麻雀に従って悟ったこと

前回のトピックで麻雀に逆らわない、という哲学を思い描いた私。その心がけで打つこと数半荘・・・。

 

じゃあもうAIにでも打たせとけよ。

 

という結論に至りました。確率に従って手順通りに打つべくして打つなら、そんなものはもうAIにやらせとけ。人間がやる意味ねーよ。

ランダムな結果を出すのだけ自動処理でやっとけ。としか思わなくなった。

 

人間の理想形がAIなら、それこそAIにやらせとけ。人間がやる意味ない。

「なんて奴だ、AIみたいだぜ・・・!」とか言われたいならやればいいけど、理想形がAIなら人間がやる意味って何?

 

結局は人間がやる意味って「雑味」だと思うんですよ。雑念とか煩悩とか、それが人間味ってモンだろうと。

だから自由に打ってブレが出たほうがよっぽど良いんじゃないかと思う。

将棋や囲碁や麻雀がAIにとって代わられた、なんてのはもう10年や20年じゃきかないくらい前からで、AIより強くなろうなんて無駄な努力だし、人間の中で強くなるとか、リーグ戦で勝つとか、そういうのが必要になってくる。

 

麻雀を楽しむなら人間らしい、自分らしい一手があって良いんじゃないかと思う。プロが何を言おうが現状、地球上の全員がAIより弱いわけで。そうなると誰だって「その人なりの打ち手」にしかならないのが現代以降の知略ゲームの在り方なんだろうと思う。

麻雀はその点でエンタメに寄っているから、カラーを出すのが許されるというか。「必ずしも理想形や最善手を打つに非ず」が通じるので良い世界だなと思いました。まる