雀魂の運ゲー度

雀魂の攻撃面で実力差が出るのは銅~銀の間まで。主に牌効率の速さで先制を取れるか、打点を作れるかで異なってくる。

 

次に差が出るのは金の間で。ここからは守備の技術になる。オリてオリて、とにかく振り込まないように立ち回っていれば上振れたときにはプラスになる。

いわゆる「ラス回避麻雀」になるが、傑3以上になると四着でのマイナスと一着のプラスが釣り合わなくなるため、一度ラスを引いただけでマイナスのほうが大きくなってしまう。ゆえにできるだけ四着を避けないと段位ポイントがプラスにならなくなる。
(下振れているときは基本的に振り込まなくても逆連帯が続き、自分はテンパイすらできずにツモられ続けて何もできないままラスなどが増える)

 

玉の間までいくと押し引き判断も重要になってくる。安い手や危険な牌を掴まされたら無理をせずに引くことも必要だし、打点がるのなら逆に何枚か押す強さも必要になる。

さらに一局ごとの段位ポイント収支が小さくなるのでとにかく数をこなさないとプラスに転じにくい。雀聖などは特にラス回避とトップ取りを両立させるようにしないとポイントを維持できなくなっていく。

王座までになると読みも非常に重要になってくる。山読みや手牌読み、手出しツモ切りによる牌の比較。平面的な何切るなどはプレイヤー間で差がなくなっていくため、こういった読みが技術として求められる領域になる。

そのため対人要素が強くなる側面もあり、引っかけや先切りや地獄待ちなど思考の裏をかく戦術もやや増えてくる。(通常のアガり牌で待っていても出てこないため、枚数差などが無ければあえてそういった待ちを選んでくることもある)
あとは魂天になると3,4着がマイナスになるので基本的に1,2着のトップ取り麻雀に近くなる。

 

このような構造はネット麻雀の段位戦であればどこも同じである。

上位卓に行くほど打ち手全員にミスが無くなってくるため、運による上振れを期待して打ち続けることになる。

もちろんリーチなどのぶつかり合いからアガりを拾えることはあるが、自身でツモるにしろアガれるかは運による。駆け引きがどうのよりも運によって決定される部分が圧倒的に多すぎるのだ。

 

・ゼンツ麻雀について

金の間でも打牌はかなり甘い。リーチ後に無筋の牌がポンポン出てきて、牌譜で見返しても相手は特に高い手を張っていたわけでも何でもないことは多い。

それでも結局、いわゆる「ゼンツ(全ツッパ)」されると厳しい展開になりやすい。

 

「全局ゼンツで打ったらどうなるか?」

この疑問を抱く初中級者は多いだろう。収支的にプラスになるかマイナスになるかは運でしかない。長期的には成績を残しにくいスタイルだ。

麻雀とは攻撃と同時に守備のバランスを取ることが大局的にはプラスに転じる要素となる。12000点をアガっても18000点の放銃をしていてはプラスにならないのだ。

 

だからこそ「12000点をアガって、18000点に放銃しない」というバランスがベストになる。ゼンツ麻雀は長期的に見たら強いわけがないのだ。それでも短期的には強い局面もある。

半荘一回の中で「この人すごい強いなぁ」と感じさせられる打ち手は多いだろう。ネット麻雀で強い人というのは初期から上がってきて、ラス率が15~20%ということがザラである。そのまま上位卓に入れるまでになる。

だが「その半荘だけ強い人」というのはデータで見れば、ラス率が25%や30%だったりして「その段位から上がれずにいる人」ということが多い。

 

ゼンツ麻雀は短期の成績しか残せないという実態である。

麻雀において守備をすることを「楽しい」「面白い」と感じる人は少ないだろう。「高い手を作ってアガりに向かうのが楽しい」という人がほとんどであれば金の間あたりまでの打ち手はゼンツ麻雀に寄りがちである。

だからこそ金の間以上は守備で長期的な成績に差が出やすいのだ。

 

・守備や攻撃が互角同士の戦いは運ゲーになる

玉の間以上の戦いは先制を取れるか、打点を作れるかが重要になりやすい。

親で先制を取れれば安めでもリーチを打ちやすいが、子で後手を踏むなら打点がないと危険を冒してまで押し返す価値がない、といった具合だ。

こういった「先制」「高打点」はプレイヤーがコントロールできる部分ではないため、ツモと配牌次第になる。それに恵まれないのなら無理して戦いに参加はできない。放銃率が上がって、局収支が減るだけだ。

 

金の間よりも玉の間での戦いは運次第になることが多い。それぞれ大きいミスはしないし、展開がどこに偏るかは配牌とツモ次第になる。

運を一つ確かにする方法は「試行回数を増やす」ということである。ランダムなものを相手にするには「数を増やす」以外に対策できることはない。

 

あさぴんが天鳳位を狙うコツを「やる気」と説くのも頷ける。

同じ実力の上級者が二人いたとしよう。実質二人とも天鳳位になれる実力の持ち主として、Aさんはそこそこ打つだけにしているが、Bさんは天鳳位を目指して毎日長時間打っていたとする。

天鳳位になりやすいのは間違いなくBさんなのである。

 

もしかしたら、たまに打つAさんのほうが良い内容で成績を残すかもしれないが、結局のところ運次第なので、数を打つBさんのほうが(理論上は)有利だといえる。

 

・打つべきリーチを繰り返し打って負けるのは実力か?

状況的に打って当然のリーチを10回打って、10回負けたとする。これを「実力のせいで負けた」と考える打ち手はいないだろう。打って当たり前のリーチを打って負けたのは運でしかない。

では「10回負けたので、次の11回目のリーチは打たない」と考える打ち手がいるだろうか? 上級者なら間違いなくそんなプレイヤーはいない。

 

これも結局は数の問題で10回でも100回でも1000回でも10000回でも、打つべきリーチは打っていれば収支はプラスになるのである。これは統計が明らかにしている。もし統計に近づかないのなら「数が足りない」か「天文学的数字で運が悪い」というしかない。

 

麻雀においては同じように「守って当然の状況」「攻めて当然の状況」というのがいくつもある。それで負けたとしてもそれは成すべきを成しただけであり、結果は運でしかない。

「攻めていれば勝ったのに」「守っていれば勝ったのに」、それは確かにあるだろう。

だが現代麻雀の観点から統計や収支で考えたときに「そのときだけ違う行動を取る」というのは、何かしら根拠があって取った行動でなければブレている。オカルト打法と変わらなくなる。

 

こう聞くとロボットみたいで味気なさ過ぎると言われるかもしれないが、それが数字を相手にしたときの実態である。

サイコロで6を出す方法は? 6が出るまで振り続ければいい。こう言う他ない。

(ソシャゲのガチャで当てる方法は出るまで回すこと)

 

・その半荘だけ強い人をアテにしない

ネット麻雀は一期一会なので対戦相手のことなど記憶しないだろうが、ある程度同じメンツで打つことがあれば段位やランクが上の人でも負けることが多々あるとわかる。

神域リーグというネット麻雀のお祭り大会でもプロの多井隆晴はダンラスのマイナスでシーズンを終えている。

では他の参加者であったVtuver達がトッププロよりも強かったといえるのだろうか?

もっと数をこなせば差は歴然としてくるだろう。

だが短期で見ればゼンツ麻雀が強いように運が偏っただけの結果になりやすい。

 

ネット麻雀の段位戦でも相手のトータル戦績を見たときに「この人が強いから負けたわけでもないな」と思うことは大事である。「自分が選択を誤ったわけではない」という確認は重要である。

選択が間違っていなくても負けるのは運次第で、運をプラスにするには数を打つしかない。

 

そのうえで負けが込むなら、反省すべきは押し引きなど他にあることになる。

だが100戦や200戦でも下振れているだけのことも普通にあるので、運ゲーについて考えすぎるのは体に良くない。

 

・麻雀成長期の戦績

相手の戦績を見たときに「成長期の人」というのはトータルの戦績がアテにならないことがある。(これについては牌譜屋など専門的なサイトで確認しないと判らないが)

例えば初めて上位卓に入ったときはラス率が28%あって降段したが、勉強しなおして再び入るころにはラス率18%に落ち着き、放銃率も16%あったのが10%くらいまで下がっていたとする。

だがゲーム上のトータル戦績でみればラス率25%、放銃率13%の表示になっていたりする。それを見たら「結構高いのによく上位卓にいるな」と思われるだろう。

 

昔からある天鳳などで経験を積んだ人の戦績は最初から強い数字を残しているだろうが、雀魂で麻雀を勉強したという人は途中から急激に戦績が良くなっていることもある。その場合にゲーム上の戦績だけでは測れない強さもあるだろう。