「サンマとヨンマはどっちが運ゲーか?(実力ゲーか)」
検索するとこの内容で記事を書いているブログも多いのだが、私は今までこれを疑問に思ったことがなかった。今回フレンド達とこの話題になったときに「サンマのほうがこうだ」「ヨンマのほうがあーだ」と熱弁が振るわれたので、そのこと自体が私にとっては意外だった。
中には興味深い内容もあったので書いてみたい。ネットで読んだ記事の中では以下の内容が最も参考になるものだった。
上記の記事の内容で一番興味深いのは「三人麻雀で実力が出やすいと言われているのは、4人勝負ではなく3人勝負であるため」という部分だ。
もし仮に麻雀を1対1で行った場合にはより実力勝負に近づくだろう。(大昔にあったCPU対戦の脱衣麻雀ゲームなどは論外だがw)
ただ人数が少なければトップやラスで実力が出やすいのかと言われると、1~4の数字でくじびきを繰り返すのと、1~3で繰り返すのでは同じ数を引いても後者のほうが1も3も出やすくなる。
その現象を単に「実力だ」と言ってしまうのは語弊がある。
友人たちと話した内容でも、ネットの記事や投稿でも興味深いのは、そもそもまず麻雀を実力勝負だと思っているプレイヤーが多いということである。
だからこそサンマを「運ゲーだ」とする声が出てくる。
このブログの読者なら周知のとおり、麻雀はサンマだろうがヨンマだろうが運ゲーである。実力と運の混ざり合ったゲームなのだ。
まぁ、それはわかった。それにしてもサンマのほうが運要素は高い、と主張する声が次に出てきた。
それは若干思わなくもない。だが私はあまり関係が無いと思っている。
「赤無し」であるとか「一発・ウラ無し」といったルールもあるが、それも「運か実力か」を長年議論させる題材となっている。(現代では関係ないという意見が多い)
サンマもこれに準ずるもので、北ドラなどの打点要素が増えてはいるものの麻雀の本質的な部分に変化はない。
3人であることで偏りは顕著になる(1~4よりも、数字が偏りやすくなる)が、打点要素が増えたこと=運要素が高いとは言えない。
赤ドラや一発裏にしても「相手も自分も同じ状況を再現できる」という点において、確率的には同じことなのだ。
サンマの人数の少なさや、北ドラなどの打点上昇要素がそれらを高めているとは言えるかもしれないが、例えばヨンマが7:3で運ゲーだとするなら、サンマは8:2になるのか?
そこまでの影響力があるとは思えない。また逆にヨンマ7:3でサンマ6:4で実力ゲーかと言われるとこれも「う~~ん」と唸ってしまう。
麻雀の運と実力の振れ幅はやはり7.5:2.5付近であると思う。
サンマで「実力が出やすい」とする意見には、「ヨンマよりも局面に参加することが多く、より多くの選択と判断を迫られるから」「黙って見ていても負けになることが多い」という点で語られている。
この点に関してはその通りであると思う。
サンマの初中級者を見ていると押し引き判断が弱いことが多い。盤面を見ていても「えっ、それオリちゃうの!?」ということがある。
おそらくヨンマだと「オリていれば他の誰かがラスを引いてくれる」という展開が多いからだろうが、サンマでもヨンマでも上級卓でそれをやり過ぎると、気が付けば自分がラスになっているのである。
押すべきときは放銃してでも押す。これをやらないとヨンマでもサンマでも勝てなくなるのである。(まぁ的確なオリも重要なんだけどね)
あとは手牌読みや山読みが弱いことも多い。明らかに枚数がない待ちを「両面だから」と残していたり、見た目で有利な愚形待ちを落としてしまったり、多面変化や伸びのある何切るを見切ってしまったりする。
他にも手出しツモ切りでわかる危険牌を容易く打って放銃に回ってしまうことも多い。打点の無い聴牌を無理に押して相手の高打点に放銃したり。
サンマでもヨンマでもこういったプレイヤーが「運ゲー、マジクソ」と言っているのを見ると「いや?(まだ)実力の範囲内だが?」となってしまうのが麻雀である。ミスをしたのではなく裏目を引いた。という領域にまで達して初めて「運が悪かった」と言えるのである。
サンマヨンマいずれにしても、そこに気づけるかが実力の有無といえるだろう。
・サンマは公平か?
サンマのほうが実力が出やすいとするならば、競技化するべきはサンマのほうになるのではないだろうか?
だが古今東西、競技化と言えばヨンマである。
(まぁ結論から言ってしまえばヨンマはチーがあるぶん複雑で高度だということになる。そしてサンマは「シンプルだからこそ(初級と上級で)実力差が出やすい」ということになる)
私は「麻雀は絶対に競技たりえない」と考えている。あくまでも遊戯やエンターテイメントの域を出ないものだと思っている。別にそれを悪いとは言わないし、Mリーグのような興行としても成り立っているのだから良いことである。
だが内容の公平性などに関しては他の競技とされるものに比べて圧倒的に不公平であり、理不尽である。
つまり「競技者の実力を測る」という領域には絶対に及ばないのが麻雀なのである。
2人の競技者を平らな地面の上に立たせて「どちらがより高くジャンプできるか」という競技において、二人の立つ地面の高さは平行であることが大前提とされるのは容易に想像がつく。
凹凸や硬さや考えうる要素のすべてに偏りがないようにしなければ正確な計測結果は得られない。だとしても陸上競技においては風の影響など他の要素が記録に関わってくることも少なくない。
そこまで考慮しても不公平なことになるのが一般的な競技というものだ。
麻雀がこれに当たるかと言われれば万人が首を振るだろう。そもそも配牌と自摸は全プレイヤーにとって公平か?(そして裏ドラも)実力を測れるか?
絶対にNOである。
ゲームの土台となっている部分が不公平なのだから「競技者の実力を公平に測る」などというのは夢物語に過ぎないのだ。
だからヨンマにおいても「赤無し」であるとか「一発・ウラ無し」といったものが競技ルールと呼ばれるが、それにおいても配牌と自摸という麻雀において崩しようのない要素によって競技としては厳しい面が出てきてしまう。
以前も指摘したように麻雀と言うゲームにおいて多少のバランス調整やルール変更があった程度では、配牌と自摸による運ゲーの部分に影響を及ぼすほどではないと私は感じている。
もし麻雀を競技たらしめるのであれば、それはプロ試験の問題のように決まった手牌から有効な一打を選択できるかといった競技になるだろう。
Youtubeチャンネル『麻雀ウォッチ』にアップされている以下のような動画シリーズも興味深い。
これも良い手順を踏めるかどうかを局単位で試すには面白い試みといえる。
麻雀は運があるゆえに公平な採点は難しいが、固定の牌山を作ったうえでプレイヤーごとに良い手順を見出せるかをテストすれば結果で採点できる。
まぁそのための牌山生成は「運がよかったらどうとでもなる!」というような内容では困るのだが・・・。