何事も「ツイてないなぁ~」ということはあります。
こと麻雀においては日常茶飯事。親の顔より見た光景。
しかし麻雀において「ツイてない」というのはどこに集約されるのか。
・裏目を引いてしまった
・ラスを引いてしまった
・放銃してしまった
・アガれなかった
麻雀のツイてない要素を挙げたら、大体こんなものかと思います。他にも頭ハネされた、なんてのもルールによってはあるでしょう。まぁ、分類としてはアガれなかったに含まれるのかな。
裏目を引いてしまうのはツイていないけれど、麻雀を確率に従って打つのであれば仕方のないこと。受け入れるしかない損です。
ラスを引いてしまったというのは明確にツイていない結果です。しかし成すべきを為したのであれば、裏目と同様に受け入れるしかない結果でしょう。
放銃してしまったというのは状況によっては自分のミスも多分にありますから、不味いと思ったら見直しが必要になります。
最近だと押し引きが微妙なラインだと検討でAIを使って判断することも多いですね。
アガれなかった。これはもう本当にツイていない。麻雀において色々なものがセットになってくる不幸です。
私は麻雀において一番ツイていないのは、この「アガれなかった」に集約されていると思います。
裏目った結果アガれなかった。
アガれなかった結果ラスを引いた。
アガれないうえに放銃してしまった。(聴牌・リーチ状態含む)
アガれればそのすべてが解決します。裏目を引いてもアガれれば「結果オーライ」となりますし、アガれて十分に加点できているのならラスを引くことはまずありません。
例え放銃してしまったとしても、それよりも多く和了していれば勝つことだって不可能じゃない。
このどれもに含まれない、負けルート一直線なのが「アガれない」ということ。
配牌からバラバラで聴牌もしないばかりではない。なんだったら配牌イーシャンテンからだって「アガれずに終わる」というのは珍しいことではない。リーチをしようが、副露をしようが、ダマテンにしようが「アガれなかった」という事実は揺るがない。
勝負手になっていたり、圧倒的な優位であってもアガれない、自分が和了できずに相手が加点する。これらは確実に負けに繋がっていく。
最近ではMリーグでもノー放銃のラス、というのが目立つ。以前も書いたが、ではそのプレイヤーが下手なのかといえば全くそんなことはない。上手く打っているのに全然アガれないだけ。放銃だってちゃんと回避している。
なのに他の人よりも先に聴牌をいれて、多面張だろうと、山に8枚残りだとしても・・・絶対にアガらせてもらえずに負けるのである。
さらに追い打ちをするようにその後もクソ配牌が続き、勝負手は流され、ノミ手で蹴られ。
チャンスも貰えないし、貰っても無かったことにされる。勝負して押したら振り込む。まあ、ツイていない展開ではお約束のように目にする光景である。
逆にツイているときというのは他家からの先制も追撃もなく、あったとしてもかわしてこっちが勝つ。山に残り一枚だろうと一発でもツモり、相手の和了を無かったことにする。
アガり率が高いプレイヤーの放銃率が極端に低いことがある。それは和了が放銃を解消しているためだ。自分がアガるということは、放銃をしないまま局が終わったということだ。和了は他のマイナス点をすべて解消していると言っても過言ではない。
ツモによる減点を受けることも無く、自分が振り込む側になって失点することもない。横移動で他家が加点することすらない。
アガりは全てを解決するが、アガれないと何も解決できない。
これが麻雀のツイていないに集約されることかと思う。
技術的なことはもちろん色々とあるのだが、それを含めても、ここばかりはコントロールできない。絶好だろうと、鉄則だろうと、ダメなものは駄目なのだ。
正着を選ぼうと、放銃を回避しようと、アガれないのでは全てが無駄になる。
サッカーの名言に「得点(ゴール)はすべてを解決する」という言葉があったのを思い出しました。
試合、チーム、クラブ・・・、様々なものが勝利によって好転するでしょう。その起点となるのはまさにゴールであり、得点なのだと集約された言葉です。
麻雀の和了も、そういった意味を持つものだなと思います。