麻雀が「強い」っておかしくないかと思う最近。
そりゃ素人とプロで比べたら強いというのは解るが、牌効率さえ覚えてしまえば、あとは運次第で。
長期的に差が出やすいのは守備面や押し引き。だが、これも運によるブレ幅の上下に比べたら影響度は微差でしかない。
この運ゲーで「強い」って何?
メンタル? 運? 思考力?
何にしても他の競技で問われているような部分ではないと思う。
MTGもそうだが、ランダム性を含んだゲームというのは実力以前の展開になることが多々ある。麻雀はその典型だし、それ以外の展開が無い。
MTG=マジック・ザ・ギャザリング という海外主力のカードゲームであるが、アナログの時代から人気で、日本だと遊戯王などがその模倣ともいえる。現在ではMTGアリーナというアプリケーションを通じてデジタルでもプレイできる。
スマホではシャドウバースというカードゲームのアプリがあるが、初期はプレイした統計で圧倒的に先手有利で、後手になるとほぼ勝てないというバランスだった。そこから後手に様々なハンデが追加されている。(それでも先手有利が揺るがない)
囲碁もかつては先手が完全に有利で、後手が6.5目(自分の石6.5個分)のハンデが付けられる。(というかこれも近代でも5.0だったのが、追加されて6.5になっていた)
先手後手のあるゲーム、さらにランダム性を含まないものはバランス調整が難しいのだろう。シャドバはMTGと同じく山札からカードをランダムに引くゲームだが、MTGも同じく「先に場にカードを置ける」というのはとんでもない有利だ。これが覆ることは絶対にない。
そこでランダム性がものをいいやすい。
常に先手有利の展開であっても、例えば先手がそこから有用なカードを山から一枚も引けずに後手のほうが有利になるまで何もできない展開もある。(囲碁においてはこれが存在しない)
後手の不利が覆るほどの不運を先手が引き当てれば、後手にも勝機が生まれるというわけだ。もちろん後手がそこまでスムーズに有用なカードを引くことが前提だが。(こうなると結局は運ゲーと言われることになる)
・麻雀における「強い」の用法
他の競技においてもメンタル面が重要であるのは言うまでもない。運が勝敗を分けることもある。麻雀やMTGにおいても「技術・メンタル」といった面は上を目指すプレイヤーなら当然、備えてくるところだ。
そのうえで競って、結果は運次第。
これを「実力勝負」とは思えないから、麻雀が強い。という言葉に違和感を覚える。
冒頭で述べたように初心者とプロを比べて「プロはさすがに強いなぁ」というのは解るのだが、「AプロとBプロは、Bプロのほうが強いね」みたいな言い方はできない。
放送対局でBプロのほうが勝ってるとか言っても、そんなの数局じゃん!となってしまう。シーズンのMリーグでさえ選手一人の登板は25半荘前後。
ネット麻雀で25半荘なんて言ったら「そんなの参考にならないから1000半荘くらい打ってから平均だして」と言われるのがオチだ。
Youtube配信のコメント欄などを見ても「強い!」というのは、大体が「運が良い!」「豪運!」「強運!」といった意味で使われているのが解る。
「残り一枚の3pをツモってくるなんて強いなぁ」「ドラ3枚重ねるとか強すぎ!」「対面ずーっとアガってるな、つよ~」といった具合である。
「打牌が強い」というときには別の意味になるが・・・。(押しが強いの意味)
麻雀における「強い」というのは、結局は運だと無意識に理解しているのだろう。
運で他人を比較をするの馬鹿らしくないっすか、と思うのであった。