ギャンブル障害の患者を700人見てきた精神科医の先生によると、ギャンブル障害の本質は「同じ行為を繰り返しながら、違う結果を期待する」ことらしい。狭義のギャンブルに限らず、この状態っていろいろな表現活動や仕事でも陥りやすいから気をつけないとな。
— 星子 旋風脚/Merry Men Inc. (@senpookyaku) 2024年6月4日
言わずもがな麻雀はこれに代表されるギャンブルである。
難しいことをやっているようで実は単純な繰り返しで、かつ結果はランダムに違うものが生み出される。突き詰めてしまえばパチンコやサイコロ博打と変わらない。将棋や囲碁のようには決してなれない存在。
最高の選択肢を選んだとしても、良いときもあれば悪いときもある。
これを「麻雀は運ゲーじゃない」なんて言う人間はどうかしている。
麻雀は紛れもなく運ゲーでありギャンブルに過ぎない。競技には決してなり得ない。
それでもMリーグをはじめとする観戦できるエンターテイメントとしては成り立っている。だがプレイヤーにとっては「努力や才能が報われるとは限らないゲーム」なのだ。
努力や実力が反映されないのであれば、一般的に競技とは呼称しにくい。
もしトレーニングを積み重ねてもそれが反映されるのが難しい競技があったらどういう扱いになるだろうか。
井上尚弥があれだけハードでストイックな日々を送っても、試合結果が運で簡単に覆ってしまうのであればチャンピオンのベルトもさぞかし軽いことだろう。そうではないからこそリスペクトが重いのである。
麻雀のチャンピオンは何というか「時の人」というような感覚を受ける。
みんな実力はある程度は平坦で、その中からその時に運のいい人が抜けて出る。そんな感じである。
とはいえ、そこにドラマが無いと言ったら噓になる。最後まで諦めずに打つ姿勢が奇跡的な逆転劇を生むこともある。(まぁ、それも運次第なんだけど)
それがまた冒頭の依存を深める原因にもなるのだろう。
まぁ、現代にいたっては麻雀に限らずゲームでもガチャでも同じような依存性は存在する。それがたまたま麻雀だった人たちもいるという話だ。