勝てないときに勝とうとするのが無駄なのが麻雀

麻雀はどうやっても、どんなに上手い人でも、いずれは四着を引かされるゲームだ。

5回に1回はそういった展開を強制的に味わわされるのが普通。そう考えると勝てることのほうが少ないゲームである。

負けるときも、大体の人が何をやったところで負ける展開を組まされている。そもそも上級者同士であればお互いに卓上でラスを引かないために、必要なことは半荘を通じて行っているわけで残りは運でしかない。

 

こうなってくるといよいよ「実力なんて関係ないな」という領域に突入してくるのだが、これをわからない中級者は結果論で「あそこでアレを切っておけば勝てたのでは?」などと言う。そんな指摘は大体が未来予知でもできなければ無理な話だ。

リーチしなければ次順でリャンメン変化していただの、鳴かなければ赤ドラをツモっていただの、そんなものは指摘のうちに入らない。

 

上級者同士になると「ツモり合い」の結果に委ねられることが多い。これは自身のツモ番のみならず、聴牌している相手のツモも含まれる。リーチではなく、鳴きの聴牌であっても引いたら負けの勝負(お互いに危険牌を切り合っているテンパイ同士)の勝負であれば、引く理由がない。

オーラス手前などであればまだ引く理由はできるが、オーラスでは特に退く理由がない。当たり牌を掴んだほうが負ける。そうなると運でしかない。

 

これがわからないと「あの牌は切らなければよかったのに」といった指摘になる。条件が残っていない場合は「掴んだら終わり」というのも仕方がないことなのだ。

もちろん抑えて切らなければ手代わりしたかもしれない。他家がアガって凌げたかもしれない。

だが、自分が聴牌いしていて、確実に当たるかはわからないのだから切って通って、次順で相手が自分の当たり牌を掴むかもしれない。あるいはツモって終わってしまうこともある。

 

オーラスのような切羽詰まったラス争いの状況で「じゃあやめよう」という押し引きが得であるとは考えにくい。何せ1,2着の他家はこちらのラス争いなど知ったことではない。安全牌を切ってオリるだけだ。

そこで自分までオリてしまったらライバルが好き放題にするだけである。

そんなときに「危険牌を掴んだのでやめます」とはできないのだ。

 

掴んで負けならそれで終わり。

それで終わりなら、その半荘はラスが決まっていたというだけのこと。

麻雀は選択肢があるように見えて実際には選択の余地がないことがほとんどだ。このまやかしのような選択肢があるから「実は回避できたのでは・・・?」と考えてしまうのだ。だがハッキリいって何もできないラスというのは珍しくとも何ともない。むしろ普通のことだ。

 

こういうときは半荘や局ごとに考えるのではなく、10半荘のうちに引かされる無理矢理なラスと考えるしかない。

どうやったってラス率は20%前後に留まるし、どうやったって誰かがラスを引かされるのが麻雀なのである。

「そういう半荘だったんだね」「1/5で掴む負けゲームだったね」と割り切って、さっさと次に向かったほうがいいのである。