素直さが大事な話

毎度どうも麻雀は運ゲーです。

現代において麻雀とは「確率ゲー(運ゲー)」だと理解されている。局収支や調整打点効率といった数字で割り出される理論値を基準として打ち込む。これにより迷彩やボカシといったレトロな技術は衰退を辿っている。

これはAIの登場でさらに「数字に寄った打ち方」に傾倒していくだろう。

 

確率に寄せて打つ、とは実際にどういうことか。実戦でいえば「素直に打つ」ということである。

例えば目一杯に聴牌を見るのであれば、566m 55s の形でブクブクに持ち、縦引きも逃さないようにするケース。これを「先切りして 56m 55s の形に固定しておこう」であるとか「6mを先切りして47mを出やすくしてやろう」と考える。

これも間違いではないのだが「素直」ではない。真っ直ぐ打つのであればブクブクだ。

 

これには場況も含まれる。

6巡を過ぎて他家の河も濃くなってきた状態であればリャンメン固定にして、字牌の安牌を持つということもある。

他のターツが完成していてリーチにいけそうなら最終手出しを6mにしないことで47mを警戒されにくくしたいなど。

 

麻雀の選択について過去にも書いているが、これらが成功するか/しないかは運でしかない。

両面固定して上手くいくこともあれば、縦引きを逃してアガり損ねるかもしれない。

逆に先切りしたことで47mでロン上がりできることもある。

どちらが正解になるか人間には選べない。

 

上の例程度であれば実際のところイーブンだろう。

どちらも正解/不正解になる。それはその場次第だ。

だが、この素直さを欠いた打ち方が助長していくと悪い方向に働きやすい。

 

親であれば多少の危険を冒してもブクブクにして聴牌を優先する方が得である。何せ危険回避で回ったところでツモられれば支払いは他家の倍。黙って見ているよりは攻撃的にいったほうがいい。

こういった部分も最近では統計学によって数値化されやすい。見た目の印象とは別に、これらを最大効率に取らなかったことで損をしやすくなる。

「ペンチャンと浮き牌の3や7」で比較しても、実際にはペンチャン(シャンテン数が高いほう)が終始有利なのだが、序盤であれば「浮き牌のほうが有利」と見てしまう人も多いだろう。

そういったことが積み重なって打ち方にもブレが出やすくなっていく。

 

いわゆる「うまぶり(上手に見せようと打つこと)」になっていくと損をしやすくなる。前述の先切りの例えも実戦では、手牌の効率と場況の兼ね合わせによって決定されやすい。

「萬子が危ないな」となれば先切りになることもあるだろう。だが場況というのも、また「不確かなもの」であるのだ。

さらに手牌進行と違ってまだ数値化されにくい部分でもある。AIも手出しツモ切りの区別がついていないなど、まだ「河や場況を読みきれない」という欠点がある。

 

麻雀そのものが不確かなものだが、「読み」というのはさらに明確なものではなくなる。ゆえに「場況を読んで浮いた5pを残しておこう!」といった行為はハズレを引きやすい。

筒子まわりが良く見えたので残したが、実は他家がそれぞれ4p6pを雀頭や暗刻にしていた、といったこともあり得る。それは河の情報からは判らない。

そして手牌に残した5pは明らかに牌効率を落とす不要牌、さらに5p保留のために他を一枚落としたことで受け入れ枚数を減らしている・・・など。

 

ちょっと心当たりのある人もいるんじゃないですか!?

こんな記事を書いているってことはですね!俺だよ、俺! 俺のことだよ!!

 

だから素直さが大事なんですよ。真っ直ぐ打っていれば和了できていたのをコネコネ、ぐにゃぐにゃ、裏目ってばかり、ヨレツモ続いて、いつになったらリーチ打てるんだい!?と何巡も前に聴牌していたはずの河を眺めながら他家のリーチがかかってオリるはめに・・・。

 

まぁ、運ゲーだから上手くいくかどうかが不明ではあるが・・・。やりすぎは積み重なって損になっていく。

 

・守備面で素直さが無くなる展開

何局も連続で19字牌を切るだけの作業が続く半荘もある。

そうなると配牌を見た時点で「はぁ~、まーたこんな手牌かよ」「こんなの聴牌しないよ」「どうせ間に合わなくて他家に先制されてオリるだけ」「河の二段目まで字牌切ってるだけ」などなどネガティブになってしまう。

 

こんなのが3局も4局も続いた時点で集中力も切れてしまう。丁寧さも消えてしまう。最後には「あー、もうめんどくせえ。どうせオリるんだから最初から5とか切って字牌だけ残しとけ」となる。

実際に8種や7種の手牌でドラ赤も役も無し、となれば打つ気など出ないだろう。最初から危険なところを落として国士など狙いつつ、他家がリーチとくればすぐにオリる。

 

そこでまた8種の配牌が来て、「はぁー、もう無理むり。オワゲー」などと手作りを諦めてしまう。だが、ここで素直に打っていればメンタンピン三色ドラドラ赤の手になっていた・・・、なんてことが無くはないのが麻雀だ。

これは素直さというよりも根気の話かもしれないが、ひねくれて「どうせもう駄目だよ」となってしまうと逃してしまうチャンスがある。

 

とはいえ、しょせんは理想論にすぎない。現実にそんなシチュエーションが続けば嫌になってしまうこともあるだろう。だからこそアツ続行は悪手なのだ。

こういったときは時間をあけないと無理である。