私は昔からこの「舐める」というのが解らないのですが、概念としては理解していても「それが勝負に何か関係ある?」という考えしかありません。
・相手のことを舐めていたら入るシュートが入らなくなるのか?
・相手に舐められたらルールで認められていることが覆るのか?
そんなこと起きるわけがありませんね。
つまり「舐める・舐められない」なんてのは実力や事象には無関係なんです。
そのレベルで物事を考えているのはハッタリとかで勝負の内容が変わると考えている人の話で、そもそもプロクラスなら相手が誰だろうと油断しません。
誰が相手でも本気を出します。勝つために必要なことに全力を尽くします。それが当たり前です。
舐めてかかるなんてことをしたら自分がやられてしまうことを知っているからです。
誰でも得意なことと不得意なことがあります。もしかしたら今は相手がたまたま実力を出し切れないシチュエーションなだけで、状況が変わったら自分が追い込まれてしまうかもしれません。
それを想定すれば舐めてかかって油断している暇なんてありません。
勝てるときに勝っておくのが強者の定石です。
私は麻雀においてもこの考え方なので、概念的には同じことをしているかもしれませんが「相手が下手を打ったから舐めて見ても大丈夫だ」という考え方はしません。「牌効率を間違えた相手だから、手順に少しミスがあるかもしれない」と具体的に考えます。
結果としては同じことですが「舐めてかかる」という言葉を使う必要がありません。
よく相手から「リーチに押されてるから舐められているのかなぁ…」なんてボヤくのを耳にします。まぁ、言葉の使い方として意図を省略して「舐められている」という言葉を用いているのでしょう。
しかし実際には「何となく舐められている」ということではなく、もっと具体的に「ここまで安手が連続していたので打点が無いと思われている」「愚形でも追っかけリーチをしていたので勝負しても勝ち目があると思われている」という理由があるはずです。
それを省略して「舐められている」というのは理解できますが、人によっては本当に単純に、精神的に「馬鹿にされている」という表現で舐めている・舐められていると使う人がいます。
そうなると不良のケンカや根性論と変わりません。具体的な理由や理論なんて存在しない、ただのツッパリやハッタリの世界です。オカルトと変わりません。
そういうのを聞くと「理由も根拠もないじゃん・・・」としか思えないのですが、本人にとっては重大な問題のようです。
追っかけリーチされたのも、相手が高い手を張ったのか、持ち点や安牌が無いから押すしかないのか、そういった理由を考えずに「俺のことを舐めているんだ!」というのはどういうことかと・・・。
麻雀においても「舐められている」という表現は何か思考を放棄しているように感じてしまう話でした。