麻雀を本気で運ゲーだと思ってない人がいるとは思えないことについて

麻雀において技術が介入できる範囲などせいぜい2割程度だろうというトピックを過去にも書いた。技術が必要になるのは間違いないが、その影響度は運による決定力を大幅に下回るのが麻雀だ。

麻雀をやり込んでいる人ほどこれは自明の理だと思う。だからこそ「麻雀は実力のゲーム」と本気で言っているとは思えないのだ。

 

ではなぜそれを、「麻雀は運ゲー」だと認められないのか。

それを言ってしまえば麻雀界はおしまいだからである。

特にプロとして活動している人達からしてみれば「ある程度からは実力よりも運の要素のほうが大きい」と言い切ってしまえば、講座や本も売れなくなるし、プロとしての権威も薄れるだろう。

 

だがそれをみんなが自覚したうえで暗黙の了解として「運ゲー」とは結論付けない部分があるように思う。

その理由も様々だろう。

 

そもそもプロとは麻雀の内容以外に、ルールや点数計算に明るいであるとか、身なりや物腰、言動や態度にあると考える人も少なくないだろう。

園田賢や小林剛といった打ち手にはそういった言動が見られる。鳴きや点数の申告、点棒の授受など細かいところにも気を遣って洗練された姿勢を見せようとする。

これは間違いなくプロを名乗る者として恥ずかしくないだろう。例え麻雀の内容や成績がどうあろうと人として、プロとして敬意を払われるのは間違いない。

 

あるいは研究者や探究者として「運ゲー」と結論付けるのは面白くないと考える人たちもいるだろう。「まぁ何となくそんな気はしてるけど、それを言っちゃあお終いじゃないですか」と言わんばかりに微差の研究に勤しんでいる麻雀愛好家も多い。

最近では統計を使ったデータ解析は盛んだ。そういった新しい分野を切り拓くのも、やはり「運ゲー」というだけでは片付けられない想いがあるからこそだ。

 

運ゲー」だと割り切ったうえでエンターテイメント性を求める雀士もいるだろう。土田浩翔は(あくまでも客観的に)そういう雀士だと言われている。昭和の打ち手としては早い時期にデジタルな打ち方を取り入れたが、最終的には雀鬼流という(現代では)オカルトな打法に師事している。(結局あとあと破門になったようだが…)

またMリーグ実況者の日吉辰也も自身の仕事を紹介する際には「エンターテイメントである」という言葉を強調している。(スポーツと同じく観戦することをエンタメと評しているのだろうが)

 

このようにプロ達はわかったうえで、それでもなお微差の研究に取り込んだり、麻雀に関わる人たちを楽しませようとしているのではないかと思っている。

 

 

・いっぽう巷では

本気で麻雀は技術力だと思っている人達は少なくないのだろう。私は一局の中でも半荘の結果でも勝ったときには「運が良かった」という感想しか出てこない。

他家が12000点のダマテンに振り込んだときに、たまたま自分は振り込まなかった。特にあやしい動きもなく、巡目も早い段階で警戒しようのないダマ12000点、そんなもの技術で避けられるものではない。自分がたまたま振り込まなかったのはラッキーでしかない。

そうした事故に遭わずに加点して終局し、トップを取ることができた。麻雀はこういうラッキーに恵まれなければ勝てないゲームなのだ。

 

例え18000を加点しても8000、8000、8000と振り込んだり、相手が24000をツモったりすれば簡単にまくられてしまう。そしてそれは自分の技術であるとか、発想で必ず回避できるものではない。(回避できる手段があったとしたらそれはそれでまた運が良いという事になる)

麻雀は自分以外のものをコントロールするのがまず不可能なのである。

 

それなのに「実力で変えられる」と考えている人ほど傲慢なものはないだろう思っている。だからこそ「麻雀は実力」と言い切ってしまうことに抵抗がある。

たとえばランダムなポジションになる野球をやったとしよう。ピッチャーなのにセカンドにつかされるといったことが起きる。かと思えば対戦チームのほうはピッチャーとキャッチャーも含めて運よく8割がたが元のポジションに収まっている。

これで試合をすれば間違いなく相手チームのほうが勝つだろう。

麻雀は基本的にこういうゲーム性なのだ。実力を発揮できるかはランダムな要素が噛み合ってこそであり、どれだけ腕力や知力があろうと「俺は8pが欲しいから8pをよこせ」というわけにはいかないのだ。

 

実力が無くとも運があれば勝てる。そして運の割合が大きいからこそ、勉強やトレーニングを怠ってもある程度は勝ちやすい。

麻雀がウケている理由は大体そんなところだろう。

 

・なんだかんだ言って

こんな風にグチグチ言いつつ麻雀に関わっているのである。新しい戦術やコラムを読んで勉強し、放送対局を見て牌譜検討に赴く。自分で打って牌譜を見直す。

そうして何度も「なんやこの運ゲー、どうしようもないやんけ、クソ」と思うのである。