運ゲー否定派/肯定派

何となくTwitterで麻雀、運ゲーあたりのワードで検索してみたら少し前にプチ炎上っぽい発言があって、色々と言及も見れたのだが。プチ炎上っぽい発言元は運ゲー派で、そこに言及がつらつらと。

 

・不完全情報ゲーム=運ゲー

まずは「そもそも運要素があるゲーム」という点をまとめて「運ゲー」と呼称しているのか疑っている陣営。

技術介入もあるけど運要素もあるゲームは多々あって、それをまとめて運ゲーというのなら、かなり範囲が広いよね。という意見。

 

まぁこの定義で麻雀を運ゲーと言ってしまうと、MTGもトランプもいわゆる不完全情報ゲームはすべて運ゲーということになってしまう。

そこは運要素の占める割合の問題であって、もし運要素二割のゲームがあって、それを運ゲーだと言ってしまうのは苦しいかな。

 

・麻雀は運ゲーじゃない派

当然います。この派閥。もちろん麻雀をやっている人ならこれを完全には否定しない。技術介入も十分にあるゲームだから。

しかし、この発言をしている時期に幅があって、初心者から脱却して中級者あたりの人は「麻雀は運だけじゃない」というのを自覚的に発言しているようだ。

 

確かに中級者の時期はルールの次に、技術的に覚えることが多く、また実践的で効果的であるがゆえに「技術で勝てるようになる」と実感する時期である。このことは経験者であれば頷けるだろう。

だがこの先があるのが麻雀である。

 

・麻雀は運ゲー

中級者以上は再びここに戻ってくる。以前のトピックでも書いたが、技術的な差で勝率が上がるのは初心者を相手にしたときのみで、あとは中級者以上は「技術的にみんなが同水準になってくるので差が無くなってくる」のである。

 

もちろん超上級者までいけば微差でそれらと徐々に差をつけることは可能になってくる。だがそれらは100半荘や1000半荘の世界であって、一局ごとの要素としては運要素を下回る。

短期であれば技術や知識よりも運のほうが圧倒的な決定力を持っているのだ。

 

皆が同じことをやりだすのは他のゲームでもよくあることだ。MTGの大会では実力者が公表したコピーデッキが大量に出回る。そうなれば勝敗を分けるのはカードの引き次第であり、運になってしまうだろう。

だからこそ人よりも多くを学んでアドバンテージを得ることが重要になってくる。これは麻雀でも同じだ。人と同じことをやっていたら勝敗を分けるのが運次第なのは仕方がないのだ。

 

・そしてループする

麻雀プレイヤーとしての成長とは基本的にこの思想の繰り返しである。

「はー、運ゲーだわ」と結果に飽きれ、

運ゲーじゃないわ」と発見に学ぶ。

 

しかし最終的には運ゲーに行き着くのが正解だと思う。麻雀の選択肢は多いが、それでも限りはある。押すときは押すし、撤退しないときは撤退しない。それはリーチに最も現れている。打点が同水準と見込んだランダムな引き合い。リーチ同士の戦いでどちらが引くかは運である。ここに至っては人智を超えている。

 

例え長期の成績であっても、下振れを引かないまま最上位卓まで入れることもあれば、下振れを引きまくって何度も降格することもあるかもしれない。同じ実力の人間が同じように打ったとしても、この結果は同じにはならない。

その時点で長期で見たとしてもランダム要素のほうが強いのが麻雀だ。

 

プロの誰かも同じことを言っていたがTwitterに面白い発言があった。

「麻雀は毎回の一打ごとに問いと答えが違うゲーム」

それはそう。状況がいつも違う。

だからこそ面白みがあるのだろう。(他のゲームも大体そうや)