麻雀における運と実力の比率

結論から述べると

運 8:2 実力

くらいの割合だろう。

 

もちろん局ごとの配牌や自摸による偏りはあるものの(と言ってる時点で運なのだが)、平均的にはこのあたりだろう。

 

麻雀では「わかっていてもどうにもできない状況」が多くある。

オーラス自分は4着で持ち点もない。点を稼がなければラスで終わってしまうが、手牌はバラバラで自摸もまったく有効牌を引かない…というのであれば実力など発揮しようがない。

 

麻雀でもよく「上手い打ち方」が賞賛されることはあるが、それは「たまたまそういう風に牌が来た」というより他ないのだ。

例えばカンチャンを外して、三面張に受けたとする。次順で聴牌自摸上がりしたとしても、それは「たまたま三面張を自摸れた」ということでしかない。

逆にカンチャンのほうを一発で自摸ってくることも少なくないのが麻雀だ。

 

もちろん受け枚数の他に、河読みや山読みや手牌読みをすることでカンチャンのほうが有利だと判断することもある。

しかしどのような過程を経ても、麻雀における結果が「運次第」なのは間違いない。

 

どのゲームやスポーツでも運に左右される面はある。野球でたまたまイレギュラーバウンドが発生して内野安打になる、FPSサバイバルゲームでたまたま自分たちの居る建物が最終範囲になる、など。

しかしこれらは実力による結果をほんの少し左右する程度の影響力しかない。野球で毎回のようにイレギュラーバウンドが発生して、どんな名手でも守備の成功率は2割程度ということにはならない。

 

・麻雀での小さなミスはほぼ影響を及ぼさない

運が勝因と敗因の大半を占める麻雀において「小さなミス」というのはほとんど影響を及ぼすことがない。

何故なら、それよりも運による決定のほうが原因の大半を占めるからだ。

 

もちろんトッププレイヤー同士の戦いであれば微差の勝負になるため、小さなミスが結果を分けることもある。

しかし、やはり大半は運によって決まる事項が原因であり、正解を選んでいても勝てないことは多々ある。

 

野球を例に出したが、野球における運要素が結果に影響するのが微々たるものであれば、麻雀における実力が影響する範囲も微々たるものでしかないということになる。

だからこそ「小さなミス」が結果に影響することがほとんど無いと言えるのだ。

 

「目に見えて待ち牌が無いリーチをしてしまった」「間違えて聴牌外しの牌を切ってしまった」など、やらかしてしまったミスでなければ、

「8,9pの切り順を間違えた」「2,4sのどちらのカンチャン受けにするべきだったか」などというのは、もはやどうでもいいレベルなのである。

8pを先に切っていたところで相手は8p待ちだったかもしれないし、9p待ちにしているかもしれない。

 

そんなことはしょせん考えたところでわかることではないのだ。

そういった「どうでもいいところ」で悩んでしまって、自分の麻雀センスに不安を感じてしまっても何にもならない。

 

・どう足掻いてもラスのとき

麻雀で一方的な展開になると結局は何をやってもダメなときもある。そういった半荘に反省が必要なのかといえば、「結果に対して反省することは皆無」といえる。

これは勝った場合にも同じことが言える。

 

先ほどは「過程など気にしても仕方がない」と書いたが、過程において「分かりやすいミス」があった場合には話は別になる。

「8,9pどちらを切ればよかったか」というのは誤差の問題でしかない。それよりも「5pを切っていれば五面待ちだったのに気付かなかった」「相手の手出しを考えたら近い牌は切るべきではなかった」といった反省は踏まえる必要がある。

 

ではマンガン聴牌をしてリーチして、結果相手に振り込んでしまって順位を下げてしまい、挽回しようと次々リーチやテンパイを入れるも競り負けてばかりでアガれないまま四着になってしまったとする。
これについて反省する点があるだろうか? 打点が高ければアガリを目指すのは当然だし、四着が見えているのであれば抵抗してアガリに行くのも間違いではない。

 

選択は間違っていないのに、運で結果が着いてこなかったことについて反省しても意味がないのだ。

麻雀はそういうゲームだと割り切って諦めるしかない。必ずしも実力が反映されるゲームではない。

負けたから反省する点がある、勝ったから反省する点はない。そういうことではないのだと理解しておきたい。