麻雀本と昔の自称プロの話

麻雀本を読んで勉強しようと思ったときに、どういう本を読めばいいのかという話。

初心者ならまずはルールブック。

ゲームの進め方、手役の作り方、点数の計算(符計算はまぁ後回しで…)、マナーなどを学べる。このあたりをざっくりと紹介した本は珍しくないし、それこそ今ならネットの記事から、ゲームアプリ内のチュートリアルで学べることもあるし、動画でも学べる。

 

次に中級者なら牌効率や守備の基本を学ぶ。

このあたりになるとそれをテーマとした書籍を買って学ぶのが良いかと思う。

動画などではこのテーマひとつに絞って、1~10まで説明するのは難しく、大体15分くらいだと一章くらいの内容で終わってしまう。

全体を通して徹頭徹尾、学ぶことができるのは書籍がいいかなと思う。

 

上級者はもう好きなものを読めといった感じだが、統計データによる押し引きを学んだりすることが増えるだろう。

あとはプロ雀士の本を読んで思考をなぞるといったトレーニング法だ。実際に牌姿を並べながら思考するのは良い勉強になるだろう。

以上が麻雀を本で学ぶ段階になるかと思う。

 

初心者はMリーグなどを見て、「わぁ、松本プロの出している本から読んでみよう!」と興味を持つかもしれないが、それは勉強段階でも最後の最後といったものになる。

初心者が手に取って読みやすい内容であることは、ほとんどないだろう。

もちろん千羽Vにしても初心者向けの本を執筆していることもある。その場合は問題ないだろうが、ほとんどのプロが出している麻雀本は「麻雀がある程度わかる前提」であることが大半だ。

 

このあたり書影(カバーデザインなど)と内容が剥離しているのだが、もともと麻雀本の売り方として「○○○プロの打ち方がわかる本!」といった売り出し方をされやすい業界なので、プレイヤー(キャラクター)と一緒に打ち出したほうが消費者に届きやすいのだ。

何のパッケージデザインも無い麻雀本と、現役トッププロが表紙を飾る本では後者のほうが売れやすい。ゆえに、どうしても人物とセットで売り出されてしまうのだ。

その結果、初心者や中級者になったばかりでは、読んでも意味不明な解説本に手を出すことになってしまう。

 

最近だと多井プロや園田プロの出した本があるが、「Mリーグだったら」というシチュエーションが前提の内容も少なくない。麻雀というのはルールで打ち方が大きく変わるゲームであるがゆえに、どのシチュエーションで選択肢が変わるかは重要な要素だ。

そこを自分で考えて調整できる実力が無ければ、「雀魂で多井プロの本にあった打ち方をしたけど、なんか損していることが多くなった気がする~><」ということが起きるかもしれない。

「プロリーグや団体戦だと有効な打ち方だけど、ネット麻雀だとこっちのほうが良いよね」という自己判断が必要になってくる。

 

だが、その判断ができるようになるまでの基礎を学ぶ本は手に取られにくい。崩しがたいパラドックスが存在する。

まぁ、こういったことは麻雀に限らず、どの業界・ジャンルでもあることだ。

基本を学ぶという地味な部分をすっ飛ばしたくなるのは人間の性である。

 

・大昔の自称麻雀プロ

昔もいわゆる「麻雀プロ」という肩書はあったようで。ただそれも現代のプロと比較すれば「パチプロ」みたいな曖昧な定義や自称といったレベルものしかない。

パチプロなんて、別に試験も資格も何もない、ただパチンコやスロット(パチスロ)で生計を立てていると自称しているだけの人間にすぎない。

昔の麻雀プロなんてものそれに類するものに過ぎないのだ。

 

某連盟の会長なんて、点棒を投げる、同卓者のことを悪く言う、負けたら周りのせいにする、バチバチ強打する、などなど・・・。

現代ならマナーが最悪過ぎてプロだと名乗っても、どの店でも出禁を食らうレベル。

そのうえ麻雀理論もただのオカルトで、現代の確率論の前では「何言ってんだこいつ」としか思われないものしか出てこない。

 

とはいえ、昔も結局はこういった人たちをパッケージにして本を売っていたのである。

だから本の内容なんて二の次、界隈で有名な人物を神輿に担ぎ上げて神扱いし、それを表紙にして本を売る。

「有名なあの人が書いた本だから」と手に取って読む人が出る。それだけのビジネス。

 

まぁ、上述したようにそのビジネスモデル自体は今も生きているわけです。

それでも昔よりはマシというか、内容が伴っているというか。

昔のそういった時代の本を手に取って読む機会があったのですが、いやもう笑っちゃうようなことしか書いてない。

全部、ただのオカルトなんですよ。「流れとは・・・」みたいなw

 

たまに戦術的なことが書いてあると思ったら、現代では中級者なら知っているような定石しか書いていない(まぁ当時はそれが先端だったのかもしれないが)。

古い本にはありがちなことですがね。

 

ビジネスのためにモデルとなる人物が必要で、当時そこに都合のよかった何人かが適当に割り当てられて、美味いことそのポジションに収まった人物が今は麻雀界の重鎮みたいな顔して居座っている。

早く世代交代してくれないかなと願うばかりですが・・・。

現代麻雀、および現代雀士の前では笑いものにされるだけになっているのも辛いところはある。出てきては意味不明なことを本気で言って炎上し、馬鹿にされ、邪魔者扱い。

 

年配の雀士でも現代麻雀にしっかりと対応したコメントや内容の把握、あるいは軽く冗談など混ぜつつオカルトを語れる方々は偉大だったんだな、と。(まぁその年配の人達は自分達の全盛期の頃には”異端”扱いされて爪はじきに遭っていたんだけど…、時代がが追いついたのだ)

いわゆるアナログ世代は、現代ではもう時代の流れに追いやられている。

そしてそれに同情する人がどれだけいるのだろうか。

 

麻雀業界に限っては惜しまれる人物もいれば、早いところいなくなってほしいと願われるポストの人間も少なくない。(まぁサッカー協会や野球界にもいなくはないか)

今も麻雀業界はアレやコレや言われますが、それでもここ10年くらいでマシにはなったほうだと思う。

まぁ、そういう地雷発言やらしまくった当人の自業自得というか、その結果「あんたはもう出なくていいよ」になっただけとも言えるんですが・・・。

人柄って大事ですね。