時代から消えていく話

この世に生まれ落ちてから時代と共に歩むうちに、若い頃というのはまさに若者のために世界が動いていると感じることがある。

これからのために進む学問や研究があり、科学や医療がある。より良い生活や商品が自分たちのために出されているように感じる。

実際にそれは間違いではない。これからの若者のために世は色々なものを送り出している。

 

ところが、これもある頃を過ぎればそうではなくなる。若者向けの化粧品やファッションもいつしか自分に向けたものではなくなり、歳とともにそういった対象から自分が外れていくのが判る。

歳をとるたびに、世の中がどんどんと自分に向けたものではなくなっていく感覚がある。

 

麻雀においても他の何事においても、こういった諸行無常は存在する。

私が麻雀を覚えたての頃に学んだ戦術や定石はもはや使い古されて、全盛期を過ごした頃に学んだものが使い古しの粗大ゴミみたいになっている。

そういったことに感傷的になりながらも、日々、新しい戦術や研究に手を出していかなければ本当に化石になってしまう。

 

破滅願望をもつ人間はここで「自分の時代で無くなったのなら、こんな世の中は滅んでしまえ」と自暴自棄になったりするのかもしれません。

情報のアンテナの立て方もひとつ間違えるとトレンドとは違う方向に行ってしまうこともある。

自分の知らないところで最新の戦術や研究が出回っているかもしれない。

 

年配の雀士の方でも現役の方もいれば、体力的な問題などで見なくなった方々もいます。第一線を退いて実況や解説に重きを置く方々もいます。

一方で実況や解説に呼んでもトンチンカンなことしか言わないからお払い箱になってしまった人もいます。そういった人こそ、いつまでも自分の時代が通用すると思っている人なんでしょう。

自らも老いればそうなるかもしれないと自戒もこめつつ。