麻雀が運ゲーの逸話。ひょっこりツモ。
危険牌や孤立牌を抱えてしまい、単騎や役無し聴牌のときにひょっこり自摸のみでアガれてしまう現象。
今回、自分の上家が延々とこれでアガれてしまい、最終的には5万点トップに・・・。
危険牌を止めて聴牌を取ったと言えば聞こえは良いが、最終手出しなどを見ると「そこでその牌を止める理由なに?」と疑問符が出てしまう止め方。手順的にシャンテン数を遅らせていることもあったし、危険牌と思って止めた牌?も別に止めるような牌では無かったり、自分の手役を崩して幡数を下げているだけだったり、かと思えばドラや赤を切ってよくわからない単騎にしていたり。
でもそれを全部ひょっこり自摸ってアガってしまう。
TASと麻雀をやったらこんな感じなのかなという違和感を抱くことになった。
(*Tool Assisted Speedrun:CPUが乱数などを計算して本来なら当てられるはずのないランダム要素を完璧に的中させるエミュレーター)
麻雀がオカルトやフィクションと相性が良いのは、やはりこういったことが起きるからだ。ただの偶然がおかしなくらいに連続する。
ランダムゲームではよくあることだ。パチンコやスロットで80%の当たり演出なのに、それが5連続でハズれるなど。「そんなこと起きるわけないだろ!裏で操作してんだろ!」と誰しも叫びたくなるものである。
これがギャンブルというものなのだ。実力なんて一切関係ない、運だけの要素。
ギャンブルに触れている以上は「まぁ所詮は運ゲーなんだから、そういうこともあるよね」と考えていないと頭がおかしくなる。
・実は水面下では多いひょっこり聴牌
牌譜や放送対局の神視点で見ると、思っている以上に他家の聴牌やダマテンは多い。
一見して張っているように見えない5巡目の他家が12000聴牌なんてことも珍しくない。それがまた他家の1000点のアガりで無かったことにされる。実は裏ではそんなことの繰り返しだ。
我々、打ち手の多くが認知していないだけなのである。
人間というのは都合の良いもので、認知していない脅威に対しては全く恐怖を感じない。他家がダマテンで32000聴牌を入れていたとしても、それを知る術がなければ我々は呑気に何事もなくいつの通りの打牌をするだけだ。
麻雀を打つうえで「認知していないだけの脅威」というのはいくらでもあるのだ。
リアル卓で友人などと打つときは「実は3巡目で国士張ってたのにな~」などと手牌が明かされて「うお~、こえ~~、振り込まなくて良かった~」と驚かされるものだ。
ネット麻雀だとそれを知らないまま過ごしているだけ。(フリーでも手牌だして云々はNGだけど)
以前も言ったことはあるが、牌譜検討すると何も知らずに相手のダマテンに危険牌をバシバシ切って、たまたま助かっているだけのことは多い。
相手はこちらが思っている以上に聴牌していることが多いのだ。
あさぴんのNAGA対戦などでもそうだが、CPUは基本的に5巡目あたりまでの先制リーチが多い。実際に上級者同士であれば、配牌と自摸の良いプレイヤーがそのタイミングでリーチを仕掛けてくることは当たり前なのだ。
しかし、人間が打つと「この愚形待ちでリーチは・・・」「打点が無いし、浮いた赤にくっ付けたいなぁ・・・」と思って打たないことが多いだけで、聴牌自体は5巡目あたりまでにはかなり入っている。
それがたまにひょっこり自摸になったりするのだ。
玉の間だと、子のピンフのみなどはリーチされずにアガられることが多い。それに続いて、ダマのカンチャン・ペンチャンの自摸のみというのもある。
なので「河の一段目リーチ多すぎだろ!」とか「なんで3巡目リーチでリャンメンドラドラなんて好形になってんだ!」とキレるのはお門違い。
そもそもそれが当たり前のゲームなのだ。
我々プレイヤーの多くが、たまたまそれを知らずに過ごしていることが多いだけなのである。実は目に見えないところで、もっと多くの「12000点ダマテン」なんてことが起きているのだ。
「そんなアガりたまたまだろ、運がよかったね」というのも多くあれば、
「これ放銃しなかったのはたまたまだろ、運がよかったね」というのも多くある。
どっちにしろ麻雀が運ゲーという事実は揺るがない。