雀魂でいうと銀~金の間あたりでよく見る「とりあえず役牌をポンする」という手順。
玉の間あたりに行くと「やめておけ」と指導が入る手順でもありますが、自分の手にドラが2枚以上とか、残りが良形ですぐアガれそうとか、上家が染め手で簡単に鳴けそうだとか・・・。
そういった条件があって初めて役牌ポンからスタートできる、ということもあります。
しかし、中級者あがりの人は役があるととりあえず鳴いてしまう、という人が少なくない。上級者でも「役牌はポンしてしまったほうが得」という人もいますが、そうは言っても「(上述したような条件を踏まえて)ポンしたほうが得」くらいの場況読みはあるでしょう。
自分の手が明らかにバラバラで、親の切り出しが今にもリーチが来そうな河をしているのに「ポンしたほうが得!」なんて渡辺太でも言うかどうか怪しいところです。
小林剛なんかは逆に役牌をバックにして、いざというときは字牌を切って凌ぐというテクニックも魅せます。愚形を先にチーしてあわよくば、といった感じです。
ともかく上級者はリーチにいくにしろ、副露するにしろ、スタートラインで考えるわけです。
「そもそもこの局は勝負に出るところか?」と。
別に自分が五万点もっていて、オーラスを消化するだけでトップ終了なら、自分が危ない橋を渡らなくても子の下家へアシストとかだっていいわけです。
他にも勝負にならないバラバラの手牌、安手でリーのみ愚形にしかならない形、ドラ赤も見えていない、親のダブ東も行方知れず・・・などなど。
こういったときに「ポ~ン!」なんて字牌を鳴いて役から付けてにいくかというのは呑気すぎます。(サンマはまだわからんけど)
雀頭がなくても揃っている役牌から消費して、あとはツモ期待で何とかなるだろうと楽観的な手順で盤面を眺めていたら、周りからあれよあれよとリーチがかかって自分はオリる牌も無い・・・なんて。
そうなってから助けてを求めても誰も助けてはくれません。むしろ「お前が振り込んでくれるの期待してるんやで~」とニヤニヤです。
頭がテンパった初心者ネコはここで「カン!」なんてしたり、危険牌をバシバシ切って「アガりきって凌ぐしかねえ!!」なんてやりだすわけですが。
「じゃあ最初からそんな手牌で勝負に出るなよ」というのが上級卓の習わしでもあります。
これも何度も記事にしていますが、もちろん軽い手でサッサとアガって相手の高い手を流す価値はありますが、そのために危険を冒す必要は最小限に抑えたいのです。
無理そうなら諦める、その退路を残しておくのもテクニックになります。
自分から袋小路に突っ込んで事故に遭う必要はありません。
「そんなこと言われたって運が悪くて勝負手が来ないし、これで行くしかないじゃないか!それとも黙ってラスを引けというのか!」という貴方、
そもそも麻雀は運ゲーです。
あなたが頑張ろうが、何をしようが駄目なときは駄目なのです。
じゃあ好き勝手にやらせろよ、というのもわかるけれど、それをやっていたら収支が下がってしまうのがギャンブルというもの。
自分の好き嫌いとか嗜好なんて求められてないんですよ。「ゲームとして得なことを続ける」。これだけ。非常にシンプル。
でもこれができないし、続けられないのが人間です。
先日も「七対子きらいなんですよねー」という人がいましたが、明らかに七対子を見たほうがいい手牌で順子手に進めて失敗していました。
字牌のドラなどを浮かせてしまって、手牌の形が対子多めなら別に七対子を見て損をするほどではありません。ドラが重なれば高打点になりますし、役ありダマテンにだってできる。危ない牌を掴んだらオリてもいい。
一応メリットもあるのですが、「嫌いだからやらない」で選択肢を自ら狭めて可能性を潰します。
実際にここいらへんが一般的な遊戯の限界ラインです。
これを越えて「我慢して耐えろ」とか「ちゃんとやれ」なんてのは娯楽の域を超えています。
草野球なんかでも、オンゲーのレイド(団体戦)でもありがちです。
「ちゃんとやれないなら参加するなよ」みたいなの。
一定のレベルに達していなかったり、モチベーションがない人が来ると「帰れ、帰れ」となる。
やっているほうは真剣にやっているのだろうし悪気は無いにしても、そんなの遊びとして付き合うのも疲れるというか。
「じゃあほどほどで楽しくやるわ」となる。
そういうのを負け犬とか雑魚とか煽るのもいますが無視です。そもそも人間、自分の身の丈に合わないことは何だって続かないんです。人生長いんですから。
無理して続けたって自分に良いことなんてありません。