一色麻雀の話

現在、麻雀アプリの『麻雀一番街』でアニメ『リコリス・リコイル』のコラボが来ているのだが、そのイベント卓のひとつとして「一色麻雀」が登場している。

麻雀を使った遊びとしては『バンブー麻雀』が有名だろう。

 

基本的に一対一で、先手(親)と後手(子)があり、一色なので清一色が必ずつく。

ゲームの特徴としては毎回ほぼ1~2手で終了する点だ。

まず天和と地和が出やすい。

それ以外はダブリー。

 

1~2手でカタがつくので、リャンシャンテン以上の配牌だと、その時点でほぼ負けは確定。というか、基本的に天和かダブリー一発以外は期待値が薄い。現物かスジの牌以外は放銃になる。

まぁ、清一色同士で殴り合っているのだから、多面張で何でもロンツモできる状態になってしまう。

コラボ卓のほうは相手を飛ばさないとゲームが終了しないのだが、親番を渡したらほぼゲームオーバー。子の打点でアガったところで追いつかないし、そもそも相手に天和やダブリーを連発されることになるので不利にしかならない。

 

このゲーム、一対一になるのも特徴だが、基本的に将棋囲碁チェスMTGなど先手後手のあるゲームでは「覆しようのないほど先手有利」は揺るがない。囲碁においては後手は6目(石6個分)のハンデが与えられてやっとイーブンになるほどだ。

なので一色麻雀でも状況次第ではゲームを続けるよりも退室してリセットが基本になってしまう。(相手はCPUなのでリセマラでOK)

 

アガりの最速タイムも出ているのだが、20秒など「天和」が基本で、あとは九蓮宝燈四暗刻などの役が付いて、相手をトバせるかどうかになる。

 

・麻雀は配牌と自摸のゲーム

これを非常によく体感できるのが、この一色麻雀の特徴だろう。

清一色の待ちの練習にやってみてもいい。(その場合は清一色待ちアプリもあるけど)

 

麻雀というのは基本的に時間をかけただけのチンチロ(サイコロ博打)であり、くじ引きに過ぎないのだ。

卓について牌が配られる時点で勝負は決していて、あとはそれに従うのみになる。

「そうはいっても選択や技術介入はあるだろう」と思うのが普通だが、麻雀をやり込むとその幻想も儚く消える。

 

一色麻雀をやればその幻想は悉く打ち砕かれるはずだ。

「配牌と自摸運ゲーじゃん」という結論に至るしかなくなる。

 

一色麻雀だからそうなっている、というわけではないのだ。

突き詰めれば麻雀とは常にこれだ。

それが少しゴチャついて「選択の余地があるように錯覚する」だけなのだ。

実際には配牌と自摸で覆しようのない差が生じる。

 

上級者ほど、そうは思いたくないが、そうとしか思えない。という状況に陥っていく。

どれだけ正着を選んでも全く勝ち筋に繋がらない。負けないように不利を避けているのにラスを引かされる。

プレイング内容と結果が剥離したゲームなのだ。

 

サッカーで実力伯仲の2チームが対戦したら、内容が良いほうが勝つ見込みは高くなる。イレギュラーな要素が絡んだりチャンスが少ないほうが勝つこともあるが、麻雀ほど「完璧なプレイをしたほうが負ける」ということは起きない。

麻雀では常にそれが当たり前なのだ。

「完璧なプレイをしても勝敗には関係がない」、その段階がきてしまう。

 

だからこそギャンブルであり、サイコロ博打の延長であり、くじ引きに過ぎないという感覚になっていく。

サッカーや野球といったスポーツでも確率に賭ける部分はある。ゴール前で何度もチャンスを作れば、そのぶん得点の機会も増えやすい。

麻雀でいえばリーチや聴牌を入れる数が多いほど加点のチャンスも増える。

 

だが決定する瞬間にしろ、チャンスメイクする段階にしろ、麻雀では「自分で作り上げる」「自分で決める」ということができない。

スポーツはそこを実力で決めることができる。自分たちが質の高いプレーをすれば、それが可能になる。フィジカルでゴリ押すこともできる。

だが麻雀はチャンスメイクも得点も、「配牌と自摸次第」にしかならないのだ。実力ではどうにもならない。

 

だから博打にしかならない。

観戦する側にとってはスポーツと同じ感覚を味わえるかもしれないが、参加する選手にとっては理不尽なものでしかないだろう。

どれだけ雀力を鍛えても配牌と自摸には敵わない。