CPU戦で感じた運ゲーの話

麻雀や将棋もアプリが増えてきていますが、アプリ内にはチュートリアルや初心者向けのCPU戦なんかが用意されています。で、将棋と麻雀のCPU戦を比較すると、やっぱり明らかに「麻雀のほうが運ゲーだな」と痛感します。

 

どちらもかなり初歩的なAIになっていると思います。将棋のCPU戦(初心)はやっぱりやっていても負ける感じがしません。相手のほうがミスや損をしてこちらが明らかに有利になる一手が必ず生じます。そこからの逆転はほぼありません。

麻雀のCPU戦はどうかというと・・・。

配牌と自摸が悪かったら相手の手牌をどれだけ予測できていたとしても何もできません。解ってはいたことだけど、やはりそうなります。

 

これ、将棋とかやったことない人でも少しやって初心者CPUと打てば、かなり違いを実感できると思います。ほんの少し基本を覚えただけで明らかに優位を取れるようになります。

麻雀だとその程度だと有利にならないケースのほうが多いんですね。ちょっと勉強したくらいではすぐに運で覆ってしまう。プロと初心者くらいになってようやくアドバンテージが出始めるくらいの差しかつかない。

レベル帯に関わらずそれが麻雀の実態です。

 

そして差がつくほどの実力差に関わらず、圧倒的な運に恵まれてしまえば関係が無くなる。運が悪ければ何もできずに負けてしまう。何ともふざけたゲームだなと実感してしまいます。

 

・初心者に勝たせるのもCPUの役目

始めたばかりの初心者が猛者を相手にボコボコにされても「楽しい!」と感じる人は少ないでしょう。

Netflixのオリジナルドラマに『クイーンズ・ギャンビット』という作品があります。その中で主人公は幼い頃に施設の掃除夫と休憩室でチェスを打つことを覚えます。

その初戦で主人公はワケもわからないまま「お前の負けだ、投了しなさい」と言われて「嫌よ、まだ打ちたい」「駄目だ、もうお前の負けなんだ。投了しなさい」と序盤に言われてむくれて部屋を出て行ってしまいます。

 

私も将棋でこれに近い体験をしました。正直、これはゲームとの出会いとして良くない部類です。指導とかではなく、ちゃんとした説明もなく意味もわからないまま「お前の負けだ」とだけ言われます。

まったくゲームとしての楽しさに触れていません。

CPUはこの点で指導には当たりませんが、しかし「負け役を担ってくれる」という側面があります。わざと負けるというのは実は人間にはかなり難しい役割なのです。

 

囲碁だとヒカルの碁なんかでも「指導碁」といって、上級者のほうが初心者に手ほどきしながら盤面を進めるという打ち方が紹介されています。

本来であれば麻雀や将棋にもそういった打ち方や指導方法はあると思います。

しかし、それができる人も限られるのです。

 

大人気ない人は初心者を相手にフルボッコにして得意になったりします。

指導者としては最悪の部類です。そんなことするやつおらんやろw と思ったあなた。

残念ながらこういった人はどの分野でもいます。スポーツでも格ゲーでもFPSでも卓上ゲームでも何にでもいるんです。知識マウントや自分の自慢話ばかりして、相手のことなんか微塵も考えない人は一定数います。

 

それに引き換え初級・中級・上級で強さを変えて相手をしてくれるCPUはずっとマシな存在です。

確かにそこに甘んじているばかりでは進歩はないとも言えますが(格ゲーでCPU戦と対人戦では違うし、FPSbot撃ちと対人戦は異なる)、いわゆる初狩りになって人口減少みたいなことをしても、コンテンツとしては先細りにしかならないなぁと。

まぁ、麻雀に関してはそこが運で覆るカジュアルさなのは良いのかも。

 

それでも麻雀は初心者CPUを相手にしてもフルボッコされて手も足も出ないまま負けることも普通にあるので、それはそれでどうなんだと思いつつも「でもそれが麻雀だしなぁ・・・」と思わざるを得ないというか。

初心者のみなさん、麻雀は運ゲーなんです。どうか、諦めて下さい・・・。

 

 

舐める舐めないの話

私は昔からこの「舐める」というのが解らないのですが、概念としては理解していても「それが勝負に何か関係ある?」という考えしかありません。

 

・相手のことを舐めていたら入るシュートが入らなくなるのか?

・相手に舐められたらルールで認められていることが覆るのか?

 

そんなこと起きるわけがありませんね。

つまり「舐める・舐められない」なんてのは実力や事象には無関係なんです。

 

そのレベルで物事を考えているのはハッタリとかで勝負の内容が変わると考えている人の話で、そもそもプロクラスなら相手が誰だろうと油断しません。

誰が相手でも本気を出します。勝つために必要なことに全力を尽くします。それが当たり前です。

舐めてかかるなんてことをしたら自分がやられてしまうことを知っているからです。

 

誰でも得意なことと不得意なことがあります。もしかしたら今は相手がたまたま実力を出し切れないシチュエーションなだけで、状況が変わったら自分が追い込まれてしまうかもしれません。

それを想定すれば舐めてかかって油断している暇なんてありません。

勝てるときに勝っておくのが強者の定石です。

 

私は麻雀においてもこの考え方なので、概念的には同じことをしているかもしれませんが「相手が下手を打ったから舐めて見ても大丈夫だ」という考え方はしません。「牌効率を間違えた相手だから、手順に少しミスがあるかもしれない」と具体的に考えます。

結果としては同じことですが「舐めてかかる」という言葉を使う必要がありません。

 

よく相手から「リーチに押されてるから舐められているのかなぁ…」なんてボヤくのを耳にします。まぁ、言葉の使い方として意図を省略して「舐められている」という言葉を用いているのでしょう。

しかし実際には「何となく舐められている」ということではなく、もっと具体的に「ここまで安手が連続していたので打点が無いと思われている」「愚形でも追っかけリーチをしていたので勝負しても勝ち目があると思われている」という理由があるはずです。

 

それを省略して「舐められている」というのは理解できますが、人によっては本当に単純に、精神的に「馬鹿にされている」という表現で舐めている・舐められていると使う人がいます。

そうなると不良のケンカや根性論と変わりません。具体的な理由や理論なんて存在しない、ただのツッパリやハッタリの世界です。オカルトと変わりません。

そういうのを聞くと「理由も根拠もないじゃん・・・」としか思えないのですが、本人にとっては重大な問題のようです。

 

追っかけリーチされたのも、相手が高い手を張ったのか、持ち点や安牌が無いから押すしかないのか、そういった理由を考えずに「俺のことを舐めているんだ!」というのはどういうことかと・・・。

麻雀においても「舐められている」という表現は何か思考を放棄しているように感じてしまう話でした。

 

 

勝負手が流される話

直近で「配牌ドラドラ赤、ピンフ系で絶好だな~~」という手牌が3回も4回も九種九牌で流されて、しかもサンマならまだしもヨンマでそんなことそうそう起きるかという。

で、そうなるとまぁ勝てないわけですよ。

要は勝負手をノミ手で流されるのと一緒で自分のチャンス手を潰されてしまったわけで、そして良好な手牌が毎回くるわけもなく今度は相手が良い手をアガって自分はマイナス。

 

流れが云々はオカルトだというのとは別に、結果としてこうなってしまったら流れは悪いわけです。

たったこれだけで勝てなくなるのも麻雀が実力ではどうしようもないゲームだなと思い知らされるところで・・・。

だって、配牌で九種九牌だからノーカンノーカン!でこちらのチャンス手を無しにできるんですよ? そんなのゲームメイクに何ら関係してないじゃないですか。

 

「自分の手が安いから仕掛けてでも早く終わらせよう」とか、「相手にチャンス手をアガらせないように我慢の局だ」というのならまだしも、「はい、ノーカンノーカン。俺の手牌悪すぎ。ナシナシ、やり直し。全員手牌捨てて~」なんてラクもいいとこ。

まぁ、自分がその恩恵に与ることもあるので文句ばかりも言っていられないのですが。

こういうのも含めて「麻雀は実力だよ~」なんて言えたモンじゃない。ただのガチャだろ!配牌と自摸次第の運ゲーだろ!

 

配牌と自摸で良い手をもらって、それを相手に邪魔されずにアガれればラッキーというだけのガチャ。それを毎局繰り返すだけのゲーム。

もちろん選択も思考もある。でもそれよりも運要素のほうがゲームに重要すぎる。

 

やっぱり初心者や中級者など、隙や無駄の多い相手と打つときは余裕があります。そのときは技術的なアドバンテージも得やすい。

でも上に行けば行くほど運ゲーと化してしまう。何もできずにラスるだけの半荘、何も考えずに取れるラッキーな一着。そういうのがゲームを支配するようになる。

あとはオマケ程度。

 

やることやっても勝てないし、やることやっても負ける。

それが麻雀だと解っていてもつらい。

先日もMリーグで松ヶ瀬選手がデイリーダブルの箱下四着を引かされてましたけど、じゃあ勝った相手のほうが上手かったのかといえば選択ミスしてトップを取り逃す程度の実力。

それが運だけで上手い相手にも勝ち越せてしまう。なんだかなぁ・・・。

 

それも麻雀ではあるけれどトッププロのリーグ戦でそれを見せられるとねー。初年度の留美選手もまだ打ち方にブレが出ていたのか選択を間違えることが多く批判はされていた。それでもラッキーで勝ってしまうことも多かったゆえに「結局は運じゃん」といったことが言われてしまう。

せめてトップリーグくらいくらいは選択ミスを極力減らして、たまにあるボーンヘッドは仕方がない、ヒューマンエラーはあるからしょうがないけど、それ以外は「こんなの選択だの思考だのより、結局は運じゃん」なんて言わさないでほしい。

わかってるんだよ、麻雀はそういうものだってことは。でも、せめてもうちょっと「選択ミスして、運で勝つ」なんてのは減らしてくれないかなぁ・・・。と視聴者側としては。裏目を引くのはしゃーない)

 

 

実力勝負にならない麻雀の話

麻雀は運ゲーなのですが、だとしても実力が出る部分はあるわけです。

それが手順だったり、手牌や山読みだったり、守備だったり、押し引きだったりするわけですが・・・。

これらが無いほど運ゲーに寄ります。

 

つまり実力が無い人ほど運ゲーをするだけのゲームになってしまう。

たまたま聴牌できた。

たまたまアガれた。

たまたま振り込まなかった。

 

それは確かに上級者であっても結果的には同じことです。読みや安全度で選んだ牌を切ったところで当たってしまうか、かわせるかは運次第です。

しかし、言うなれば運転の上手いドライバーが「この先はちょっと危険そうだな」と長年の経験から危険回避できるようなもので、その思考と選択によって事故に遭う確率は減らせます。(ああ…!しかし麻雀にも交通にも何とも運の悪い避けられない事故はある!)

初心者ドライバーがワケも判らず運転していても事故に遭っていないのはラッキーか、もしくは周りのドライバーが避けてくれているおかげです。自分の実力ではありません。(まぁ教習所を出ていれば最低限それは無いけど…)

 

上級者は打牌に常に疑問をもちます。

「あの自摸切りリーチは何だったんだ?」

「手出しでドラ切りか」

「親のリーチに通ってない牌を切ってきたな」

 

こういった思考を踏まえて読みを入れて危険を察知し、回避するのです。

しかし初心者はそんなこと気づきもしません。「えっ、危なかったの? 全然きづいてなかったわ~。ラッキー助かった~」で終わりです。

それで勝ててしまうのも麻雀です。ウメハラに「100や200戦やっても実力が出ないゲーム」と言われても反論できません。その通りです。

 

麻雀というゲームは自由度の高い遊戯です。ルールがあり、その中で自由に打てます。

別に第一打に必ずドラを切ってもいいわけです。やってはいけないルールはありません。

しかし、それをやっていたら得をすることが減って勝利が遠のいていきます。ゲームとして成立しづらくなるのです。

 

突き詰めると初心者の麻雀というのは常にこれです。損をしてしまう選択を続けている。しかし本人はそのことに気づけていません。実際には中級者になっても、上級者になってもこの問題は付きまといます。

ただ、その頃には超微差の話になって「どっちがいいのか難しい」「AIに見せてもほとんど差が無かった」という領域になっていきます。

ですが、初心者のそれは「明らかな損」「明確に無謀」だったりします。でも初心者はそのことには自覚的でないから何とも思わず、運だけで良い結果を得てしまえば問題にしないのです。

 

・卓を囲む人によってゲーム性が変わる

どのゲームでもそうですがレベル帯によってプレイの幅は異なります。

プロのサッカー選手がプレーするのと、5歳の子供がボールを蹴るのでは、後者はまずゲームとして成立しないでしょう。高度なやりとりはさらに難しい話です。

1~2m先の相手にボールを蹴ってキャッキャッうふふする程度になるかもしれない。でも本人たちが楽しいのならそれでいいのです。(そんなのサッカーじゃねえ!見てろ!こうやるんだ!ってのは大人気ない)

 

麻雀も卓の上では同じことをしていてもプレイヤーによって解像度が変わります。素人が何もわからずにリーチ相手に無筋をバシバシ切っているのと、プロが無筋をバシバシ押しているのでは意味が違います。

こういった差が卓上には(本来)常にあるのです。

しかし、麻雀の場合はそれが必ずしも結果に反映されません。

 

だからプレイヤーの実力が見えづらい遊戯なのです。

放送対局などは手順や選択や思考を神視点で追えるため、経過で実力を判断しやすいですが、結果だけ見せられても負けた人がただ弱いだけに見えます。

逆にいうと結果的にただ勝っただけの人が強いようにも見える。

 

だから、もしプロと素人で対決して、プロが4半荘すべてハコシタで負けたとしたら「コイツよっわ・・・」と見えることでしょう。

でも牌譜で見たら「クソ強いのに全部ただの運で負けてるやん・・・」となるかもしれません。それが無くもないのが麻雀の恐ろしいところです。

結果だけでは決して実力を判断しきれません。

 

だから「オレ、麻雀が強いんだぜ。最近は負けなしなんだ」というような無自覚さは色々な意味で危険です。

勝ったか負けたかはたまたまです。内容がどうだったかのほうが問題になる。

勝った=強いではない。ここが初心者の人にはなかなか難しい意識だと思います。

 

だって他の競技にしてみれば勝っている人が強いのは当たり前の話です。

「負けているけどこの人は強いんだぜ」と言われても説得力に欠けるでしょう。

麻雀の場合は「まぁ、結果だけじゃそりゃわからん」となります。

 

ぶっちゃけて言えば麻雀の実力を測るのに結果なんて要らないのかもしれません。

勝敗を問うゲームではないのかもしれない。

だって最善を尽くし続けたとしても10連敗したっておかしくないゲームなんだもの・・・。

 

 

 

麻雀のツイてないがどこに集約されるかの話

何事も「ツイてないなぁ~」ということはあります。

こと麻雀においては日常茶飯事。親の顔より見た光景。

しかし麻雀において「ツイてない」というのはどこに集約されるのか。

 

裏目を引いてしまった

・ラスを引いてしまった

・放銃してしまった

・アガれなかった

 

麻雀のツイてない要素を挙げたら、大体こんなものかと思います。他にも頭ハネされた、なんてのもルールによってはあるでしょう。まぁ、分類としてはアガれなかったに含まれるのかな。

裏目を引いてしまうのはツイていないけれど、麻雀を確率に従って打つのであれば仕方のないこと。受け入れるしかない損です。

ラスを引いてしまったというのは明確にツイていない結果です。しかし成すべきを為したのであれば、裏目と同様に受け入れるしかない結果でしょう。

 

放銃してしまったというのは状況によっては自分のミスも多分にありますから、不味いと思ったら見直しが必要になります。

最近だと押し引きが微妙なラインだと検討でAIを使って判断することも多いですね。

アガれなかった。これはもう本当にツイていない。麻雀において色々なものがセットになってくる不幸です。

私は麻雀において一番ツイていないのは、この「アガれなかった」に集約されていると思います。

 

裏目った結果アガれなかった。

アガれなかった結果ラスを引いた。

アガれないうえに放銃してしまった。(聴牌・リーチ状態含む)

 

アガれればそのすべてが解決します。裏目を引いてもアガれれば「結果オーライ」となりますし、アガれて十分に加点できているのならラスを引くことはまずありません。

例え放銃してしまったとしても、それよりも多く和了していれば勝つことだって不可能じゃない。

 

このどれもに含まれない、負けルート一直線なのが「アガれない」ということ。

 

配牌からバラバラで聴牌もしないばかりではない。なんだったら配牌イーシャンテンからだって「アガれずに終わる」というのは珍しいことではない。リーチをしようが、副露をしようが、ダマテンにしようが「アガれなかった」という事実は揺るがない。

勝負手になっていたり、圧倒的な優位であってもアガれない、自分が和了できずに相手が加点する。これらは確実に負けに繋がっていく。

 

最近ではMリーグでもノー放銃のラス、というのが目立つ。以前も書いたが、ではそのプレイヤーが下手なのかといえば全くそんなことはない。上手く打っているのに全然アガれないだけ。放銃だってちゃんと回避している。

なのに他の人よりも先に聴牌をいれて、多面張だろうと、山に8枚残りだとしても・・・絶対にアガらせてもらえずに負けるのである。

さらに追い打ちをするようにその後もクソ配牌が続き、勝負手は流され、ノミ手で蹴られ。

チャンスも貰えないし、貰っても無かったことにされる。勝負して押したら振り込む。まあ、ツイていない展開ではお約束のように目にする光景である。

 

 

逆にツイているときというのは他家からの先制も追撃もなく、あったとしてもかわしてこっちが勝つ。山に残り一枚だろうと一発でもツモり、相手の和了を無かったことにする。

アガり率が高いプレイヤーの放銃率が極端に低いことがある。それは和了が放銃を解消しているためだ。自分がアガるということは、放銃をしないまま局が終わったということだ。和了は他のマイナス点をすべて解消していると言っても過言ではない。

ツモによる減点を受けることも無く、自分が振り込む側になって失点することもない。横移動で他家が加点することすらない。

 

アガりは全てを解決するが、アガれないと何も解決できない。

 

これが麻雀のツイていないに集約されることかと思う。

技術的なことはもちろん色々とあるのだが、それを含めても、ここばかりはコントロールできない。絶好だろうと、鉄則だろうと、ダメなものは駄目なのだ。

正着を選ぼうと、放銃を回避しようと、アガれないのでは全てが無駄になる。

 

サッカーの名言に「得点(ゴール)はすべてを解決する」という言葉があったのを思い出しました。

試合、チーム、クラブ・・・、様々なものが勝利によって好転するでしょう。その起点となるのはまさにゴールであり、得点なのだと集約された言葉です。

麻雀の和了も、そういった意味を持つものだなと思います。

 

 

押し引きを知るのが中級者以上になる話

「押し引き」というのは麻雀用語だけではなく、わりと広く一般的な用語であると思っています。

それというのも基本的に押し引きというのは「その場の状況に対して押すか引くか」という状況判断を表した言葉で、特に麻雀に特化した言葉でもないと考えるからです。

ただ、確かに麻雀においては「どうするか・・・」という状況判断の機会が多いため、言葉の使用が多いのも事実です。

 

かくして、押し引きというものは勝負事なら概念として常に存在していると言っても過言ではありません。それ以外の日常においても、です。

例えば将棋などでも「ここで強く押すか判断が難しい局面です」「引いて守るのも有りでしょう」なんて言われます。麻雀でも同じように実況解説されますね。

サッカーでも守備をするか、攻めるのに人数を割くかは判断が難しいところです。

他にも海で漁師が沖を見ながら、「もうちょっと遠出すれば良い魚群を見つけられるかもしれない」「でもこれ以上は嵐で港に戻るのが危ういかもしれない」とふたつの判断を迫られるとしましょう。これも一種の押し引きだと言えます。

 

どの分野でも押し引きというのは、基本的な知識などと違って最初は形が見えにくいものです。その存在にすら気づけない人も多いでしょう。

格闘ゲームでも「相手の大キックけん制のあとにジャンプして攻めてもいいものだろうか」というのは押し引きとしてあります。

キャラクターによっては「まったく隙が無く、このあと攻められても着地までに対空で落とせる」ということもあります。それを知っていれば攻撃はできないという判断になる。

 

技の特徴を覚えるとかコンボを身に着ける、といったのとは違う知識です。

格闘ゲームでも実はここの部分は結構綿密に決まっていて、「ここは五分五分だけど押したほうが得」「ここで無理矢理攻めるのは損が多い」などのシチュエーションごとの判断が決まっています。

そしてときに麻雀と同じように「かなり不利だけど、ここで行かないともうタイムアップで負けてしまう」とゴリゴリの押しになることもあります。

 

こういった状況判断はバトロワFPSでもスポーツなどでも同じでしょう。

 

麻雀ではたとえば牌効率などは見たままの形で答えがあるものの、押し引きは総合的な知識や経験の集合であるため、初心者が最初から基本として覚えることはできません。

しかし、決定的に必須となる技術です。

 

麻雀における押し引きというのは今後さらに細分化、あるいはもっと明確な言語化が成されるかもしれません。現段階では非常に曖昧というか、広義であるためにボヤっとした印象があります。

今後は統計によってさらに局面の損得が明確になっていきます。ときにはそれに従わないことも必要になってきますが、基本的にそれを指標として判断基準にするのであれば、単なる「押し引き」という単語に留まることはなくなるかもしれません。

近いうちに牌効率やベタオリのように局面ごとのパターンもかなり決まってくると思います。現段階では、まだ「でも麻雀って色んな局面があるから…」で済まされている部分がなくなってくると思います。(トップクラスはとっくだろうけど)

 

牌効率やベタオリも「レアケース」というのはあります。「こんな牌ひくか~」とか「そんな形で入ってたのかー」というあり得なくはないけど非常に確率は低い、といった現象。

押し引きでも「いや、こんなことあるのか」というレアケースを除けば、「これは大体こうなる」「この状況ならこうしたほうが得」というのは、すでにかなり決まってきていると思います。

ただ、それをケースバイケースで紹介していたらキリがない、と思ってあまりやっている人も少ないのかなと。ただ積み重ねでだんだん多くの人に見えてきてはいる。

 

インターネットの発展でプロの検討配信が続けられ、多くのプレイヤーの中に知識と経験が共有されて、プロの思考や選択や理由が並列化されて、今後はさらに進化系が出てくるだろうなと。

麻雀の押し引きがパターンとして決まりやすいというのは、格ゲーやFPSと違って麻雀にはアップデートが入らないためです。

何百万パターンあろうと、それらよりは明確に限界があり、変化しません。徐々に決まってきます。AI使って多くのパターンを研究するのが今後も継続されていくでしょう。

 

 

アプリとかゲームとかの話

イカゲームが流行っている昨今ですが、あれを見ていると非常に麻雀に似たものを感じます。状況判断を含めた押し引きと運次第のツモゲー。

実際に麻雀配信者や経験者がプレイしていると「ツモが悪いよ~」であるとか「ここでこんなの引くかね」といった麻雀で馴染みのあるワードが飛び出してくる。

逆に調子が良いときも「流れが良いよ」だとか「ツモ最高!」なんてのもある。

 

どのゲームも見ているとランダム性のある部分というのは含まれているものの、それがどのぐらいの割合かでゲームのバランスは変わってくる。

よく例えに出すRPGだが、こちらはランダム性は低く、確実性が高い。

レベルが足りなければ敵との戦闘は運次第になりがちだが、レベルを上げればほぼ確実に勝てるようになっていく。レベルMAXにもなれば無双状態だ。

RTAでは非常に運次第になりがちである。敵の行動パターンやエンカウントする内容がランダムになるので、そこの運次第ということになる。

 

他にアクションゲームとして、ソウル系やシューター系がある。ダクソやCODのようなものだ。これらもプレイヤーの修練という意味で経験を積めば負けはほぼ無くなっていく。

ゲーム内のキャラクターが強くなるのではなく、プレイヤーそのものが強くなることでゲーム内で勝敗に差がついていくシステムだ。ただ、どちらにしてもキャラレベルと装備によってフォローされている部分もある。

格闘ゲームもこの分類に近いものだろう。いわゆる「実力ゲー」とでも言うべきジャンルだろうか。将棋囲碁チェスなどもここに入ってくるだろう。

 

サバイバルやクラフト系のゲームもプレイヤーの経験や知識によるアドバンテージが大きい。

ただ相手にするのは生存や建築の楽しみといったPVE(非対人モード)の楽しみ方になるだろう。

素材を集めたり、環境を整るために建築したり、好みの生物をペットにしたり・・・。「作業ゲー」と呼ばれるジャンルは人によっては好みが分かれる。

 

そして麻雀は何だろうか?

まぁ、間違いなく「運ゲー」だろう。

ある程度までは実力ゲーの分類になるだろうが、だとしても運ゲーの要素が圧倒的に多い。MTGなどのカードゲームもここでいいと思う。

 

上に挙げてきたものと決定的に違う点は、どうやっても実力の勝負にはならない対人ゲーム。という点に集約される。

どれだけ実力者が打っても、場に支配された配牌と自摸でしか勝負できない。それはプレイヤーが決して関わることができない不可侵な領域なのだ。

だから、どんなに上手い人が正着で打ち続けても負けるときは負ける。正解を選び続けても勝てない。逆に下手な人が何をやっても勝てる展開もある。

 

このカジュアルさが麻雀やカードゲーム(トランプなども含む)の醍醐味であり、主要部分なのだ。

 

つまり言ってしまえば格ゲーやFPSのような「実力勝負」よりも、「ある程度は運で勝ちやすい」というパーティーゲーム要素がウケている理由だと言える。

イカゲームはどうだろうか?

もちろんある程度までは知識や経験がものをいうゲームではある。しかし、それ以後はどうなるか。ひたすらツモ次第のランダムを引き続けるだけになる。ダブルスイカを成し遂げた人物でさえ、常にダブルスイカを成功できるわけではない。

そして始めたばかりのプレイヤーでも意図しない反応で、たまたま何となく上手くいってしまう展開もある。ラッキーだけでスイカまで簡単に到達してしまうこともある。

 

運次第なのだ。

だからWスイカを目指すのであれば、RTAのように序盤中盤でダメなら捨てゲー(記録を諦めてプレイを中断すること)が増える。

ソシャゲなどで特定の敵が落とすアイテムを目当てに周回するときも「リタイア マラソン(リタマラ)」と呼ばれる行為が発生することがある。

目当ての敵がエンカウントしないと、「もう結果がわかりきっていて、これ以上やっても無駄だから止める」というルーティーンが発生するのだ。

 

麻雀でいえば配牌オリみたいなものだろう。実際には麻雀も「こんなのリセットして無しにしたい」というのはいくらでもある。しかし3~4人の対人戦であるがゆえに、それが許されないだけなのだ。

ランダムゲーで、引きが悪くても中断できない。非常に効率が悪い。そしてそれが何局続こうと何もできない。プレイヤーができることなど無いに等しいのだ。(何かやったと思っても、それはそう思い込んでいるだけで、結果に影響していないことも多い)

イカゲームもどういう引きになるかは運次第で、プレイヤーがどれだけゲームの法則や知識を修めて、経験を積もうが最終的には関係なくなる。「実力ではどうにもならない」時期が来るのだ。

 

これだけ聞くとネガティブなイメージしかないが、繰り返すように「運が良いときはひたすら好展開が続く」というのも運ゲーの特徴だ。

知識や実力を必要としない、運だけでどうとでもなる展開になることもある。

それがランダムゲーが人を惹きつける魅力でもある。

 

スポーツなどでも運次第でたまたま上手くいくことはある。それで楽しくなって始めるきっかけになることもあるだろう。ギャンブルのビギナーズラックと変わりない。

負けてハマる人種もいる。そこは様々だが、麻雀のようなランダムゲーの「上手くいった(と思い込んでいる)」ときの快感は中毒性があるのだろう。

勝っても負けても「たまたまなんだよなぁ・・・」と解っていても辞められないものがある。

 

実力ゲー、と呼ばれるジャンルの人間がスイカ配信をしているのを見ると「ああ・・・、はい。こういうゲームね・・・」と何かを察して冷めていたり、「んだよ!この運ゲーがよ!!!!」「こんなのどうにもできねえだろ!!」「良いの引くまで繰り返すだけのゲームじゃん」とキレていたりする。

それはそう、彼らにしてみれば自分の実力次第でフィールドを変えられるゲームを主要としているのだから、「プレイヤーが結果に関われない運ゲー」に対して、呆れたりキレたりするのは当然なのだ。

カジュアルプレイヤーは、実力ゲーの練習や知識を必要とする部分を求めていない。だから運ゲー要素のあるパーティーゲームや、RPGのように作業を積み重ねるだけで成果を得やすくなるゲームを求める。(娯楽なんだからそれはそう)

 

そしてやはり麻雀プレイヤーというのは、ここの部分で大きく格が分かれる。理不尽でどうにもならない、まともに成果も得られないことを前提にゲームを続けている。実力の影響がほとんど出ないゲームをしている。

こうして冷静になってみると、どうにもおかしいのではないかと改めて・・・。

そしてやはり余暇に「成果」を求めてやるゲームではないなと本当に・・・。

泥沼ゲーすぎる・・・・・・。