和了無しは絶対に勝てない話

初級卓であれば和了無しの2着などはザラであるが、上級卓になると和了無しの1,2着というのはほぼあり得ない。誰でもどこかでアガりのチャンスは作ってくるのが当たり前だからだ。

約8局の中で全て聴牌逃しのミスをするプレイヤーは上級卓にはいない。

しかし、運悪く全局アガりまで辿り着けないことはある。そうなると、どんな強者であっても勝ち目がゼロなのは言うまでもない。

 

こういった展開はどんなに実力があったとしても回避できるものではなく、麻雀における理不尽をよく表している。「これがあるから麻雀は嫌いなんだ」という人がいても反論する気は起きない。全くその通りでしかないからだ。

続けるプレイヤーは「まぁ…こういうこともあるのが麻雀だから」と理不尽を受け入れている。自分が勝ったときも相手は理不尽な思いをしているのだから当然だ。麻雀はその応酬でしかない。

 

さて、上級卓になると回避が重要なのはもちろん、アガりに向かわなければ勝ち目は出ない。アガりのないプレイヤーがどれだけ回避し続けたところで勝ち目はないのだ。

ラス回避の面においても「一回もアガりがない」状態で勝ち目はない。なにせ「全員振り込まないのが当たり前」の卓ではツモ以外に失点はない。ツモで差が付くのは親被りだけだ。

あとはアガって差をつけないとラス回避もおぼつかないのである。

 

ゆえにここでもう一度、攻撃参加を積極的にしていく必要がある。

 

先ほどの卓で、私が東2で3900点をアガり、振り込みがないまま。親被りの役満自摸のみでラスを引かされた。

そのときに「アガらないと負ける」と必死にあがくも、どんどん負けを引かされる負のスパイラル。麻雀はこうなるとどうにもならない。チャンス手が入って先制を取ろうが、運良くダマテンで危険牌も引かないままトップ目の人間がロンする。

そんな展開ばかりになる。こうなるともうかわすとか、危険を避けるなんてやっても仕方がない点差になり、結局はゼンツ。そしてラス目のことなど誰も相手にしない。ツモれなければアガりを拾えず終局する。

 

回避するのが当たり前になると、今度は「アガるのが当たり前」の世界になる。

そして「アガり」というのは実力ではどうにもならない部分である。

なにせ配牌も自摸もすべて運次第で、自分が何か関わっていくことは不可能なのだ。

 

牌効率などを重視しても、裏目を引くときは引く。確率の高いほうを選んでも裏目は引く。そういうときはもう何をやっても無理なのだ。

アガりは必須だが、実力でアガりは増やせない。

麻雀はどの観点で語っても運ゲーになってしまう。どれだけ突き詰めても、道の行き止まりには「運」という要素が道をふさいでいるのだ。