麻雀全日本結果論協会

【2024.03.16:追記】

Mリーグで実況の日吉達也プロが結果論協会を連呼したおかげか、この記事のPVが爆上がりしている。だが・・・。

そんな組織は存在してねえ!!

 

と俺も思っていた。

だが石橋プロが「結果論協会撲滅委員会」なるものを明らかにした。結果論協会は存在する・・・、だが、それはここじゃない。
奴らは・・・(日記はここで途絶えている

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Youtubeライブで麻雀を検索するとネット麻雀からリアル卓まで何かしら配信を見られるようになっている現代。

上級者の卓を見ると当たり前のように上手いし、エンジョイ勢はひたすら高打点を目指して三人麻雀をやっていたりする。

 

段位戦をやっている中級者も多いのだが、雀魂でいえば雀士~雀傑あたりのプレイヤー。定石が身についていないのを見ると、やはりライト勢というかエンジョイ寄りのプレイヤーが多いのかなと思ってしまう。

 

それというのも現代において、あらゆる分野で「先人の知恵」というのはインターネット上に無数に存在しているのである。こうして暇にブログを書いている自分も含めて、収益化の動画チャンネルまで、技術指導は現代では非常に身近な存在となっている。

それこそプロの意見が簡単に手に入る時代なのだ。

 

なのに基本的な定石すら身についていない。動画にされている講座を15分見るだけで身に着くことができていない。これは現代において大きな不利益を被る。

とはいえ、そう言われて耳が痛いのは自分も同じだ。結局のところ「そこまで興味を持てるか」「モチベーションがあるか」という話で、「別にそこまで…」という気持ちであれば強制はできない。

 

だがやるやらないは別にしても、伸びない人の特徴はプロの講座で指摘されるタイプが多い。(麻雀に限らずだが)

前提として、その人の好きに打ってもらうのは自由だ。しかし「強くなりたい!」というのに「それはやりたくない!」というのは水と油だ。

以下によくある伸びないタイプの特徴をいくつか挙げてみよう。

 

・結果論で語るタイプ

相手の手牌が開いてから「やっぱり~持ってるのね」といったこと。

手牌読みを事前に入れていたのならまだしも、配牌時から持っていそうなドラ3の暗刻であるとか、河に関連牌の無い順子であるとか、それらを「知ってましたよ」風に語る。意味があるのかと突っ込みたくなってしまう。だが無意識なのかやっている人は多い。

 

例えばドラ暗刻なら「親リーに対して押してるし、少なくともドラ赤ありそうだな」であるとか、河に関連牌の無い順子も「ブロック読みだともうここしか残ってないよね」であるとか、そういった前提ありきで「あー、やっぱり持ってたかー」なら理解できるのだが。

相手の手牌が開いた瞬間、急に「あー、やっぱりね」みたいな反応をされても、それは成長材料になっているのか疑問しか残らない。

 

愚形リーチについても「(場に出たから)打っておけばよかった」となる。

上手い人は「愚形だろうと良形だろうと出るか出ないかは判らねーんだよ」と考えてリーチを打っているのが普通である。だからこそ、打点や枚数(山読み)といった押し引きで判断するのだ。

 

わからないことを、さもわかっている風に装って打っている人は麻雀は上手くなれないのかなぁと思わされる。

 

 

・牌譜検討を相手の手牌を開いて行う

これも上述の結果論に通じるものだが、牌譜検討を相手の手牌を開いた状態で行う人も少なくない。

言うまでもなく上級者は伏せている人が大半で、開くときも「これ~切りで最終手出しが1sだから122sからトイツの可能性あるよね」といった読みの確認として一瞬開く程度である。

 

そもそも牌譜検討においてそれ以外の場合で相手の手牌や山を開く意味はない。

「裏ドラなんだったんだろ~」「次のツモでアガれたのかな~」といったことは遊びであり、オマケ要素なのだ。実力向上の役に立つことはない。

もちろんエンタメとして割り切って見せている場合は別だが、真剣に「相手3s暗刻だから、この待ち駄目だったんだぁ~」というケースも少なくない。河読みしたのでもなければそんなこと判るわけないのだから反省しても仕方がないのだ。

 

見た目の情報で3sが山にありそうでリーチをかけたのであれば、その結果たまたま相手が暗刻にしていたとしても、それを理由に次回から「相手が暗刻で持ってそうだからリーチはやめよう」などと考えていたら下振れる一方だ。

これが連続すると自信を無くしてしまうのもわかるが、そこも麻雀の辛いところだ。

 

・「流れ」といったオカルトを口にする

上記のつづきで「流れ」を気にする人が現代でもいるのだなと思ってしまう。もちろん配信であれば冗談で言うことも少なくない。

ただ実際には渋川難波が言っているように「過去の流れは在るけれど、未来の流れは不明」なのである。

過去、起きたことについて「三半荘トップ無しで流れが悪いなぁ~」とは言えるが、未来について「この流れじゃこの先も三半荘トップ無しだろうな~」とは言えないのである。

 

だが、これを否定しきれない人は多い。

このあたりの感性については個人差があるので深くは突っ込めないが、幽霊であるとか非科学的なものを信じる人たちにとって「流れ」とは信じやすい対象なのかもしれない。

 

ただメンタルに影響するのは間違いない要素で、3回連続リーチに失敗すれば「ちょっとダマにしようかな・・・」などと弱気に思ってしまうものである。そんなときこそ「麻雀なんて所詮運ゲーなんだから何もわからん」とリーチしよう。もしかしたら一発でツモって裏3かもしれないし、すでに純カラかもしれないが、そんなことはしょせん人間には判らないのである。

 

・それっぽい場況を説明する

「この打牌はこういう理由があった」ということを「後付けで」それっぽく言う。

事前に「これ3p待ちっぽいから4pは押すか~」というのなら判るのだが、後から判った情報で理由付けをする。これは明確にためにならない。

 

これはもう麻雀がどうこうというよりも人間の習性みたいなものだろう。他人から否定や批判される要素を自己防衛のために理由付けする(言い訳してしまう)。

どの分野でも成長するためには意識的にやめなければならない部分である。ただある程度、自分に自信があって確立したものがあるのなら、他者からの否定や批判を断ることも必要だろう。

 

牌譜検討でこれでゴネられるとコメントのしようがなくなる。

 

・麻雀は結果論で語っても得るものが無いゲーム

ある程度の再現性が保証されているゲームにおいて「今の動きは良くなかったから、次回からはBパターンにしよう」というのは有効な手法である。

これは例えばサッカーで右側から攻めたが、相手の守備が硬くて崩せなかった。左側は攻撃参加で薄くなることがあるから、そこを突いてみよう。といったトライ&エラーが成立する。その結果、「やっぱり駄目だったから別の方法にしよう」「上手くいったからもう一回やってみよう」というのは有効である。

 

では麻雀でこれと似たようなシチュエーションがあるだろうか?

「さっきはカンチャン待ちで上がれたから次もカンチャン待ちにしよう!」とはならないだろう。両面など多面待ちのほうが確率的には常に有利なのである。「三面待ちでアガれなかったから変則でシャボ待ちにしてみよう!」なんて場合も同じである。

よく言う「リーチしてアガれなかったからダマにしよう」も同じである。

 

リーチする手は誰が何と言おうとリーチなのである。(もちろん場況はあるが…)

 

プロのネット麻雀での配信を見ていても「100点満点の打牌だなー、何も間違えてない」と思うことは常である。だが、それでも普通にラスを引いて負ける。素人の意味不明な仕掛けやノミ手リーチに散々にやられて手も足も出ないで負ける。

麻雀ではそれが普通なのだ。こんなゲームで結果で語ることに意味があるのかと思ってしまう。技術よりも完全に運のゲームなのに。

 

牌譜検討で見直しは重要だが、それでも「何も間違っていなくても勝てない」「間違いだらけでも勝てる」それが麻雀だ。運による振れ幅のほうが技術論よりも大きいのである。