ツイてないときの麻雀の話

私は基本的にパチスロのように「当たるまで回すだけ」というゲームが好きではない。面白くないからだ。自分は座ってボタンを押したり、レバーを握ったりしているだけ。

しかしパチンコやスロット好きな友人たちに言わせてみれば技術介入や知識も必要になる遊戯だとは聞く。実際に話を聞いてもそれは納得だ。

だが私は「演出が熱い!」といったことがピンと来ないので楽しめない。好きな人はそれが堪らないらしいのだが、やはり私には向いていないのだろう。

 

以前のトピックでも書いたが、それでも麻雀は好きなほうだ。

それなりに技術介入があると思っていて、駆け引きなども楽しい。だが数を打っていると本当に「上振れか、下振れか」というだけで、ゲーム展開はほとんど関係なくなり、味気なくなってくる。

実力など無関係なツモアガり連続の展開。リーチ合戦でも一人だけが勝つ。鳴いてもオリてもどうにもならない。最後には必ず逆転される。自分はクズ配牌とゴミツモしか来ない。こうなってくると座って牌を切っているだけのbotになり、ゲームに関与することもない。

 

AI検討のトピックにも書いたが麻雀の勝敗は大差であることが多すぎるのだ。「微差の選択で結果が変わっていた」ということがほとんどない。あったとしても「次順で聴牌するからオリなければアガれていた」など、エスパーでなければ判らないような手順だ。

 

麻雀はカジュアルなゲームであるため、底も浅いといえば否めない。とっつきやすい分、そこまで複雑な選択が必要になることもない。

「麻雀は運ゲーだ」と達観してしまう人たちは、大体この領域までやり込んだのだろう。そこで気づくのだ「人の手で何とかなる部分が少なすぎないか?」と。

ランダムに場況が変化するからこそ毎回違った楽しみを与えてくれる麻雀。だが段位戦など「ポイントを稼ぐ」という目的になったときには、ポイントの上下だけしか達成感はなくなる。内容よりも結果になり、結果は運でしか変えられない。

そして上振れを引くために数を打つだけになっていくのだ。

 

・飽きると集中力も無くなる

何事もそうだが散漫とすると注意力が落ちる。そういったときは一旦、そこから離れるのがいい。楽しんでいるときの集中力というのは頼もしいものだ。他のプレイヤーがそういった状態で打っているのであれば、散漫とした状態では良い結果も逃してしまう。

 

麻雀というものにおいて、単一のアプリ内で運の上下はあるものの、アプリを乗り換えても面白いように不調が続く。結局、麻雀そのものが理不尽なものだと思い知らされる。最終的には負けが込みすぎて投げやりなゼンツになり意味の分からない手を打ってしまう。

麻雀において「一定期間アガりが無い」というのは本当に良くない。無意識に押すようになってしまって、気づかないうちにゼンツになっている。

 

「負けたときには時間をあける」という方法もあるが、私の場合は「良い感じにアガれていないときは止めたほうが良い」と考えている。ノー和了の2着ということもあるのが麻雀だ。そのときに「ラスは引いていないから」と続けると、和了を目指して強く打ってしまうことがある。

無意識にこれが起きてしまうのが厄介なところだ。

 

ヤキトリで負けた次の半荘など酷いものである。東1から親のリーチに突っ張って、「ずっとアガりが無いんだ!」と気分は昂っているものの、今の半荘は25000点の平場。前の半荘のことなど関係ないのだ。

だがイライラしていると、そんなことにも気づかない。気づけば白ポンなどして後戻りできない手牌になっている。

 

麻雀は基本的に「勝てないゲーム」だ。しかも20%は必ず負ける。下振れているときは更にだ。「勝ちたい!」と思っているときにやるゲームではないと思っている。

「のんびりやってラス回避できればいいや・・・」くらいの気持ちのときでないと打ってはいけないのだ。

麻雀を打ちたいのにやってはいけないとは、何ともつまらない話である。