インターネットの発達は素晴らしい。欧州や南米で発表された論文がその日のうちに読める時代である。人類の知識や情報伝達は飛躍した。それはあらゆる分野で起きており、麻雀でも変革が起きている。
20年も前の麻雀の勉強方法と言えば書籍を購入するか、地元の「自称つよいおじさん」に嘘か誠かの知識を吹き込まれるくらいしかなかった。当時からネットはあったがまだHTMLのテキストベースで現在ほど個人が発信しやすい環境でもなかった。
2010年前後からブログやSNSが発達して個人が手軽に情報を発信しやすくなった。それと同時に現在までに動画配信サイトが伸びたことで簡単にプロの対局や牌譜検討を直に見聞きすることができるようになった。
プロがたくさんのことを喋って教えを広めてくれる。これほどありがたいことはない。これまでなら東京などの雀荘に赴いて、わずかな時間で会話できる機会があるかないか程度だった。
それがネット麻雀とはいえ毎日何時間もの対局を見せて、手順の解説までしてくれるのだから感謝しかない。この時代が当たり前の世代からすれば、この感覚はわかりづらいだろうが凄いことなのだ。
・情報のアドバンテージが薄くなる
これも麻雀に限った話ではなく、ゲームの攻略であったり、バグ技などの情報も一夜のうちに広まりやすい。ソシャゲなどは、ほんの数時間の不具合でもバグを利用した得するプレイが広まったりする。
情報は一瞬で共有され、知識は伝播する。
こうなると例えば「知っている人だけが得をする」というアドバンテージをどんどん得にくくなる。だからといって個人のみの秘伝にするというのも時代観とは合っていないのだろうか。発見者や知りえた者は誰かがそれを発信する欲求に駆られてしまう。
全員が知ってしまうとアドバンテージは薄れる。「この局面ではこうしたほうが得だ!」とみんなが知ってしまえば、みんな同じことをやりだして「得をする」というシチュエーション自体が失われてしまうこともある。
赤5を切っての4-7待ち、という手口が広まってしまうと逆にそこを切ってくれなくなる。戦術にも流行り廃りのようなものがあると考えていい。
トッププロ達が「こうしたほうがいいです」「ああしたほうがいいです」と伝えれば大勢がそれをやりだす。こうなると右も左も同じようになってしまう。もちろん中には曲解して違うことをやっている人も出てくるだろうが、「押したほうが得です!」と言われれば押す人のほうが増えるだろう。
実戦においてプロの意見を参考にしたり、ネットの記述や動画を見て勉強する人が増えれば全体のレベルは間違いなく上昇する。その結果として現在はある一定まで雀力は平均化されているのではないかと考えた。
それも高いレベルで平均化されたとすれば、麻雀において残ったアドバンテージは局ごとの運による。
・微差の積み重ねが微妙なのは何故か
上級者の卓になると麻雀の結果は超長期的なものでしか得られなくなってくる。それも大きなプラスよりも、微差の積み重ねによる部分が大きい。だが実際にこの微差というのは非常に曖昧で効果的とは言えない。
それはやはり運による決定力を上回ることは絶対にないからだ。
細かい点に気を付けて積み重ねた2着の連続が、運悪く引かされただけの4着で収支マイナスにさせられる。こういったことのほうが圧倒的に多い。また同じように負け分の返済もコツコツするよりも、たまたま連勝しただけのほうが返しやすい。
そしてプレイヤーはそれを決してコントロールできない。プレイヤーは試行回数を重ねることでしか上振れを引くことはできない。
麻雀を長く続けるものほど、このゲームに真面目に取り組むのは難しくなるだろう。どこかで「どうせ運次第だし…」と投げやりになる。まあそれが普通だと思うし、実際そうだろう。
やはり問題は「続けられるかどうか」というモチベーションの問題へとシフトしていく。この点に関してはどのゲームや競技でも近いものがある。己の限界を知りつつも、どこまで付き合っていくのかは人生の課題だ。
麻雀というものについて、ほどほどに考えて、自分なりに楽しむ程度に落ち着かせるのが、自分も他人も不幸にすることはないのだろうと思う。