運は変えられない話と人のサガ

良いときと悪いときで差がハッキリでるのが「放銃率」「リーチ和了率」だなぁ、と。数字の変化を気休めという人もいるのですが、自分としてはもうあからさまにこの2つが悪いときは駄目です。(まぁわかったところでどうにもならん、という意味では気休めにしかならない)

良いとき・悪いときで、放銃率は 7% 12% で 5%の開きがある。

リーチ和了率は 60% 40% で 20%の開きがある。

 

短期でもそれだけ数字に違いがあれば成績に影響するのは当たり前。まぁ、もっと悪いときは放銃率 7%でも、こっちが全然アガれずに、周りがハネマン以上をツモりまくる展開なんてのもありますが…。

数字にはハッキリと出ているものの、じゃあこれを何か対策できるのかと言われたら、こっちはいつも通り打つしかない。結局それが上振れ下振れの結果なのだから、こっちが何かやったところで変わることはない。

しかし、それができないのも人間だと思う。どうやったって運は変えられない。けど、それを実力ゲーみたいに創意工夫で何とかしようとか、迷彩やボカしでアガれるようにしようだとか、能動的な考えに囚われてしまうのが人間の哀しいサガ。

 

牌譜検討でマズったな、と思うところを振り返るのは全然いいですが、それ以外に「こっちの手順にしたほうがいいんじゃないか」「この打法のほうがアガれるんじゃないか」とかやりだして、数字を無視しだしたらそっちのほうが勝率は下がっていくと思います。

それはもうオカルトの領域なんですよ。変えられない運を変えようとするのは。

「流れが悪いときはあえて悪い待ちにする!」なんてのも麻雀マンガではよく見るオカルトですが、例えば9pがみんなの河に速いのでカン8pが悪くないと愚形に受けたとか、そういうのなら別にいいですけど。

そうでもないのに山に残ってそうなリャンメンをわざわざ外して打つなんてやってたら損しかしません。

 

でもその正着でアガれないと狂っていくのが人なんですね。

麻雀がメンタルゲーと呼ばれる理由のひとつ。

なんだったら正着を引き続けても狂うのが人間。「毎回うまくいきすぎてる、そろそろ次くらいに裏目を引くんじゃないか」「もうこんなに調子よくアガれるわけないから守備的にいくか」とか、そんなの判るわけないんですよ!

でも勝手に決めつけて、思い込んでしまう。

 

本来であれば、「もう十分な点数を稼いだから守備的にいってもいい」とか「相手の河が濃いから控えめに打とう」とか、そういった合理的な理由でなければいけない。

今日の自分は運が悪いから何をやっても駄目だ、なんてのは人間の思い込みです。

ところで南4のダンラスで手牌も満貫にすら程遠いんですが、これはもう駄目ですね・・・。(思い込みではなく非情なる現実・・・!)

 

追記:

自身に幸運が舞い降りたとき、その恩恵を最大限に受けられるよう日頃から備えておくのが、多くの寓話からも学べる教訓である。