麻雀界に絶対王者がいないのは正直なことだと思った話

最近ちょっとここ十数年の麻雀界を振り返ることが多かったが、常々「麻雀に絶対王者がいないのは運ゲーの証だよね」という話。何となくマイナスイメージに捉えられるかもしれないが、これは実際には良いことだと思う。

麻雀とは「絶対の勝者はいないのが当たり前」なのだ。つまり、もし「絶対王者」とか「無敗の達人」なんてのがいたら、それこそ「嘘つけよ」ということになってしまう。

 

フィクションの世界でこそ娯楽として機能するが、現代の競技めいた麻雀においてそんな人物がいたら不正を疑われることになる。

もちろん短期的に勝ってばかりでシーズンを終える、くらいのことは幸運が続けば無いことはないだろう。Mリーグでも記録に残るような選手はそういった活躍をする。

その反面、まったく勝てない選手も出てくる。その偏りやブレこそが麻雀やギャンブルそのものの姿なのだ。

 

一時期、MTG遊戯王などで歴代のチャンピオンが君臨した時期があった。しかし、彼らは戦略に長けたわけでもなく、幸運に恵まれたわけでもない。

マジシャンのカードテクニックを使って不正を行っていたのである。自分の引きたいカードを山札の任意の場所に置いたり、隠し持ったカードを引いたふりをした。

しかも彼らは放送対局でもこれを行い、記録がビデオに残って今でもYoutubeなどで見ることができるようになっているだろう。

 

MTGなどのカードゲームも非常にギャンブル性(ランダム性の意味、賭博行為ではない)が高く、勝敗がカードの引き次第になることは容易に想像できる。

これらのカードゲームは自身で考えたカード構成でデッキを構築し、それを基に戦術を駆使する楽しみがある。だが、チャンピオンの使ったデッキと同じものを素人が組むことも可能なのだ。

デッキ構築のアイデアやセンスは序盤にこそアドバンテージがあるものの、それが知れ渡ってしまえば利点は無くなる。

 

そうなると結局は誰もが同じデッキを使い始め、あとはカードの引き次第という運展開になってしまう。

麻雀においても過去に何度か指摘しているが、そうなると確実なものというのはイカサマをおいて他にないのである。

プレイヤーの実力がもはや関わらない、完全にランダムな要素しかない領域に足を踏み入れる。だからこそマジシャンのカードテクニックを用いて欲しいカードを確実に手札に入れるようになる。

 

麻雀の競技界において、将棋の藤井名人のような存在が生じにくいのは業界にとってはアピールポイントに欠けるかもしれない。

「強い人」と言われても、その人物でさえ年間の成績が偏って勝ったり負けたりが大きく変わることもある。前年のチャンピオンがアッサリと負けてしまうこともよくある。

見ていれば判るが、実力を発揮したとしても勝てないときは勝てないのだ。だがそれは結果で見たときに理解されにくい。

 

外部へのアピールという意味では広告塔となるような王者が居てくれたほうが助かるだろう。だが麻雀においてそれが確立することはない。

もし、そんなことがあれば不正を疑ったほうがいい。

麻雀界に絶対の勝者はいない。しかし、それは現代麻雀がギャンブルというものに正直であることの証左だと思う。