麻雀は実力が関係しないパーティーゲームだからこその話

世の中に茶番は幾つもあるが、プロレスや舞台演劇など、芝居というものはどれも茶番の代表と言える。しかし、これらが茶番ではなくエンターテイメントとして成立する理由は「全員が真剣にやっている」ということに尽きる。

観客も含めてそこで行われている事が、嘘っぱちであるというのは理解している前提でドキドキハラハラ楽しめるものになっている。それはその場を作り上げている空気感があるということだ。

 

麻雀も放送対局で少し対戦した程度で実力など判るはずもない。そもそも安定した打ち手であるプロ達がトーナメントやリーグ戦で20戦程度やったところで、運による偏りで結果が変わることのほうが多い。それでも観客含めて外野はワイワイと盛り上がれるのである。

それは打っている雀士たちが真剣に取り組んでいるからで、「いやぁ、もうこんなの運ゲー運ゲー。どうしようもないっすわ~」と態度に出してしまえば、その雰囲気をぶち壊すことになる。

 

実際、麻雀において一番大事なのは皆が真剣にやっているという空気感を壊さないことだと思っている。だが麻雀は運ゲーであり、パーティーゲームに過ぎない。

「勝てば実力、負ければ運」「勝ちは運、負けは実力」、どちらにしても麻雀をやるうえでの方便にすぎない。つまり麻雀は世に多くある茶番のひとつなのである。

それを踏まえたうえでMリーグや神域リーグのような興業が成立する。エンタメとして需要があり、そこに参加する者たちは、どんなことがあっても真剣を装わなければならない。

実際に「運悪すぎだろ」というラスを引いている選手のインタビューでも、非常に申し訳なさそうに謝罪する。実力不足で至らなかったと語る。

 

麻雀をやっている人間なら負けるのは当たり前の話で、それは運の話で、もはや実力など大して関係ないのだと理解している。だが、そうではなく「チームに申し訳ない」「応援してくれた人に申し訳ない」という演技をすることが求められるのだ。

この茶番を演じきれないと興業の場に出るのはふさわしくないとなる。

Mリーグでも園田は手順の解説など丁寧にしてくれるし、それが一種の芸みたいになってしまっているが、視聴者が求めているのは多井が泣き崩れるような感情の変化であり、ドラマ性なのである。

 

そういう意味で演者として興行に向いている人材が求められている側面もある。そのうえで麻雀が打てる、くらいの水準と言ってもいいのではないか。まぁ、バランスとして全員がそっちに寄ってしまうのも茶番臭さが増してしまうので、場の空気を察して、心底申し訳なさそうにできる人材も悪くないだろう。

ともかく場の空気感が重要なのである。

社会に出ればこの「茶番を演じる、相手を立てる、自分が遜る」というのは当たり前のことで、これができなければやっていけない。

 

ちなみに筆者はできていないのでこれは失敗談である。(人生は学習だなぁ…)