戦に行ったら、スキルぶっぱで連続3キルくらいして”いや、どう見てもタイミングの運が良かったな”って思ったら、後ろの女の子たちが”きゃ~!すご~い!うま~い!”って言っててw ”いや、上手いは違うw”って思ったけど! 」

「何が言いたいかというと、内容わからないのに観戦に来てるくらい流行ってる凄くない?」

「でね、そういうこと言ってるところに水差したらアカンw そこは我慢やでw」

このあたりが打牌批判とか麻雀詳しいおじさん達に刺さってほしいところかなとw

おもんないんすよw そんなとこでマジレスされてもw

まぁ、とはいえね。自分もツッコミたいほうですよw

だからね、それは自分用のコミュニティを持てよ、って話で。これは前回も記事にした通り。

 

「”初心者は喋るなってこと?(コメント)”」

「いや喋っていいよw ホント好きに喋っていい。だってそっちのがアドバンテージあるもん」

「ヴァロの大会の観戦の空気って自由だったんですよ。で、それがないとやっぱり窮屈になっちゃうんですよね」

「だってそうじゃないと内容知ってるとか詳しい人じゃないと発言しちゃダメ、みたいな空気になっちゃうじゃないですか」

これはマジで衰退の理由の一環ではあると思う。

新規勢が取っつきにくいというかね。

昔は自分もゲーセンに入り浸っていた勢ではあるんですが。全然ゲーセン知らない新規の子を連れて行ったことがあったんですよ。紹介も兼ねて。そうしたらその子の感想が「仲間内の空気感が出来過ぎていて(店に)入りづらい」と。

もう常連が多いゲーセンだと顔見知りばっかりなんですよね。店員さんも含めて。

そうなると知らずのうちに一見さんお断りみたいな雰囲気を醸し出してたのかなと。そしたら新規は伸びないよね。

 

天開司が「流行らせよう」ってコンセプトで「打牌批判禁止」にしたのだったら正解だと思う。まぁ、そっちに傾き過ぎても「自由」ではないんだけど。

 

「”ヤジも盛り上がり?”(コメント)」

「それはあるけど、やっぱり基本、選手を貶めるようなことは言っちゃいけない」

「(観戦者に見当違いな発言があったとして)まぁ知り合いだったらなんか言うけど、見ず知らずの人にそこまでは言わない」

 

パーティーゲームと競技の狭間で

格闘ゲームもeスポーツとして盛り上がる反面、競技か単なる娯楽かで判断が難しいところもある。

厳格すぎればプレイヤー数の裾野は広がらないし、ひいては観戦者やファンの数も増えない。

かといってカジュアルすぎればプロ化することが必要なレベルなのか疑問視されてしまう。

 

麻雀はパーティーゲーム - iohkita’s diary

麻雀を実力ゲーだと思っている人が陥る罠 - iohkita’s diary

 

今回の内容も踏まえてね、このあたりの記事も載せておきます。

 

麻雀に選択肢が無い話の選択肢の違いの話

ややこしいタイトルですが。

A:「麻雀は選択肢が少ないゲームだ」と言うこともあれば、

B:「麻雀は選択に気づけるかのゲームだ」と言うこともある当ブログ。

 

ここで言っている「選択肢」はそれぞれ別のことなのだということをABそれぞれ解説しておこうかなと。

 

A:未来の選択肢はない

どのゲームでも「開拓者」っているんですよね。「今まで誰もやってないけど、こんなことできるんじゃないか?」とか、「こういうプレイスタイルの人って見ないけど実は有効なんじゃない?」とか試したがる人。

こういう人は新規性に着目することを楽しんでいたりして、逆に「人と同じことをやるのはつまらない」とか「すでにできてる攻略をなぞるだけじゃ面白くない」という感覚を持っていることが多いです。

ゲームのプレイスタイルとしては理解できますね。

 

でも日本式のリーチ麻雀にはもうそんなに大きく戦略が変わるほどの要素って残ってないんですね。

「リーチに対して3枚までは無筋を切っても大丈夫」なんてこともないし、「リャンシャンテンでも親の2副露に危険牌を切っても勝てる」というのもあまりないでしょう。

でも新規開拓をしたがる人達というのは、ここに突撃します。

 

すでに統計で「そんなことやっても無駄が多いだけ」と知れている戦略でも「あえて」逆らって体感することで学んだりします。これはもうそういうタイプの習性なので仕方がないです。

それでボコボコにやられた後に「やっぱ駄目だな!」と素直に定石に従えるようになれる人は強いです。

あとは万に一つもやはりそういったチャレンジで歴史が変わるような発見があることも事実です。発展途上のRTAなんかではそういった発見の面白みがありますね。

 

ただRTAにしても煮詰まるとやっぱりそういうのはなかなか出てこないです。

10年くらい環境が変わらずにいることもありますし、逆に定石に従って黙々と走っている人がたまたま偶然に新しい要素を発見することもあります。

やはり煮詰まったゲームの新規性っていうのは超レアなんですね。それを昨日今日始めた新人が「オレ何かやっちゃいました?」みたいな発見の仕方をすることはまずないと言えるでしょう。(10年以上やってる人でも見つけられないものをそんな簡単に…ね)

 

この観点で現代麻雀の研究している人がやっていることというのは、もう超微差の話で。定石を習っている新人が気にするレベルではないです。

だから麻雀講座の人達も「そんな細かいことよりも、中級のセオリーを守ったほうがトータルの勝率は上昇する」と指摘するわけです。

 

B:ゲーム中の選択肢は無数にある

まぁ、無数にあるって言っても結局選択肢の大半はオリ、防御側の牌選択にしかならないんですが・・・。

こっちの選択肢はAと違ってメチャクチャあります。これこそが麻雀の醍醐味ともいえるでしょう。

何を切るか、押すか引くか、手役を狙うのか、ドラの受け入れを見るのか...etc。麻雀は本来これらの選択を楽しむものだと思います。

 

Aを楽しみたい、というのは将棋や囲碁もそうですが「まずは既存の定石を全部踏まえたうえで言ってくれ」というものです。

それも抑えていないのに「オレが新しい歴史つくっちゃうよ?」なんてのはただのバカです。

無理とは言いませんし、その挑戦心はいいですが、それが1~2日のポッと出ただけの人間には無理だということは言うまでもありません。

 

いわゆる現代のビデオゲームであれば、そういった新規性というのは見出しやすいです。ゲームそのものの歴史がまだ浅いぶん、開拓されている要素も少ないということですね。

でも麻雀はもう歴史が長いです。アプデでその日のうちに環境が変わるわけでもありません。

現代麻雀の礎になっている統計も「せや、正確に統計取ったらええんちゃうか?」と思いついて、翌日に「できたで~」となったわけではありません。

その思い付きが生まれてから実行し、データを積み重ねて、解析して・・・。と膨大な手間の末にようやくひとつの結論が生まれているわけです。

 

・・・なんかBの項目なのに、またAの話してるな・・・。

 

まぁ、このへんBにもAが関係してくるのですが、ゲーム中の選択肢というのはAによって新たな部分が切り開かれて日々変化しているわけです。これは将棋や囲碁やチェスでも同じでしょう。

AIなど人間の脳よりも計算速度の速いCPUを用いることで微差を詰めてわずかな有利を見出していきます。

もはやそれを「人間が信じられるかどうか」という領域になっています。

 

麻雀ではそれが顕著です。統計でこっちが有利!と言われても、見た目は別のほうが有利じゃない?と逆らいたくなってしまうものです。

麻雀だから、というわけではなく将棋でもAIの一手を疑問に思って従えないプロは多くいます。特に過渡期だからそういった現象があるのでしょう。

新人の藤井竜王名人なんかはそういった面でAI検討に対して素直なのかもしれません。

 

うー~ん、将棋と麻雀でAI検討を比較するなら、麻雀はAIに従ったとしても結果が運次第なので「やっぱダメじゃん!AIの嘘つき!」「トータルでも微マイナスにしかならなかった!」ということがあり得るのが難しいところです。

だからこそ余計に「AIに従っても勝てない」「人読みにこだわったほうが勝てる」といった方向に行く人が出てきてもおかしくはないでしょう。

人間側が何らかの根拠があってAIを疑うのはよいですがね。

 

 

抽選率の低いゲーム

麻雀というゲームは常に1対3の戦いと言っても過言ではない。ゆえに自分が活躍できる可能性は常に25%、さらに流局といった無効な局を含めるとゲームへの参加率自体が20%程度にまで落ちる。

これまでも何度か記事にしている内容だが、麻雀というゲームはプレイへの関与自体が稀なゲームといえる。

大体は別の誰かが場を支配して、自分はベタオリするだけ。勝負にすらならない局面がほとんどだ。

 

他のゲームは参加自体は常にできているのである。ある意味で常にゲームに関わることで責任が生じるともいえる。

FPSのチーム戦で自分が手を抜けば自分のチームの勝利は遠のくし、格闘ゲームで手を抜けば相手に勝ちを譲るだけになる。

そういった価値観で麻雀というゲームに関わると何ともクソゲーだとする意見はよく解る。

 

ウメハラはこれを「100戦やっても実力が示せないゲーム」と表した。それもあるが、そもそも「ゲームに参加できるか否か」の段階で毎回ランダムなのだ。

だから「実力が関わってこない大半の局」が消化されるだけの展開になる。

ゲームに関わっていれば勝敗はともかく(これも問題点として後述)、内容において実力を示す機会は多く与えられるはずなのだ。

だが麻雀にはそれすらもないことが多い。

 

麻雀は結果よりも内容で評価すべき遊戯だが、それにしても座っているだけでツモられ続けてマイナスの箱下ラスだったとして、それが何か評価点になるのかという。

この時点で実力とは無関係な部分が発生しているのだ。

さらに結果(勝敗)でも実力をハッキリとは証明できない。

 

麻雀が競技として成り立つのは到底無理だろうと想像がつく。

無論、現状においてもエンタメとして成り立っている面はある。だが「競技」と名をつけるのは難しいと何度も思ってしまう。

 

麻雀をつまらないゲームだと感じる面はどの部分だろうか。すべてがつまらないとは言わずとも、やはり呆れてしまうプレイヤーが多いのも事実だ。

そこはやはりウメハラが指摘する部分にあると思う。100戦や200戦やったところで結果は出ないし、その中の大部分が「ゲームに参加していない」というストレスがある。

麻雀を楽しみたいのに参加すらさせてもらえないのが大半のゲーム内容なのだ。

 

もちろんアガるばかりが麻雀ではないからオリたり回したりも芸のうちだが、上級卓になるほど周りが先制を取って後手に回った側はオリるだけの展開になりがちである。

中級以下だと手順に無駄があったりして自分がアガりに向かうチャンスも増えるが、上級卓になるほど、そのチャンスは減っていく。

どんどんゲームに参加できずに堪えるだけの内容になっていくのだ。

 

「10局に一回程度の参加率」だとしたらゲームとして楽しめるプレイヤーの数は大幅に減るだろう。

だが実際に上級卓にいくとそんなモンである。

オリてオリて、チャンス手はかわし手で蹴られて即終了。そんな展開を延々と繰り返して、ようやく稀に誰にも邪魔されず、あるいは邪魔されても押し切ってアガりを取れる。

そんな展開はランク帯が上がるにつれて数少なくなっていく一方なのだ。

 

「そんなに文句があるなら麻雀をやるな」「じゃあずっとゼンツ麻雀だけやっていろ」というのも正しい指摘で、そしてそれに逆らったり抗う必要もない。

ハッキリ言って、この参加率の低い受動的で運任せなゲームに付き合っていられないのなら、麻雀をやめるか、自分が楽しめる打ち方にすればいいだけなのだ。

「20局連続でオリているだけのゲームなんてやってられないよ!」という人はもう最終的に麻雀の上級卓に向いていないといえる。やめたほうがいい。

 

それに耐えられる人間だけが打ち続けられるゲームなのだ。

「なんでそんなゲームやってんの?」と疑問に思う人もいるだろう。俺もなんでこんなクソゲーをずっとやってしまうのか。

やっちゃうんだよ・・・。

(なんの説得力もねーじゃねーか)

 

成功体験の話

前回の山読みの話。よく実況解説でも「七対子が好きか嫌いか」というのが話題にあがります。つい先日のMリーグでも話題になっていましたが、これとセットで語られるのが「山読み」の話。

七対子が得意な土田プロなどは暗刻手も得意としていて、四暗刻狙いの何切る(場況からの山読み)も見事的中させるなどしています。

七対子が得意だとするプロは山読みに自信のある人が多いようです。

 

私も七対子に苦手意識はないですし、山読みも不得手という認識はありません。

相手の河や打牌を見て「ここの周りは無さそうだな…」と山に残っていそうな牌を選択していきます。もちろん七対子の場合は防御も兼ねて安全牌を優先して残すこともありますし、打点を見て赤やドラを残したりもします。

七対子を好きじゃないという人は読み以前に、そもそも手役として狙うのが狭すぎて好きじゃないということもあります。

 

自分は意地の悪い面もありますので単騎待ちの「そんな牌で当たるのかよ…」という罠を張るのも嫌いではありません。ゆえに七対子もハマり役ではあります。

加えてオーラスで跳満が必要とあらば向かいがちなリーヅモウラウラの七対子狙い。何だかんだ出番は多いのが実情です。

これを苦手だからと避けているわけにもいかないでしょう。

 

しかし、実際には好き嫌いが分かれるわけです。

これには成功体験あるいは逆に失敗体験が大きく起因します。

AさんBさんCさんの三人が麻雀を習い始めて、全員が七対子をやったとします。AさんCさんは成功し、Bさんは全然アガれなかったとします。

 

するとBさんは「七対子なんて狙ってもしょうがないよ」「全然アガれない手役」と言うでしょう。そして七対子に対して消極的になります。

単騎待ちなんかにするよりも広いリャンメンに受けたほうがいいだろうと良形聴牌に傾倒していきます。

逆に成功したAさんCさんは「七対子の単騎待ちは面白いぞ」と積極的に狙うようになるかもしれません。そして「より揃えやすいように山読み・手牌読みを意識しよう!」とモチベーションも高まります。

 

山読みをした結果、Aさんは読みが的中して、Cさんは読みが当たらない展開だったとします。

Aさんは山読みと七対子は有効だとして、Cさんは「しょーもな」となるかもしれません。

誰が正解かはありません。それが麻雀です。長く打ち続ければAさんもやがて失敗が積み重なって「昔は七対子よくアガれたのになぁ…」なんて時期が来るかもしれません。

 

Aさんは七対子を多くアガって順子手を逃しやすい、Bさんは七対子を逃して順子をアガりやすい。

これは麻雀を長く続けるうえで、どちらかは引かざるを得ないものです。両方の美味しいところだけを頂くというわけにはいきません。それを時々で選べるのであれば神です。

 

他のゲームにしても人間というものは観察してみると面白いものです。

どんなに有効な手段であっても自分が失敗すると駄目なものとみなします。

よく配信なんかでもコメントで「この方法が良いですよ!」なんてアドバイスが飛んで、ゲーム実況者が「へ~、そうなんだ」とやってはみるものの上手くいかなった。

そうなると「私はやっぱりいいや~」と効率が悪くとも他の手段を取ることを選びます。(その効率が微差だったりプレイ環境に左右される範囲であれば問題ないことも…)

 

なんだったらゲーム側で用意した正規ルートさえ拒むプレイヤーもいます。

ダークソウルのようなバトルアクションで特定の用意された武器でのみダメージが通る戦闘でも、「なんだよこの武器!使えねえじゃん!よっわ!!」となると、二度とその武器を使いません。

メチャクチャ効率が悪くても通常武器で攻撃し続けて倒したりします。(まぁここまでくると意地というか)

 

FPSでも強い武器を避けるプレイヤーはいます。格闘ゲームでも強いキャラを避けたり。

それは自身のこだわりで「みんなと同じの使っても面白くないから」であるとか「実際に使ったけど合わなかったから」というのであれば判ります、

しかし、そこまでやりこんで結論を出す人は少ないです。

 

何故ならば大半の人はそこまでゲームをやり込みません。

何百回もプレイして検証した結果、「この武器は合わないな」というよりも。

1~2回プレイして「上手くいかなかったのでやめ」というほうが一般的だと言えるでしょう。

 

麻雀においてもそうですが「100半荘打って収支を出す」とか、「1000半荘で平らになる」なんてことは、一般的にやる人はいません。

他のゲームでもそこまでやり込んでいる人は相当なマニアです。

普通は1~2時間ゲームをやるだけでも、その時間を作るだけでも大変だったりします。それだったら他のことをしたい人もいるでしょうし、何もせずに休みたい人もいるでしょう。

 

以前の麻雀講座系Youtuberの配信でも「年50半荘しか打たない人から見れば、1000半荘で平均出してって言われても、それ何年分だよって話でw」と言われていましたが、その通りです。

他のゲームにしても最初に成功するか失敗するかだけで判断する人は少なくないと思います。

それを数限りなく検証して「最初は失敗続きでダメかと思ったけど、続けていたら上手くいくことが多かったので有効な手段だった」なんて検証結果を出せるのは一部の研究者だけです。その手順というか、習慣が身についている人間は。

 

生物や化学の実験にしても、「最初の1~2回で失敗したから無効」とはいかないのが常識です。

しかし、その思考は一般的とはいえない。

麻雀を初心者に教えるときも、最初に成功するか失敗するか。ここは大きな壁になると思います。

 

入り口にするだけなら成功してくれれば簡単なんですが・・・。

長く続けるのであれば成功体験が足を引っ張ることもあります。「成功体験は良いもの」とは限らないのも難しいところです。