麻雀が幼稚に思えてきてしまうこと

最近ずっと繰り返しているように麻雀の選択肢など有って無いようなものだ。選択の幅も狭く、戦術もすぐに覚えられる程度のものしかない。そのカジュアルさゆえにやり込んでしまうと底の浅いゲーム性にウンザリしてしまうのも麻雀の嫌な面だ。

カジュアルなのでプレイしやすいという利点と、カジュアルなのでわかりきった選択肢なのに負けになるのを眺めているしかないというクソみたいなゲーム展開が両立する。

 

子どもの頃にトランプで大人に手加減されて良い気になっていたことを思い出す。面白いように勝てて得意になっていたが、それは大人が手加減していただけだったのだ。それを自分が大人になってから子ども相手に繰り返す。

世間的には優しさなのだろうが、本格的に勝負の世界に足を踏み入れるのであればNGな行為だ。そんな都合の良いことなど起きるわけがない、純然たる実力の世界だということを覚えてもらう必要もある。(プレイする楽しさも覚えてもらう必要がある)

 

麻雀は同卓するプレイヤーのレベルによって内容が変化する面もある。そこもまた運ゲーなのだが、今風に言えば「同卓者ガチャ」とでもいおうか。雀聖なのに信じられないゼンツ打ちをするプレイヤーに当たることもある。3副露してまだ聴牌も入れていないなど、称号を信用して差し込みにいっても全くHITしない。もう場がメチャクチャになっただけである。

他にも玉の間であれば、豪1と豪2~3のプレイヤーであればレベル差はかなりあると言われている。豪2以上のプレイヤーは玉の間に滞在できる実力を持っていると判断され、豪1は金の間から上がりきれない実力と判断されることが多い。

 

ゆえに豪2以上のプレイヤーもそこそこの信用度をもっているのだが、これもまたガチャ運次第。金の間でポイントを稼いで豪2~3になったプレイヤーが混じれば実力的には豪1と同程度。ひどい鳴きや意味のない低打点のゼンツリーチなど意味不明な打牌に翻弄されることになる。

高度な読み合いやお互いの牽制や打牌意図など存在しない。ただの運ゲー卓のできあがり。河を読んで安牌を選択しても意味不明で有り得ない待ちが出てきて初心者と打っているのかと思わされる。

 

まぁ最近は王座で打ってもこのレベルのプレイヤーが混じってくるので、雀魂のランクマッチ全体が煮詰まっている感じはある。運ゲーゆえに運だけで段位が通常の実力の3つくらい上に来てしまってもおかしくないのが麻雀だ。

実力など本当にアテにならないゲームである。

 

それでもプレイヤーは確率の高いほう、なるべく確実な正解を選んでいくしかない。それは不確かな麻雀において唯一やれるべきことなのだ。だが、意味不明な打牌を繰り返すプレイヤーの前にはそれも瓦解する。

牌での会話など存在しない。各々が自分の好き勝手に振舞って運次第のラッキーゲームを繰り広げ、運が無ければそれを眺めさせられているだけになる。

こんなもので「勝ったら実力」「実力で勝った」なんて言ったら笑いものにしかならない。

 

「運も実力のうち」なんてのは気遣いの言葉であって、実際にそうだということはない。麻雀そのものが子ども相手の接待ゲームにしか感じられなくなってしまっている。勝ってよかったねぇ。麻雀が上手だねぇ。

 

まぁ、自分の場合はどう言われても「運が良かったです」以外に答えないのだが。