もう世論としても「麻雀は運ゲー」というのは覆せないと思います。
運の要素が圧倒的過ぎて、実力なんて遠く及ばないゲーム。
そもそもネット麻雀に限定しても、二週間で中級者レベルにまでなれて、二か月で上級者レベルにまでなれるなんてゲームとしてカジュアル過ぎる。
覚えることが圧倒的に少ないゲームなんですね。すぐに必要なことを覚えて運ゲーの領域に到達するまでが速い。そうなると飽きるかハマるかは人を選ぶわけですが。
ネット上の多くの記事で「運ゲーだ」と言っている人達も、「運ゲーであってほしい」から運ゲーだと言っているわけじゃないと思うんですよね。
事実として、結果は運ゲーとせざるを得ないけど、調べる前までは「もうちょっと実力が絡むゲームであってほしかったなぁ」という思いがあったんじゃないかと。少なくとも自分はそうです。
でも調べても、実践してみても運ゲーすぎて実力なんてどうでもいいことのほうが圧倒的に多い。理不尽さが思考力や判断力を上回る展開ばかり続く。そこで「1000半荘打てば実力が出る」という方便。
まぁ、0ではない。確かに5%くらい差が出るかもしれない。でも、その5%のうち、たぶん3%くらいも「運」ですよ。それを「実力」と思わされてるだけ。実質、実力ゲーになってるのって1~2%じゃないですかね。
世間じゃそれは「運ゲー」の部類なんですよ。5%のままだとしても充分に運ゲー扱いだと思うんですよ。
・麻雀との付き合い方
以前にも書いていますが、自分は「ギャンブル」は基本的に好きではないです。お金を賭ける賭博行為とか、そういう話ではなく、要は自分がゲームに絡まない運否天賦だけのものが好きではないという意味です。
競馬なども自分が馬を走らせるわけではないし、パチンコなども自分が出玉の行方をコントロールするわけじゃない。「ランダムな結果に委ねているだけ」というゲーム性が好きになれないわけです。
野球でも投打においてはランダム性は絡んできます。ある程度までは反射速度だけで見てから打ち返せますが、そこから先は投手と捕手の選択、自分の予測したコースへのスウィング、これらがマッチングしないとヒットしないわけです。
でも打席に立つのは自分だし、スウィングも自分のものです。予想が外れて、コースを外しても自分せいだし、スウィングが不十分でヒットにならなかったとしても自分のせいです。
相手のデータから球種やコースを読んでもいいし、スウィングの練習をして精度や威力を上げてもいいわけです。
でもパチンコや競馬なんかはどれだけ予測などをしても基本的に余所任せです。自分ではどうにもできないというか、自分がゲームに絡んでこない。パチンコやスロットが好きな友人たち(現代のいわゆる儲からない利率でも好きで打っている人達)を見ていると、やはりその「ランダム性そのものが好き」ということなのだろうなと思わされます。
確率への挑戦というか。理論値の証明というか。
麻雀も突き詰めるとここに行き着いてしまうのが自分的にはもう面白くなくなってしまう所かなと。
RPGでレアアイテムをドロップするために周回して手に入れるなどは好きなほうですが、その場合は「勝ち負けが決まる」とか「対戦者で優劣が付く」ということはないのでイライラすることはないのでしょう。
ランダム性で勝敗がつく。
これってよく考えたらものすごいイライラする要素ですよね。
だって負けても「俺なにも悪くないんだが」が発生するわけですよ。
逆にチンチロみたいに見るからに実力が絡まないゲーム、と最初から判っているほうがストレスはないでしょうね。麻雀は中途半端に実力が絡むと錯覚させられるから余計にイライラしてしまう。
勉強や練習をして出てきたのに、それらがまったく活かされる間もなく一方的に運だけで負けることもある。そりゃ「何が楽しいんだ」となりますよ。
(いま麻雀の悪い部分だけを強調していますがね)
・真剣に取り組むほどキツくなるゲーム
真面目にやるほどつらくなるゲームだと思います。本当に。
やっぱり最終的に行き着くのはパチスロみたいなランダム性の確率勝負であって、駆け引きとかはオマケでしかない。試行回数を増やして当たりを引くまで続けるだけのゲーム。
麻雀上級者にギャンブル好きが多いのも当然というか。自分みたいに「ギャンブル面白くない」という人間が続けるのはやはり無理なようです。
かといって将棋やるかと言われたら余暇にそこまで時間を費やして学ぶモチベーションも今のところ無いし、そこは麻雀のカジュアルさがいいわけですが。
最近そこまでハマるものが出てきていない、というのも惰性で麻雀に手を出してしまっている理由にはなっている気もする・・・。
まぁ麻雀はこうやって数年ごとにやりこんだり、飽きがきたりするゲームなので。でも雀魂ブームのあとはしばらく動きはないだろうなぁ。
天鳳のあとに雀魂が流行るまで15年は経ってるだろうし。