最近、お気持ち案件について書くことが多い気がします。
「麻雀は実力だ」について。
これもお気持ち案件だということは強調しなければと思いました。
当ブログでは散々、麻雀は運ゲーだと連呼しているのですが、それでも世の中からは「麻雀は実力」という声はなくならないわけです。では、なぜそれが無くならないかと言えば、それは「あ、そうですよね。実力ですよね~」と相打ちする迎合した空気が求められているからです。
なので、心の中ではいくら「こんなの運ゲーだろ」と思っていても、あまり大声でそれを言っては、はしたないということになる。
(まぁ、その吐き出し口として、こんなブログが生まれてしまったわけですが・・・)
以前も書いたようにプロに対して「運ゲーですね」とは言いづらい。
放送対局のインタビューでも「いや~、ツイてなかったですね」「運が悪かったですね~」と毎回コメントしていては失礼になってしまいます。
プロに対しては、たとえポーズであったとしても内容について触れないと、運だけで片付けるのは裏を返せば「(あなたの)実力ではどうにもできなかったですね」という話になってしまいます。実際に実力と関係ない運の悪さもあるとは思うのですが、プロ側の立場で見れば「それでも勝つ/負けないのがプロ」と思われたいものでしょう。
アマチュア相手であれば負けても「運が悪かったね、次がんばろう」で済みますが、プロに対しては「運のせいで実力じゃないですよ」という励ましはタブーなわけです。
悪い意味でいえば「お前の実力じゃ、どうにもできんかったな!ウチに帰ってママのおっぱいでも吸ってな!」ということになってしまうのです(ならない)。
だから「麻雀は実力」という方便が消えないのです。
実際に麻雀は勝っても負けても運です。でも真実を言えば良いわけでもないのが世の常です。他人に対して本音を言うばかりが人生ではありません。
やさしいウソというのもあるのです。
あなたが麻雀で勝ったのは実力です。
あなたが負けてしまったのも残念ながら実力が及ばなかったからです。
努力不足です。次にもっと頑張りましょう。
麻雀は実力です。
追記:
子供の頃に親や兄弟とトランプをした記憶があります。
そこで何故か私は勝つのです。
私が「自分は強いのだ」と勘違いしているところに親戚のおじさんが来て、「なんやトランプか!わしも混ぜろ!」と参入して、「ガハハ!またワシの勝ちじゃあ!!」と連勝しまくります。
幼い私は「さっきまで勝てていたのになんでだよ~」と、内心くやしくて泣いてしまいます。
この話の教訓?
ヨイショされて自分に実力があると勘違いした愚か者の話と、空気を読めない大人の話です。