麻雀に選択肢が無い話の選択肢の違いの話

ややこしいタイトルですが。

A:「麻雀は選択肢が少ないゲームだ」と言うこともあれば、

B:「麻雀は選択に気づけるかのゲームだ」と言うこともある当ブログ。

 

ここで言っている「選択肢」はそれぞれ別のことなのだということをABそれぞれ解説しておこうかなと。

 

A:未来の選択肢はない

どのゲームでも「開拓者」っているんですよね。「今まで誰もやってないけど、こんなことできるんじゃないか?」とか、「こういうプレイスタイルの人って見ないけど実は有効なんじゃない?」とか試したがる人。

こういう人は新規性に着目することを楽しんでいたりして、逆に「人と同じことをやるのはつまらない」とか「すでにできてる攻略をなぞるだけじゃ面白くない」という感覚を持っていることが多いです。

ゲームのプレイスタイルとしては理解できますね。

 

でも日本式のリーチ麻雀にはもうそんなに大きく戦略が変わるほどの要素って残ってないんですね。

「リーチに対して3枚までは無筋を切っても大丈夫」なんてこともないし、「リャンシャンテンでも親の2副露に危険牌を切っても勝てる」というのもあまりないでしょう。

でも新規開拓をしたがる人達というのは、ここに突撃します。

 

すでに統計で「そんなことやっても無駄が多いだけ」と知れている戦略でも「あえて」逆らって体感することで学んだりします。これはもうそういうタイプの習性なので仕方がないです。

それでボコボコにやられた後に「やっぱ駄目だな!」と素直に定石に従えるようになれる人は強いです。

あとは万に一つもやはりそういったチャレンジで歴史が変わるような発見があることも事実です。発展途上のRTAなんかではそういった発見の面白みがありますね。

 

ただRTAにしても煮詰まるとやっぱりそういうのはなかなか出てこないです。

10年くらい環境が変わらずにいることもありますし、逆に定石に従って黙々と走っている人がたまたま偶然に新しい要素を発見することもあります。

やはり煮詰まったゲームの新規性っていうのは超レアなんですね。それを昨日今日始めた新人が「オレ何かやっちゃいました?」みたいな発見の仕方をすることはまずないと言えるでしょう。(10年以上やってる人でも見つけられないものをそんな簡単に…ね)

 

この観点で現代麻雀の研究している人がやっていることというのは、もう超微差の話で。定石を習っている新人が気にするレベルではないです。

だから麻雀講座の人達も「そんな細かいことよりも、中級のセオリーを守ったほうがトータルの勝率は上昇する」と指摘するわけです。

 

B:ゲーム中の選択肢は無数にある

まぁ、無数にあるって言っても結局選択肢の大半はオリ、防御側の牌選択にしかならないんですが・・・。

こっちの選択肢はAと違ってメチャクチャあります。これこそが麻雀の醍醐味ともいえるでしょう。

何を切るか、押すか引くか、手役を狙うのか、ドラの受け入れを見るのか...etc。麻雀は本来これらの選択を楽しむものだと思います。

 

Aを楽しみたい、というのは将棋や囲碁もそうですが「まずは既存の定石を全部踏まえたうえで言ってくれ」というものです。

それも抑えていないのに「オレが新しい歴史つくっちゃうよ?」なんてのはただのバカです。

無理とは言いませんし、その挑戦心はいいですが、それが1~2日のポッと出ただけの人間には無理だということは言うまでもありません。

 

いわゆる現代のビデオゲームであれば、そういった新規性というのは見出しやすいです。ゲームそのものの歴史がまだ浅いぶん、開拓されている要素も少ないということですね。

でも麻雀はもう歴史が長いです。アプデでその日のうちに環境が変わるわけでもありません。

現代麻雀の礎になっている統計も「せや、正確に統計取ったらええんちゃうか?」と思いついて、翌日に「できたで~」となったわけではありません。

その思い付きが生まれてから実行し、データを積み重ねて、解析して・・・。と膨大な手間の末にようやくひとつの結論が生まれているわけです。

 

・・・なんかBの項目なのに、またAの話してるな・・・。

 

まぁ、このへんBにもAが関係してくるのですが、ゲーム中の選択肢というのはAによって新たな部分が切り開かれて日々変化しているわけです。これは将棋や囲碁やチェスでも同じでしょう。

AIなど人間の脳よりも計算速度の速いCPUを用いることで微差を詰めてわずかな有利を見出していきます。

もはやそれを「人間が信じられるかどうか」という領域になっています。

 

麻雀ではそれが顕著です。統計でこっちが有利!と言われても、見た目は別のほうが有利じゃない?と逆らいたくなってしまうものです。

麻雀だから、というわけではなく将棋でもAIの一手を疑問に思って従えないプロは多くいます。特に過渡期だからそういった現象があるのでしょう。

新人の藤井竜王名人なんかはそういった面でAI検討に対して素直なのかもしれません。

 

うー~ん、将棋と麻雀でAI検討を比較するなら、麻雀はAIに従ったとしても結果が運次第なので「やっぱダメじゃん!AIの嘘つき!」「トータルでも微マイナスにしかならなかった!」ということがあり得るのが難しいところです。

だからこそ余計に「AIに従っても勝てない」「人読みにこだわったほうが勝てる」といった方向に行く人が出てきてもおかしくはないでしょう。

人間側が何らかの根拠があってAIを疑うのはよいですがね。