まぁ、これを言うとスポーツでも何でもスーパープレイって基本的には無いものと考えるんですよね。
無いものとしてプレーした結果、結果として「スーパープレイになった」はあるんですよ。
今回この記事を書こうと思ったのは「麻雀でスーパープレイをしようとしている人って実は多いな?」と思ったのです。
以前書いた「基本や定石を無視して打とうとする人」みたいに、「なんかスーパープレイでどうにかしてやろう」みたいに考える人は他の競技でもたくさんいます。
これは心理的に「楽をしよう」と考えているからです。
基本に則ってじっくりとプレイするのは実は結構大変で、プレッシャーもかかるし、ひとつひとつ地道に積み上げるような「作業」です。「それが嫌なんだ」「面白くないんだよ!」と型を破ってしまう人が少なくない。
でも基本っていうのは基本的に無視してはいけないんです。(進次郎構文か?)
現代麻雀ってどういうゲームでしょうか?
「確率を追うゲーム」という側面が強いと思います。
では『基本』という言葉の意味は?
「あまり道を外さない定石」ですよね。
つまり、なるべく確率の高い、ハズレの少ないことが「基本」なんです。
これほど麻雀のゲーム性に則った法則は無いわけです。じゃあ、なぜそれを無視する打ち方になるんですか?
地味だし、つまんないし、同じことの繰り返しだし。
ド派手にバーンとデカイ手をアガって「うひょーー!」ってやりたいですよね、ジッサイ楽しい。
では、確率60%の当たりを捨てて、確率5%の大当たりを引きに行く理由はなんですか?
点数が無いから?ラスになる恐れがないから?トップを取りたいから?そっちのほうが面白いから?
おお、人は欲に目がくらむ。
スポーツでもなんでもスーパープレイをする名手というのはいます。
では例えばイチローが守備でスーパープレイをする代わりに、平凡なプレーを取りこぼしてミスを連発しますか?いいえ、しませんね?むしろすべて完璧に近いプレーをしますね?
そして、その数多くある完璧に近いプレーの中のごく一部が、たまたまスーパープレイになるだけなんです。
「スーパープレイを狙ってやっている人」は、平凡なプレーをほぼ完ぺきにこなしていますか?
それとも、スーパープレイのために平凡なプレイを捨てていますか?
それでは勝てません。
もし、段位で勝ちたいというのであれば、これはいけません。
まずは平凡なプレイを確実にこなしてください。そしてそれを千回繰り返そうとも「飽きた」とか「面倒くさい」なんて思わないでください。
そうしていたら、いずれたまに「スーパープレイのチャンス」が巡ってきます。チャレンジするのはそのときで良いのです。平凡なプレーを捨てて、スーパープレイを狙いに行く必要はありません。
「勝率を落としてでも魅せるプレーがしたい」という人は平凡なプレーを捨てるスタイルでも構いません。
でも負けるのが嫌なら地味で面白みのない基本を疎かにする理由はありません。
息をするが如く、当たり前にこなしてください。
天才のプレイは鮮やかです。スーパープレイは繰り返し動画でも再生されます。
でもその他には地味で完璧なプレーが動画にもされず、話題にも取り上げられず、人々の記憶にも残らず何千、何万回と存在しているのです。
そしてもうひとつ、そんなプレイヤー達にとってスーパープレイとは一種の博打だといえます。基本を繰り返していれば勝てるところから外れたときに、リスクをとって狙わざるを得なくなる博打です。
野球で言えばダイビングキャッチ。通常の守備体勢では届かないからジャンプやダイビングをしてキャッチを狙いに行く。そのリスクとして捕球できなければ後ろに逸らす可能性も高まるわけです。
もし点差などに余裕があればワンバウンドさせてでもシングルヒットにするほうが良いでしょう。でもそれすらも許されない、落としたらランナーが帰ってサヨナラ、などであれば捕球するしかないという状況に追い込まれている。
麻雀で言えば「オーラスで役満を狙わないと勝てない」とでもいうような、ある種追い込まれた状況でもあります。(余裕からの魅せプレイってこともあるが)
無茶でもやらなければ負けてしまう。それほどまでに追い込まれて初めて定石を無視した際どいプレーを選択する。
だからこそヒリつくし、決めたときの湧きも凄い。
普段から平凡なプレーを捨てて、スーパープレイだけ狙っている人が決めたときですか?
・・・なんも。そもそも必要じゃない場面でやられても別に・・・ねぇ?
「だから何?なんでわざわざそんなことしたの?もっとちゃんと(確率の高い)プレーして」ってなっちゃいますよ。