麻雀強者が早くて強いという錯覚について

あなたは今日から上級卓で戦えるようになりました。

1局目、いきなり対面が3巡目リーチしてきました。ほどなく自摸

2局目、次は下家がポンして5巡目でロン。

3局目、上家の親がダブリー。

 

・・・とまぁ、こんなデビュー戦だったとしましょう。

「上級卓ってこんなのばかりなのか!?みんな強すぎる!無理だよ~~」となることでしょう。

 

さて、いつもの文法に戻るが、これは錯覚もいいところである。確かに上級卓ではこういった展開が無いこともない。何せ全員がミス無く最速で聴牌してくる。リーチや鳴きが入っていなくても愚形や安手の聴牌をダマっていることもザラだ。

しかし言ってしまえばそれも「運が良いから」というだけである。クソ手はクソ手なのだ。

 

クソ手のときは絶対に無理して攻めることはしない。極端なことを言えば配牌オリや字牌を確保してのホンイツ七対子を目指す。そこで先制を取られたら素直にオリるのだ。

これが初中級者にはわからない。毎回すべての局で「手を作らなければ」と考えている。だから先制を取られたり、早いリーチでてんやわんやしてしまうのである。

 

冒頭の例を見ても、下家、上家、対面、とそれぞれ早い手で攻めてきているが、誰かが攻めているとき残りの2人は静かなのである。これが「自分以外の全員が必ず聴牌して3人リーチになる」というのであれば「上級卓はやべえ」という話になるのだが、「誰かが聴牌して残りは大人しくしている」というのであれば普通のことだ。

 

上級卓では押し引きがハッキリしている。微差を争うこともあるが大体は大差なので迷うことなく攻めかオリかを選択できる。先制を取られたり、高打点が見える鳴きを入れられたら基本的にその時点で「引き(オリ)」なのだ。

この「引いた側」の存在は目立たないため意識されにくい。デビュー戦のあなたは「みんな強いよ~~」となっているが、手が作れなかった側はベタオリしているだけで別に強くはない。だが、そこには目が向かないのだ。

 

「3対1」で見たときには「自分以外の誰かが攻めてくる」となってしまうが、「1対1対1対1」で見れば「あの人は最初にリーチしてきただけで後は何できてない局が続いているな」と気づけるはずだ。この視点が大事なのである。

 

・実際には早い人が先制を仕掛けているだけ

「強いから、早くて高打点ができるんだ」ではなく、「高打点が早くできたから打って出ただけ」であり、「それ以外はオリている」のだ。

強い/弱いは関係がない。

麻雀が最終的に運ゲーに寄るというのは、こういうことだ。

 

初中級者は「強くなれば勝ちやすくなる」という思い込みがどうしてもある。それは麻雀においては勘違いだ。他のゲームなら確かに実力によって強者ほどアドバンテージを持っている。だが麻雀における技術的なアドバンテージは薄い。(いつも言っているように一定以上は8割がた運だ)

 

たまたまそう見えたとしても、それは「そのときその人が運が良かっただけ」なのだ。そして運が悪いときに上級者は「目立たない」のである。自分のシャンテン数が遠く、打点も無いのであれば場から気配は消えていく。そしてまた自局で配牌を貰ってからやり直し、その繰り返しだ。

だが初中級者は毎回勝負を仕掛けようとする。段位で下のほうの争いはリーチの打ち合いになっても打点は読めないことが多い。通常、上級卓であれば追っかけリーチは高打点であることがほとんどだ。

 

先制リーチというのはそこまで打点が求められない。特に親であればリーチ平和程度でも充分だといえる。それに対して追っかけリーチをしてきた子というのは不利を跳ね返すほど価値のある手を攻めていると考えられる。そうなると要警戒になる。

だが、これが低段位だと成立しない。みんなリーチを打ちたくて打っているだけ。打点や押し引きは考慮されていないことが多い。この感覚を引継いだままの初中級者は上級卓でも怖いもの知らずなノミ手1000点の追っかけリーチなどを打っていくことになる。

 

・押し引きのない殴り合いは徐々に負けていく

打点の押し引きが無く、ただアガりだけに向かっていく打ち手はトータルでマイナスになりやすい。上述のように親のリーチに突っかかっていくとして、1000点のリーチのみと、12000点の跳満確定を毎回打っていたらどうなるか。

リーのみは負けたときに-13000点想定、勝っても+2000点。

跳満は負けたときに-13000点想定、勝ったら+13000点。

 

前者は-11000点の開きがある。これを毎回やって、たまに勝って+2000点を得たところで焼け石に水である。

一局目で-13000点になって、二局目で+2000したとしても全くプラスにならない。損得勘定が釣り合っていないのだ。殴り合わせる価値が無いといえる。

(安全確保の上でかわし手としての1000点などは異なる)

 

雀豪(三段)あたりの打ち手が伸び悩むのはこのあたりだろう。アガりに向かうのは楽しいが何でもかんでも突っ込んでいては駄目なのだ。「アガるばかりが麻雀ではない」のだが、守備の面はやはり楽しいと思えることは少ない。初中級者であれば猶更だ。

 

・上級者の鳴き判断

現代麻雀寄りのトレンドかもしれないが「高打点よりも速度のある中打点」が重宝される傾向にある。例えば私でも3900や5800といった打点には満足して鳴くことが多い。

もちろん面前でリーチまで行ければ文句はないが、相手が先に動いたり、河が聴牌近そうだったり、6巡目以上まで伸びてしまったりした場合には妥協しやすい。

 

最後の「6巡目で妥協する中打点」というのを「早いよ」と考える人もいるだろう。だが、実際に上級者卓ではそのあたりが境目だ。それを過ぎてもゆったりと高打点を目指して打っていてもアガれるチャンスは少なくなる。

自分の手がどうこうよりも先制を取られたり、先にアガられることが増えてしまうのだ。そうなれば自分の打点に関わらず、得点のチャンスは失われてしまう。

 

このあたりが相まって冒頭の「強い人のアガリはみんな速い」という印象にもつながっていくのだろう。3900や5800といったアガリはリーチした12000などに比べるとインパクトは無いが、リードとしてはかなり大きいといえる。

東風戦で3900は半荘戦の満貫に匹敵するという声もある。5200や5800は一度の上がりで30000点を越えるのも利点だ。序盤はともかく、中盤や終盤であればそのままの点差でトップで終局することも考えられる。

 

鳴いてアガれる5200と、リーチが必要な8000点であれば収支的に利益をもたらしてくれるのは5200のほうが増えるだろう。それだけアガれるチャンスが増えるということである。

でかいワンパンチと、強めのジャブを何発も当てるのはどちらがトータルでダメージを稼ぎやすいか。

 

ファイナルファンタジー8というゲームで、一定時間内に必殺技を出すときにド派手な技を出すよりも、一番基本の技を時間内に何度も繰り返すほうがダメージ量が大きくなるという現象があった。

だが子供の頃の私はもちろん見た目が派手な技を出していた。

ダメージ効率は悪いが見た目も派手だしカッコいい。

それはそう。

 

だが現代麻雀は地味なパンチを連発してダメージ量を稼いだ方が得、という感覚が強い。これを「楽しい」と思えるかは別だと思う。