麻雀は偶然が起きやすいので、オカルトにこじつけやすい。
これも何度か記事にしているのですが、巷でも「根拠は無いけれど広まっている説」というものは実に多いものです。
後にそれが科学的な検証が為されて「効果なし」と実証されたりね。
ちなみに麻雀業界における「オカルト」という用語も正確な意味ではなく広まっているところがあります。
オカルトとは本来、「超自然的な力」を意味する語ですが、麻雀業界で使われている意味としては「デタラメ」や「無根拠」といったものになると思います。(本来のオカルト派は正しい意味で使っているのかもしれない)
この記事でもオカルトは後者の意味で使っていくとしましょう。
で、そういったオカルトにもルーツがある。大昔は別の意図があったものの、今は別の意味で使われている。そういった伝承や伝聞は多くあります。
・運動したあとに水を飲むな
これは戦時中に行軍中の兵士がインドなどのジャングルで生水を飲んで下痢などを起こしたことから伝わったと仮定されています。
日本の清流と違って海外の川や池の水を飲むのは、菌や寄生虫の観点から危険です。一度沸騰させてからでないと飲み水にはできない。
しかし行軍で疲れた兵士たちは、つい生水を飲んでしまうことが多かったと言われます。それを戒めるために「(本当は菌や寄生虫が原因なんだけど、それを言っても伝わらないから)行軍のあとに水を飲むな!」だけが伝わって、のちに「運動後に水を飲むな」になったと言われています。
FF10のゲームだと「神に感謝を伝える仕草」というのが、1000年前は「勝利のお祈りのポーズ」だったというネタがあります。
意味が違うけど形だけ残ってしまったという例です。
さて、現代でいうオカルトの中にも「実はこういう含みがあったんじゃないか」という打牌意図はあります。
例えば雀鬼流の「一打目に字牌を切ってはいけない」というもの。
これは桜井章一という昭和を代表する打ち手の一人が作った流派の教えのひとつですが、現代風にいえば「無駄な浮き牌を無くして、安全牌になりやすい字牌を持つ」とも解釈できます。
「だったらそう言えや」と思う人もいるでしょうが、上述したジャングルの例に漏れず、「正当な理由で言っても聞かない人」というのもいるのです。
子どもに「早く寝ないとお化けが来るぞ」「良い子にしていないと化け物が攫いに来るぞ」と窘めるのは全世界であることです。
麻雀界のオカルトの起源もそこだと思っています。
ただ、より正確に現代麻雀でいえば、一打目は「さすがに字牌を切って数牌を残したほうが得だな」というケースもあるわけです。
だからオカルトに縛られず、理論的に打ったほうが良くなる。
しかし、理屈ではなく信仰によってこれを支えている流派としては都合が悪い。
「アイツはあんな風に打ってるがいいんですか?」ということになってしまう。
かつて宗教がそういった側面を担っているところも歴史的に見ればあります。
現代でみれば医学的に感染症などを防ぐためと理解できる割礼の儀式なども、当時は理由よりも「そういう決まりで宗教で神の教えだから」で通します。
アルコールや薬物への依存が医学的に証明されていない時代には、「神は堕落を許さない」「勤勉を好む」といった教えで人々を依存から遠ざけようとした歴史もあります。
現代ではこれらは科学によって理論づけられています。
それは麻雀も然りです。
その名残がオカルトと呼ばれるものとして残っているのかと思います。
ただオカルトも時代と共に変化して生き残っているのだと思います。
自分は今の麻雀におけるオカルトって「面白い要素」になっていると思います。
一見すると「そんなバカな」と思うものの、偶然そういったことがあると、ついネタとして口にしてしまう。そういった華やかさがあると思います。
現代雀士として生き残れるかは難しいにしても、それでキャラクターとしては残りやすい面があるんじゃないかと。
手品師にもコメディマジシャンというジャンルがあります。
彼らがやっているのは最新のイリュージョンなどではなく、巷でもタネが割れている基本的なマジックだったりします。
しかし話術で面白おかしく見せてしまう。本来はその構成にこそ目が向けられるべき才能の持ち主たちがいる。
麻雀も競技として突き詰めるとオカルトの入る要素は減っていきますが、隙が無いわけじゃない。ランダムゲーで運ゲーだからこそ、デタラメが通ってしまうこともある。
そのときに不快感を抱かせるのではなく、「そんなわけないでしょw」「上手いことやられたわw」とエンターテイメントに変えてしまう技術が必要になってくるのかなと思います。