確率のゲームとかサムライの話とか

麻雀は確率ゲー。といえば聞こえは良いが、要は運ゲーである。

20%、30%、40%の選択肢があるとして、40%を選び続けても20%、30%のほうが当たってハズレを引き続けることもある。

それが得で当然の選択だとしても勝てないことがある。

 

そこも含めて楽しめるかも重要ではあるが、自分が確率という神に選ばれなかった、愛されなかったときの闇堕ち感もすごい。ルシファー並み(言い過ぎ)

「俺は正解を選んだのに、確率よ!何故だ!」となる。

神なんてしょせん気まぐれなもの。全知全能の神は忙しくて俺に気づかなったらしい。そんな皮肉も言いたくなる。

 

対して他家はバンバンアガると妬みでさらに闇が深くなる。

「どうして我は、ああはなれぬ・・・」

「なんでアイツらばっかり・・・」

「どうして自分は・・・」

 

こんなこと考えるようになったら麻雀、というかギャンブルから離れたほうがいい。

カラス天狗のメンタル本当にすごい。麻雀の技術以上にそこに感服してしまう。

「みんなで麻雀を楽しもうね!」 おお、なんという光属性・・・。

 

闇属性だなー、自分。

 

 

・島国の狂気 戦国時代

「こんな狭い島国で何百年もぶっ殺し合ってる」

「なんで脅威が無いのに人間同士で殺し合わなければならない」

 

漫画のセリフなんかでよく言われますが。

まぁ当時からしてみれば、その島国の中で国を分けて群雄割拠していたわけで。今でこそ地球規模で見て「日本」という国に治まってはいるが。

当時、国内で戦術や剣術を磨き続けても、そこから国外に打って出るという発想はあまりなかったとされている。

 

中国や朝鮮方面に戦を仕掛ける準備は何人かの人物が成そうとはしている。だが、あまり現実的ではなかったというか。それよりは当面、国内のぶっ殺し合いのほうが重要だった。

急に何の話かといえば、「麻雀」って海外だとマイナー競技なんですよね。

囲碁なんかは中国や韓国のほうが強豪という話もありますが。

 

そういったものと比べても、リーチ麻雀は日本を出て「世界で戦う」という必要性を感じない。サッカー、野球、陸上・・・。その他もろもろと比べても、麻雀というもので世界と戦う舞台は多くはないだろう。

じゃあ、いま国内で麻雀の高みを上り続けるのは何なのか。

 

またやっていると思ったわけですよ。戦国時代のサムライのぶっ殺し合いを。

国内でズバズバ斬り合いして、純度の高い戦いを繰り返して、でもそれを「ここ」以上に活躍させる場所はない。なのにそれに憑りつかれている。

異常って言われてもそりゃあ仕方がない。

 

でも人間そういうものなのかもなぁ。

世界で戦う日本代表の麻雀選手。

見てみたいがよ、対戦相手はちょっと困る。中国はともかく、欧州、南米、北米、アフリカ大陸、オセアニア、どこを見ても麻雀を打てるだけでも珍しいだろうし。

 

いや見てみたいし、WRCやネット麻雀だと実現している対戦もあるけど。お祭り感のほうが強いしなぁ。

カーニバルのために、一手違いで刺すか刺されるかの争いを極めているわけじゃないんだろうがなぁ・・・。やっぱり対戦相手がもっとほしいなぁ。