AIとの対戦の概念の話

昔はチェスや将棋でも「人類はAIに負けるな!がんばれ!」といった考え方が主流でした。しかし今では「人類がAIに勝つのは難しい」というのが結論づけられているでしょう。

将棋における人間とAIの戦いである電王戦も2010年頃には正着で勝つようなパターンは無くなり、どちらかというとプログラムの死角や隙をつく、不具合を利用した打ち筋になっていました。

麻雀で言えば第一打に必ずドラや赤を切ることでAIが正常な手順を踏めなくなり自滅する、というようなものです。

 

それは実戦的ではないわけです。ゲームいえばバグ技や裏技とでもいうような。それを100戦続けたとしても麻雀や将棋が上手くなることはないのです。

ダークソウルなどのアクションゲームでも「ハメ技」で相手を倒すことは可能です。「この地形に誘導したら相手は攻撃できないので一方的に攻撃して勝つことができます」という攻略があったとして、それを100回繰り返したところで「アクションゲームが上手くなった」とはならないわけです。

そのことは皆さん自覚的だと思います。

 

では正面きってチェスや将棋や囲碁や麻雀のAIと勝負して勝利を目指すのかという話。

ここで勝ち負けを持ち出すのが「旧い価値観なんだな」と思ったのです。

おそらく麻雀に限らずAIと対戦する事の利点は「全員が正着で打ってくる」という点だと思われます。

 

人間と対戦すると、どうしても「紛れ」が起こります。

麻雀の段位戦など余計にそうです。クリックミス、エイムミスのようなヒューマンエラーの他に、打牌の選択ミスや考え方の損もあるでしょう。

そうなるとそれに影響されてこちらも変な手順を踏まざるを得ないことが出てきます。

 

それは麻雀(卓上ゲーム)の勉強としては歪みが生じるわけです。

王座の間や天鳳卓であれば、そういった「なんでダイミンカンしたんだ!?」とか「オタ風からポンは何かあるのか!?」というケースにおいて、「実は何もなかった」なんてふざけた展開は無くなっていくでしょう。(ブラフはあるにしても)

玉の間くらいだとこういったケースが無数に出てきてしまうわけです。

 

それだったら正着を打ち続けるAIと打ったほうが練習になるんじゃないのかという。

チェスや将棋も下手な打ち手とやるよりは「勝ち負けではなく、勉強相手としてAIがベストなのではないか」という考え方が出てくる。

もちろんAI相手に勝てない勝負を一生続けていても、それはそれでよくないとは思います。しかし打ち方のクセを無くすとか、調整という意味ではAIを相手にするのが良いのではないか。そんな風にふと思いました。

 

旧世代としてはAIを相手に「勝つか負けるか」という思考がどうしても入ってきてしまう。しかし、そこに価値を持つべきではないな、と今更ながらに考えたのです。