最近プロのネット麻雀での段位戦の配信などを見ていて、技術的なアドバンテージの限界を感じ始めている。いつも言っているように麻雀は技術よりも運のほうが決定力を持っている。その前提として技術ありきなのも確かだが、その技術的なアドバンテージがかなり無くなっていると感じている。
麻雀において技術介入は三割前後とする意見が多い。半々や技術が六割だとする意見もあるが、だとしても対局者が同レベルであれば結局は技術的なアドバンテージは薄れる。
以前のトピックでも書いたように初心者と上級者の対戦であれば技術的な差は生じやすい。しかし、インターネットを通じて知識の共有がなされる現代において、麻雀での三割の知識や技術というのは瞬く間に伝播されてしまったのではないのだろうか。
「じゃあプロと同等の実力者が溢れているのか」と聞かれたら、ネット麻雀に限ってはそうかもしれない。符計算や卓上での作法を除けば、麻雀の内容そのものはプロと遜色ないレベルまで一般化が進んでいるように思う。
それは麻雀というジャンル全体で見れば良いことなのだが、ネット麻雀のゲーム性にはつらい面がある。
・運ゲーだと呆れてしまう人が増える
技術的な格差が狭まったと仮定した場合に、勝ち越せるかは運による部分が大きくなる。実力者がミスなく打っても理不尽なラスを引かされる。アマチュアが間違った打牌をしても運良く勝てる。それが頻発すれば遊戯としての面白さを理不尽さが凌駕してしまうだろう。
そして、これが頻発しているのが現在の状況であると思う。
実力によるところが「ラスを引かない」という守備の部分に重点がかかりやすくなっているが、これも技術的にそこまで差がないところまで来ていると思われる。まだ差はあるのだが、1,000半荘で差が出る程度とか、そのレベルの微差になりつつある。
となれば、その差をつけるには普段から何百半荘と打たなければアドバンテージを得られなくなっている状態で、それでやっと微差の収支をプラスに持ち込むことができる程度の技術差、となると厳しいものがある。
そこに運の上下も加わって安定した結果など到底得られない状態になるのだ。
プロの堀慎吾が「鈴木たろうさんを”すごい打ち手がいるな”と思ったけど、プロになってすぐに(二年で)追いついちゃった(笑)」と話していた。この会話では技術的なことが含まれていたが、その意味で「すぐに追いついてしまった」ということだったのだろう。
将棋や囲碁のように後発の人間が決して追いつけない勉強差が生じるということではないのが麻雀だ。良い意味ではカジュアルな遊戯である。
・入口は広く出口も広い
麻雀はカジュアルなゲームで、プロの入口も広い。
「協会や団体に年会費を払えば誰でもプロを名乗れる」とさえ言われてしまう。
(実際には試験や面接があるのだが)
プロになるかは別にしても遊戯としても簡単に始められるだろう。特に今はネット対戦があるため気軽にプレイできる。それだけプレイ人口は多い麻雀であるが、その中で堀の言うように「二年でプロにまで追いつく」のも不可能ではないだろう。
となれば、その時点で飽きて辞めてしまう人も多くなるだろう。
実際に麻雀を始めて1,2年で天鳳位や魂天といった最上位までなっている新人も珍しくない。もちろん、その人たちは自分なりに本を読んだりサイトで勉強している。そのあと続けている人もいれば辞めてしまった人もいる。
ともかく、2年もあればプロや最上位に追いつけるのが麻雀の勉強量だとすると、実力の平均化は恐ろしく早く進む。
あとやっていることと言えば運ゲーによるギャンブルだけである。
技術的な部分で成長を感じられるうちは楽しいだろうが、技術的な部分がほぼ行き詰り運ゲーに片足を突っ込み始めたあたりで「ん?このゲームもしかしてクソゲーなのでは?」と思い始めたら続かない可能性が高い。
それを楽しんで続けられる人間はいるのだろうか・・・。