まやかしの話

最近、身の回りで耳にする麻雀の話題がオカルト染みていたのですが、「そんなのただの偶然だろう」ということでも必然性をもって起きると信じてしまうのが人間というもの。

麻雀は約8割が運で、残り2割程度が実力だとされる。人によっては7:3ということもあるが大差はない。

ということは8割は「偶然」に過ぎないのだ。その中で2割は人の意志がもたらした「必然」になる。

 

我々が人と人の勝負として凌ぎを削るのは、この2割のためであって8割の偶然のためではない。

だが結局のところ、この割合も完全に見極めるのは不可能だ。

対面が序盤に8mを外しての9m待ちになったのは、意志をもった先切りだったのか、それとも手牌が溢れてリャンメン固定しただけなのか、浮いた牌にくっ付き直しただけなのか・・・。

 

ネット麻雀であれば後から牌譜で打牌意図を探ることは可能だが、卓上の麻雀では相手の口から聞かされない限り打牌意図は不明だ。

ただの偶然を「一体どうだったんだ!?」と勝手に深読みしてドツボにハマる展開も無くはない。

このときに卓上であれ牌譜であれ、相手の打牌手順に明らかなミスがあれば「ただの偶然だったか」と落胆とともに安堵も戻るのだが、ここの見極めができないと運に翻弄されるだけになってしまう。(まぁそれがなくても運ゲーなんだけど)

 

・偶然を必然だと錯覚してオカルトが生まれる

ただの偶然に過ぎないことを「必然に起きたことだ」と錯覚するのがオカルトの発生源といえる。

実力のある打ち手なら「これを狙ってやるのは無理だ。ただの偶然にすぎない」と気付けるところを、「まさか狙ってやったの?強すぎるよ!」と勘違いしてしまうのが初中級者のあるあるだろう。

だから読み筋に入らない打牌を「こういうのは駄目なんだ!」と無根拠なオカルトで理由づけしようとする。

 

麻雀マンガではよくある展開だが、現実でこんなことをやっていたらキリがない。偶然の産物に過ぎない麻雀の結果を、さも全てが必然であるかのように考えることが無理なのだ。

偶然が8割、必然が2割。

そう考えれば打ち手の思い通りに事が進むことなど、まずあり得ないのだ。だがそうは見えないのが偶然の産物というもの。たまたま起こったことなのに、まるで必然性を持って生まれたかのように見えてしまう。

 

麻雀が人をまやかすのはこの部分が非常に大きいだろう。

よくパチスロを指して「技術介入がある」と言われるが、「台の設定以上に結果に関わる技術介入」など無いのだ。

つまり勝つか負けるかは座った台の設定によるもので、自分の腕前は取りこぼしが多いか少ないかにしか関わってこない。「自分の腕がいいから設定1の台でも、設定6の台くらい勝てた」というのは奇跡でも起きない限りはあり得ない。

 

しかし麻雀とて「勝てるときに勝って、負けるときに負けを少なく」という方法以外で長期的に浮きを作る方法などありはしない。

だからギャンブルにすぎないのだ。

自分の腕前が良いから勝てる、というのは超上級者が超初心者を相手にしたときぐらいだ。他は短期的には運でトントンになりやすい。

 

「実力があれば勝てる」というのも、ギャンブルにおいてはオカルトというか、まやかしに過ぎないんだよなぁ。と思った話であった。

 

 

選択肢の話

麻雀以外のゲームでも「選択や可能性に気づける」というのは慧眼*があると言えます。(*けいがん:物事の本質を見抜く洞察力、将来を見通す力

わずかな可能性にも思考が届き「もしかしたら~かもしれない」「まだ~と言えるかもしれない」。こういったレアケースに気づける感性が何事においても重要とされます。

それが無いと「短絡的」だとか「バカ」と言われることでしょう。まぁ、それ自体は人生のうちで誰でもあることなので仕方がないです。

 

知識や経験を積むことでこれらを回避しやすくなる。麻雀はゲームを通してこれをよく学ばせてくれます。

確率のゲームということは、可能性のゲームでもあるわけです。

「オーラスに役満をアガって逆転」というのが常にあるゲームですが、そこまで極端でなくても「供託と本場300点を合わせて、ツモのみ100点の逆転ができる」ということもあるかもしれません。

点差ライバルが親番なので直撃ではなくても条件が軽くなっているかもしれない。自分が自模らなくても、誰かが自模れば親被りでラス抜けできるかもしれない。リーチを受けて、カンして高くしてしまえば親被り分で自分が浮くかもしれない。

 

こういったケースに気づけずに可能性を潰してしまうことは別のゲームでも多々あることです。

その可能性に気づいて諦めていない人間からすると「お前、何やってんだよ!」という話になります。

でも気づいていない人からすれば「え、そうなの。気づいてなかったゴメン」としかなりません。

 

麻雀がチームプレイであるときに感じるプレッシャーはここが非常に大きくなると思います。

だからこそチーム内で思考共有し、戦術や選択の議論をする。

麻雀は個人であれば1対3か、1対1対1対1の戦いであるので、普通はこれを感じることはないかもしれません。

 

・麻雀は圧倒的な劣勢からでも逆転要素が常にあるゲーム

 

実力寄りのゲームをやっている人ほど「ここから逆転するのは難しい」と思ってしまう劣勢はあると思います。野球で7点差などになると逆転は難しくなります。

しかし例えば野球であれば先発のピッチャーが中継ぎに交代したときに、そこから逆転することはあります。あるいは高校野球のように総じてレベルが高いわけでもなければ終盤に大量得点で逆転することもあり得ます。

いずれも相性や実力不足による逆転の可能性が高まります。

 

しかし相手の実力が確かなほど、この可能性は失われます。そこが実力勝負の良し悪しでもあります。

麻雀の運ゲーの良し悪しとは逆です。

麻雀は常に運次第でいつでも勝てます。

 

ここが実力勝負とは一線を画するところです。

まぁ、「その可能性に備えて打牌する」というのが麻雀における技術と言えます。

そこまで拙かったらそれは実力不足です。

 

だからこそまずは「可能性に気づける」というのが重要になってくる。

可能性がある限り、諦めずに打つことができる。

とはいえ綺麗ごとにすぎません。どーやったって実際にダメなことのほうが多いし、それが何回も続けば呆れてやる気を失うほうが速いでしょう。

 

負けず嫌いであっても気持ち次第で牌が変わるわけでもない。やりたいことがやれない。頑張っても報われない。それが運ゲーでもあります。

正直、自分のゲームという感じがしないんですよね。他人がやっているそれを眺めさせられている感じが強いというか。コントロールできない部分が多すぎて。

「こんなの誰がやっても一緒じゃん」というゲームが勝っても負けてもあるのも運ゲーゆえ。

 

 

回したりコネたりする話

大会予選や東風戦といった短期戦をしていると特に感じるのですが、そもそも手なりで聴牌即リーを打つのがメチャクチャ強い。それでも大体はツモ裏1で満貫だとか、それ以外でも8000や12000がバンバン飛び出してくる。

でもある程度以上の上級卓になるとそういった展開がやや少なくなる。

そもそも「ドラ1の愚形はリーチを打たない」という基準の人もいるので、よほど待ちに自信が無ければ良形になるまで待ってからリーチを打つという手順を踏むようになる。

 

それ以外にも真っすぐ打つと副露に対して有利な牌や危険牌を切らなきゃいけないので回して手牌を遅くしたりだとか、うまぶってペンチャン外しから浮き牌を残すなんてのをやっていたりするのでしょう。

ともかく、そうしてやや進行が遅くなりがちな上級卓。それに伴って打点も上がってくるので、手なりで1000点や2000点を上がっていても勝負にならないからと余計に場が重くなる。

しかし、そんなことをしているよりも聴牌即リーのほうが圧倒的に強いなと感じてしまうのが冒頭に挙げた短期決戦。

 

何も短期決戦だからゼンツの即リーが強いというわけでもなく、テンパったらリーチ以上に強いことがあるのかと。

もちろん受け入れが多い浮かせ打ちや聴牌外しは全然アリです。そのうえで打点も高くなるならそちらを狙ったほうが得でしょう。

ただイタズラに手をコネコネするくらいならリーチを打ったほうが強いのが事実。うまぶって裏目を引いた配信者が悲鳴をあげる光景が目に浮かぶ。

 

・そのうえで運ゲー度が増す

しかし手をこねないかわりに、短期決戦や特殊ルールはより運ゲー度が増します。

良い手が入ってアガった人が勝つ、というだけの展開になりやすいです。

上手な打ち回しであるとか、見事な手順なんてのは無関係です。

 

配牌でドラドラ赤のリャンメン両面や、配牌で役役ホンイツなんて手が入った人が勝つだけになります。

または逆にそういったチャンスが自摸でシャンテン数が進まず見ているだけで終わってしまう局を過ごしたものが負けます。

もちろん黙って見ているだけになるわけがありません。鳴けるなら鳴いて手を進めてもアガりを取りたい、聴牌したならすぐにでもリーチを打ちたい。でもそれが一手も入らないまま局が終わってしまいます。

 

そうなるともう負けが確定したようなもの。どうやったって自分に都合よく跳満手でも入らない限りはどうにもならないまま終局してしまう。

結局は運なんです。ここはもう麻雀において否定のしようがない。

どれだけ上手く打ち回して完璧な手順を踏んだとしても、正着を選んだとしても、アガれないときはアガれないし、振り込むときは放銃する。そこにもはや実力なんて関係ないんです。

 

「麻雀は運ゲー

これを前提にしたうえで「当たったら運が悪いだけだな」と割り切らないと勝てないのが麻雀です。

確かに読み筋で「ここはかなり危険だな~」と解ることはあります。それでもひょっとしたら相手はカンチャンでスジ読みは関係ないかもしれない。単騎でどれでも当たる待ちかもしれない。

そうなったら何を切っても結局は「運次第」なんです。

 

だから押し引き基準は危険度ではなくて、打点や持ち点といった場況によって決まるところが大きい。

自分がラス目のオーラスで12000点のイーシャンテンで、危険牌を掴んだとしても押すでしょう。これを「危ないからやーめた」とやっても、ラスはラスのままなのです。

「危ないからやめる」のではなく、「これ打ったら自分がラスになるな」「ドラ赤まったく見えてない」「自分の手が1000点しかない」といったところを基準に押し引きする。

 

そのうえで結果はランダムです。

麻雀は実力じゃないんです。運ゲーです。

当たる時は当たる。アガれないときは何やっても裏目を引きます。

 

 

正気を失わない狂人の話

世のギャンブラーを見ていて滑稽に思ってしまうことは、「俺は強い」とか「自分なら勝てる」と思っているところです。

それはただの運でしかなくて、たまたま連勝や大勝が続いていたとしても、それは運が良かっただけで実力とか技術ではないのです。

しかし気が大きくなって「いやぁ、やっぱり自分が凄いから当たりを引けたんだな」なんて勘違いを起こします。

 

まぁ、それでも完全な素人より勝率が高くなることはあるでしょう。微量ながら技術介入する部分があって・・・というのも勘違いさせるための要素に過ぎない気もしますが。

完全なギャンブルだったら大半の人が「こんなのただの運じゃん」と気づくはずですが、少しでも技術介入や知識が必要だという触れ込みであれば、「いや、俺が上手いから勝ててるんだよ」「君が負けてるのはまだ実力不足なところがあるんだよ」と嘯けることでしょう。

丁半博打で有名な壺振りというサイコロ博打もフィクションなんかでは壺振りが自由に出目をコントロールできるなんて展開が描かれますが、フィクションで描かれるということは現実には無理だということです。

 

ギャンブルの面白いところは本当にただの偶然に過ぎないのに、まるで誰かが仕組んだかのような展開があることです。

「こんなこと偶然に起きるわけないだろう!」というレベルの偶然が頻発します。だから「イカサマをやってるに決まってる」とか「仕組まれたんだ」と考えるのが自然と思ってしまうほどの理不尽が生じる。

逆に上述したように偶然とは思えないほどの幸運もあるわけです。

 

世の何事もすべてが必然とはいきませんが、それにしてもギャンブルほど必然があり得ないものはありません。

パチスロで勝っているという人は短期的に運が良いだけか、長期的に勝ち続けている人はぶっちゃけ一線を越えてアレやコレや裏で手を回しています。

結局、博打で確実に勝つ方法なんてイカサマ以外に無いんです。まともに(?)考えれば。

 

だから、それ以外でギャンブルに触れるのであれば適度に娯楽として留めるのが限界と言えます。最適とかじゃなく「限界」です。

それ以上は関わっちゃいけない。まぁ好きにしてもらって結構ですが。

 

麻雀は確かに長期的に打てば、数を打ち続ければ実力差は出るジャンルかもしれません。しかし、もう一定域からは娯楽としてのコスパを超えてきます。

「実力差が出る局面は1000局に一回」とかになれば、あとはすべてが運次第で上がったり下がったりするだけ。

それを「自分の実力のせいだ」と思ってしまうのは、一般人には相当キツいです。

 

麻雀をメンタルゲーというのも頷けます。

こんなの普通の感覚でやっていたら間違いなく病みます。

勉強や仕事で他人から師事するときに「掘った穴を埋める」ような行為が続くと人間の精神は病みます。

 

頑張ってやったのに、その成果を否定されるようなことが続くと精神的に不健全なわけです。

犬の教育でも同じような現象が確認されます。正しいルーティーンで行動している犬を褒めると、犬はその行動を繰り返し行うように学習します。犬のほうも指示にこたえられたことで喜びを覚えます。

しかし、これを褒めたり叱ったりをバラバラにすると、やがて犬は言うことを聞かなくります。

 

「自分のやっていることが正しいのか、間違っているのか判断がつかなくなる」のです。

犬ですらこの学習ができるのです。一定水準の知能がある動物には本能的に備わっている機能といえるでしょう。

麻雀では「今のは放銃になったけど確率的には正しいことをした」という信念を持つのが重要だとされます。実際にそれはそうなのですが、ギャンブルではだからといって結果が必ずしも報われるとは限りません。

 

麻雀的に正しいことを100戦続けても負けて終わることもあるのです。

そこで果たして正気を保っていられるでしょうか。

というか、正気を保つのであれば他のことに興味が向くようになるでしょう。

 

ここで正気を失わない狂人か、正気を失った狂人だけがギャンブルに残ります。

正気を失ったほうの狂人は、前者の餌になり続けるだけですが・・・。

 

 

 

麻雀というゲームをやる価値

最近は朝も寒いので布団から出るのに難儀する時期です。朝は起きるとエアコンを起動して、部屋が暖まるまでスマホを弄って布団の中で過ごします。そんなときに麻雀をするのですが、朝起きて冴えた頭でプレイすると「いや、こんな運ゲーに時間使ってるなら起きたほうがマシでは?」と気づいてしまう。

ダラダラと時間を潰しているときでもなければ、頭を使えば使うほど「どうやっても運次第で時間の無駄じゃん」と思ってしまう。それでクソラスでも引かされたときには布団から飛び出て「あーはいはい、起きて顔洗って朝飯食ったほうが10,000倍マシだわ!」と気づきます。

ムカついた怒りで寒さも気になりません。

 

以前も記事にしたのですが、麻雀で「娯楽としての満足感を得よう」というのは基本的に成り立ちません。麻雀に限ったことではなく、ギャンブルでこれを行っては駄目なのです。

息抜きにすべき娯楽とはもっと確実性の高いものにするのが良いでしょう。

美味しいものを食べに店に行っても、お店がお休みだったりすることもありますが、麻雀で気分よく勝てる確率に比べたらかなり確実性が高いです。

 

これも以前に書きましたが麻雀の正解率というのは20%以下であることがほとんどです。勝てる確率がまず25%以下、牌の選択も16%とかが良いところです。

なんだったらニブイチ、50%の選択を外してイライラすることもあるでしょう。

ギャンブルというのは基本的にこの繰り返しです。

 

ソシャゲやコンシューマーのゲームをやってもギャンブル要素はつきものです。

ガチャでレアキャラを引ければ気分は良いし、周回でレアアイテムをGETできれば大満足です。

まぁ、ソシャゲのガチャに関してはギャンブル寄りだとは思いますが・・・。

 

RPGの周回なんかは低コストの周回でレアアイテムの入手率を高めることができます。

麻雀の勝率は回数をこなして平均になることはあっても、確実に勝率が上がることはありません。負けが続くか、勝ちが続くかは運でしかありません。

ギャンブルというのは「やり続ければ得になる」ということがありません。天井ありのガチャなんかはまだマシなほうかもしれません。

 

大抵の娯楽は時間かお金で限界を決められるようになっています。

ギャンブルはこれが底なしです。

いくら時間をつぎ込んでも、お金をかけても、リターンが全く無いこともあります。

 

運次第のゲームにいつまでも労力をつぎ込んでも時間の無駄になりがちです。

大学生や新社会人の人はギャンブルにかける時間は減らしたほうが良いです。

とはいえ、これはアドバイス止まりなので「うるせえ余計なお世話だ」という人には届かないので仕方なし。

 

 

 

ビーストジャパンの初シーズンが厳しい話

チーム時事情は知らないので野次馬が好き勝手言っているだけの記事になるが、ビーストジャパンの初年度は厳しい展開になっている。

全選手がMリーグ初舞台であれば、打牌選択からバランス調整まで上手くいかないことはあるだろう。入れ替えで入った新人選手で戸惑いなく成績を残している人も少ない。

 

もちろん麻雀であるから多少は運の上下があるものの、前年度の雷電のように著しくポイントを減らすのであれば、何らかの要因もあるのかと疑いたくもなる。

現時点でビーストで成績を残しているのは菅原だけといえるだろうが、それでもマイナス域である。

大介はトップラスの浮き沈みが激しいため戦績は安定していない。中田と猿川の両名はMリーグでのバランス調整に欠いている様子がある。

大介は打点を追っての決め打ちもあるため、ハマれば強いのだが大味な印象も受ける。もう少し丁寧に打ち回していれば避けられた失点や得られた得点を逃していることも多い。今のところまだ運良くたまたまツモり直したりして持ち直しているが、それはただ運が良いだけと言われても仕方がない。

中田は守備的ゆえか得点のチャンスに恵まれながらも、それを逃してしまっていることが多い。本人がそれに自覚的であればよいのだが気づいていない場合は今後も同じことが続く可能性は高い。

例えばちょうど先日、仲林がラス確定のアガりをオーラスにしたのだが「トータル最下位のビーストさんがトップならOKだし、これ以上続いて自分が素点を減らすよりはチームポイント的には良いかな考えた」とインタビューで答えていた。

仲林は前半の試合でトップを取っての連投。Mリーグルールであれば1トップ1ラスは微プラスだ。下手に素点を減らして一回目のトップが無くなるほどにしてしまっては意味が無い。ラスを確定させても素点を回復して終わることは選択的なことだったのだ。

その半荘の中でも高宮に放銃をする打牌も「あそこで完全に置いていかれたらもう自分が追いつくのは無理なので、トップを取るならと押しました」と語っていた。

それで放銃になって南4をラス目で迎えることも織り込み済みだったのだ。
果たして中田がトップを取り逃した幾度もの打牌で、ここまでの意図をもってやっていたのかは疑問が残る。

 

猿川はマイナスが大きいが決して麻雀が弱かったり、打牌を間違えたりするレベルの選手ではない。むしろ今季のMリーグでの活躍に限っては「だからこそ放銃する」と言っても過言ではないシチュエーションに苛まれている。

「この牌なら当たらないだろう」「この手牌でオリることはない」そういった場面で「そんなことあるのか」といった放銃や負けが続いた。

ただ、その中でも風林火山留美を相手に打った発の一打。猿川は満貫テンパイだったと思う。留美が終盤にホンイツの手牌を回しながらテンパイすると、その瞬間に猿川が掴んだのが当たり牌の発。

 

猿川はこれを止めることなく切って留美に放銃した。

後に松ヶ瀬はこの打牌について「あんなんもう発当たるじゃん、切らないよね」と言っていた。ここのところがチーム戦であり、Mリーグのバランスなのかと思うところがある。

大介にしても猿川にしても自分がチャンス手のときにオリることがほぼ無い。押しの一手で「放銃に回ったらそれまで」という潔い雰囲気もある。ただ伊達にしても近年Mで成績を残している選手はここぞという一打を抑えるシーンも多い。

 

個人戦であればマイナスして終わって、シーズンがそのまま終わっても「今期は運が悪かったな」で済むが、チーム戦となると自分のマイナスが全員に響く。そして自分が勝てなくても周りが勝つこともあるのがチーム戦だ。

このあたりのバランス調整がビーストはまだ上手く行えていない印象がある。そもそも中田が点数計算できないシーンであるとか、他選手の押し引きや手順に関してもチーム内で上手く話し合えていないのではないかと疑ってしまう。

このあたりもチーム全員が初めてのMリーグという点が重い課題となってのしかかってくる。

 

チームマイナス1000ptを超えた雷電に重なって見えることもある。

勝負打牌で強打の多かった萩原、初年度でバランスを欠いた本田。不調の瀬戸熊と黒沢。

萩原と本田がマイナスになっても、その分を回収できるチームメイトがいないのだ。

順位を維持しているチームというのは、やはり誰かが不調のときには誰かが好調であったりする。

 

それが単なる運の偏りであればまだいいのだが、バランスを欠いたままの選手がずっとマイナスを叩き出しているのでは収支は上向かない。

どこかで修正しなければならないのだ。その点で今期の萩原や本田は今のところ良い方向に向かっているようだ。

ビーストはもう来季に向けた動きを始めてもいいのかもしれない。「来期になってから試す」では、今年度と同じ展開になるかもしれない。

 

ここに来て菅原のバランスが一番Mに馴染んでいるようにも見えるが、チーム内で菅原が先頭に立ってみんなを指導するというのも想像できないし、なんかみんな気を遣って結局は惰性で現状のままズルズルといってしまいそうな気もする・・・。

 

 

点数を取れるときに取らないと勝てない話

Mリーガーとプロ野球選手での麻雀交流会がAbemaTVで年始に開催されたのですが、まぁ野球選手のほうは手順や押し引きに不味い点が多かったものの、それでも結果としてはプロ達を相手に互角以上の戦いを見せた催し。

 

手順的に選手たちが間違った打牌をしても、それでも終始有利になって勝ってしまう程度には運ゲーなのが麻雀。プロ雀士たちが手も足も出ず、接待として受けに回って卓上から気配を消す始末。

しかし、まぁ土田プロにしてもそういった展開には慣れたもので「じゃあここで誰に華を持たせなければならないか」というのをエンタメとしてよく解っている。

河野プロなんかは、そのうえで3sのオリ打ち(オリに備えて先打ちのつもりが放銃になった)というのもあった。

 

運でプロ達を圧倒した野球選手達だが、その中でも予選卓で敗退してしまった選手もいる。

麻雀も野球も「点が取れるシチュエーション」というのは、ゲーム中でそう何度も巡ってくるものではない。「スポーツも結局は運ゲーだ」という人がいるが、確かにすべてが実力次第というわけでもない。

特に団体競技はそうだ。

野球でいえばセ・リーグならばピッチャーを含む下位打線のときはまず得点は期待できない。そもそもピッチャーは早い回であれば打席に立っても、バットを振らずに3球見て終わるだけのことが多い。体力温存や怪我を避けるためだ。

 

となると、上位打線から5.6番あたりまででチャンスメイクして点を取ることが多くなる。麻雀でいえばチャンス手が入ったときだ。

「ここで点が取れないと厳しい」というシチュエーションが巡ってくる。チャンスでもあるが、ここを凌がれると一転ピンチになってしまう。

スポーツはゲーム全体でいえば、こういったときに点が取れないと得てして苦しい展開に追い込まれがちである。だが、団体競技では毎回狙って得点チャンスをメイキングできるわけでもない。

 

2~3人が続けてヒットを打つなど、打率2~3割が連続して塁に出ることが条件になるのだ。こうなると結構なギャンブルであり、確率ゲーの面も持っていることが解る。

だからこそ、チャンスが巡ってきたときに確実に点にする力が無いチームは負けが込んでいくのである。

野球選手たちの拙い麻雀を見ていても思った。

明らかにチャンス手であり、逆転を狙える打点がある。そこで押し切らないと「そんなチャンスは毎回くるわけではない」のだ。

 

そういった勝負所で正確な打牌ができなかったり、ロスがあって得点のチャンスを逃すことがあった。やはりそういった場合には勝ちには繋がらないのだ。

本業の野球のほうであればそういった手順や押し引きのバランスを間違えることはないだろう。しかし、人間ミスはするものである。

こういったことがあると試合に負けるのだな、と麻雀でありながら野球の試合でも起き得ることが卓上にあった。

 

実際にこういった勝負ごとに強い人物は試合での勝負勘も良いという。

「こんなチャンスはそうそう来ない。ここでものにしないと負けてしまう」という押しの強さがあるのだろう。また「ここで無理をしても不利になる」と引く判断もできるのであれば、それは麻雀でも強さになる。

以前にも押し引きとは麻雀に限ったものではなく、勝負ごと全般にある概念であり、強さだと書いた。

 

Mリーグを見ているという野球選手も少なくなかった。麻雀が押し引きや勝負勘というものを学ぶ良い機会になるかもしれない。
あとスポーツのほうが麻雀よりも運次第という展開にはなりにくいため、練習などにも取り組みやすいだろう・・・。
練習すれば良い投球や打撃ができるようになるのだ。麻雀はいくらツモの練習をしたところで配牌が良くなるわけでもない。運の確率を上げる練習など麻雀には皆無なのだ。