まやかしの話

最近、身の回りで耳にする麻雀の話題がオカルト染みていたのですが、「そんなのただの偶然だろう」ということでも必然性をもって起きると信じてしまうのが人間というもの。

麻雀は約8割が運で、残り2割程度が実力だとされる。人によっては7:3ということもあるが大差はない。

ということは8割は「偶然」に過ぎないのだ。その中で2割は人の意志がもたらした「必然」になる。

 

我々が人と人の勝負として凌ぎを削るのは、この2割のためであって8割の偶然のためではない。

だが結局のところ、この割合も完全に見極めるのは不可能だ。

対面が序盤に8mを外しての9m待ちになったのは、意志をもった先切りだったのか、それとも手牌が溢れてリャンメン固定しただけなのか、浮いた牌にくっ付き直しただけなのか・・・。

 

ネット麻雀であれば後から牌譜で打牌意図を探ることは可能だが、卓上の麻雀では相手の口から聞かされない限り打牌意図は不明だ。

ただの偶然を「一体どうだったんだ!?」と勝手に深読みしてドツボにハマる展開も無くはない。

このときに卓上であれ牌譜であれ、相手の打牌手順に明らかなミスがあれば「ただの偶然だったか」と落胆とともに安堵も戻るのだが、ここの見極めができないと運に翻弄されるだけになってしまう。(まぁそれがなくても運ゲーなんだけど)

 

・偶然を必然だと錯覚してオカルトが生まれる

ただの偶然に過ぎないことを「必然に起きたことだ」と錯覚するのがオカルトの発生源といえる。

実力のある打ち手なら「これを狙ってやるのは無理だ。ただの偶然にすぎない」と気付けるところを、「まさか狙ってやったの?強すぎるよ!」と勘違いしてしまうのが初中級者のあるあるだろう。

だから読み筋に入らない打牌を「こういうのは駄目なんだ!」と無根拠なオカルトで理由づけしようとする。

 

麻雀マンガではよくある展開だが、現実でこんなことをやっていたらキリがない。偶然の産物に過ぎない麻雀の結果を、さも全てが必然であるかのように考えることが無理なのだ。

偶然が8割、必然が2割。

そう考えれば打ち手の思い通りに事が進むことなど、まずあり得ないのだ。だがそうは見えないのが偶然の産物というもの。たまたま起こったことなのに、まるで必然性を持って生まれたかのように見えてしまう。

 

麻雀が人をまやかすのはこの部分が非常に大きいだろう。

よくパチスロを指して「技術介入がある」と言われるが、「台の設定以上に結果に関わる技術介入」など無いのだ。

つまり勝つか負けるかは座った台の設定によるもので、自分の腕前は取りこぼしが多いか少ないかにしか関わってこない。「自分の腕がいいから設定1の台でも、設定6の台くらい勝てた」というのは奇跡でも起きない限りはあり得ない。

 

しかし麻雀とて「勝てるときに勝って、負けるときに負けを少なく」という方法以外で長期的に浮きを作る方法などありはしない。

だからギャンブルにすぎないのだ。

自分の腕前が良いから勝てる、というのは超上級者が超初心者を相手にしたときぐらいだ。他は短期的には運でトントンになりやすい。

 

「実力があれば勝てる」というのも、ギャンブルにおいてはオカルトというか、まやかしに過ぎないんだよなぁ。と思った話であった。