何度も言うように麻雀の基本は運ゲーである。
抽選を受けられるようになるまでが実力で、後のことなど正直どうでもいいのだ。
「実力があるから良い牌を自模れる」などということは無い。
運ゲーというものは実力が介在しない世界なのだ。
だからこそ素人でもプロに勝つこともできる。
(というか素人とプロという概念は運の宇宙に存在しない)
「実力があれば勝てる」というのは例えば、
目の前に殴れば壊せる程度の壁がある。ただし、腕力の無い者が壊すのは難しい。肉体を鍛えている者ならば、そのパワーに比例して突破率は上がっていくだろう。
こういうものである。
だが麻雀というのは、
目の前に殴ると5%の確率で壊せる壁がある。壊すのに腕力は必要ない。どんな者でも叩き続ければ5%の確率で破壊できる。
というものである。
・麻雀の実力は過程において必要
麻雀において実力が発揮されるのは、この5%の壁に辿り着くまでである。
(まぁ、それも運が悪ければ辿り着くことすらできずに終わるのだが)
辿り着いた後のことなど、どーでもいいのだ。
だが、どうでもいい微差を気にしすぎる人は「あれをやっていれば違ったのか?」といったことを気にしすぎる。
1pを切らずに持っておけば雀頭にできたのに!
赤5mをツモるのが判っていたらリーチしなかったのに!
一発で当たり牌を掴むなら聴牌とらなければよかった!
こんなこと、どうにもならないんだから考えるだけ無駄である。
「あー、ツイてなかったー」
で終わり。
受けの枚数などで牌譜検討したり、選択がどうだったのか。そこは検討の余地があるだろう。しかし、「5枚待ちのほうを選んだのに、3枚待ちのほうがアガれた」だとか、「場況は3p有利だったのに、不利なほうの1pを引いた」など、そんなのどーしようもないのだから気にしても仕方がない。
・リーチに正解/不正解は存在しない
親がリーチしてきた。
自分も追って聴牌し、打点は12000点。追っかけでリーチ。
平場であればこの判断に間違いはないだろう。
この結果がどうあれ、それは運次第なのが麻雀である。
手前の判断が間違っていなければ、後の結果などオマケにすぎない。
アガれれば相手よりもラッキーだったというだけ。
別に自分が強いからだとか、弱いからというのは関係が無い。
冒頭に話した「5%の壁」と一緒だ。
親のリーチだから強いとか、子のリーチだから不利、といったことはこの場合は存在しない。
打点も十分で待ちも残っているのなら互いに「5%の壁」を叩き合っているだけである。どちらに割れるかは確率でしかない。そこに強い/弱い、正解/不正解といった概念は存在しないのだ。
・微差 <<< 運要素
麻雀において大半の要素は運によって決定される。ときに微差などどうでもいいことも多い。
だから気にし過ぎは良くないのだ。
打牌を間違えて5%の壁を叩く前に倒れてしまった、というのであれば反省の念はある。だが「そもそも叩き合いに参加させてもらえなかった」「何回も参加したが一回も勝てなかった」といった場合には反省してもしょうがない。
だが雑になりすぎれば放銃や無駄な失点、得点の機会を失うといったことが起きる。
そこが麻雀のムカつくところだ。