そもそも「煽り行為」「挑発行為」自体が人類の歴史上、長い目で見ても何千年単位で悪しき行為とされている。
「人を馬鹿にしても銃で撃たれないと思っている」とは銃社会アメリカの訓戒だが、実際にネット上の挑発は安全圏だ(と思われている)からこそ行われているのだろう。
その意味でインターネット麻雀やFPSゲームにおける、これらの行為はただの戯れであり、実際に卓上で相手を前にして煽りや挑発を行う人間はごく僅かだろう。
だが、ゲームセンターで格闘ゲームをやっている時代は店内でイザコザが起きることもあった。実際に対面している相手に怒り爆発で対戦台の反対側に灰皿を投げる、椅子を投げる、火のついたタバコを飛ばしてくる。
こう書いていても原始人かよ、という乱暴さである。
雀荘のトラブルも多々あることだろう。自分は幸運なまでに目にしたことは無いが。
・雀魂のスタンプは煽り用?
煽り用なんて発想が出てくる時点でまともではない。
基本的に煽り行為をするプレイヤーは普通の状態ではない。強者=まともじゃない、とまでは言わないが、FPSや格ゲーではチャンピオンがこういった行為をするのも珍しくない。そのため界隈の新規参入者の若年者の中には「やるのが普通」「強い人はやってる」と勘違いしてしまう人も少なくない。
まぁ、人間の本能的な行動としてスポーツで喜びのガッツポーズなど自然と出てしまう行動はあるものの、それは本来は自分に向けたパフォーマンスであって、相手を貶めることを目的とした行為ではない。
それでも剣道や海外の一部のスポーツではそういった行為も禁止されていることがある。
私は喜びのポーズは別にいいだろうと思う派だが。(もちろん、それを見させられる側になるのはいい気分ではないが仕方がない)
敗者として受け入れるべき敗北というものはある。それもまた勝負事の鉄則なのだが。勝者が相手を貶める必要は全く無い、という信条を持たない人間もいる。「負けた人間には何をしてもいい」「人間と思う必要もない」くらいのことを平気でやってのける。FPSとかやっていると、ホントもう・・・ね。(死んだ目)
まぁ、相手を貶めることで「見たかコノヤロー!俺のほうが強いんだ!!」と誇示したいのだろうが。強さは勝敗によって明らかにされているわけで、いちいち相手に言わなくていいんだよ…とは思う。まぁ、性格の差かな…。
何がそこまで憎いのか、と私は思ってしまうのだが。まぁ、煽りや挑発については、そういった研究論文でも読んだほうが有益そうだ。
格闘技の試合などでもお互いにエキサイトするために罵詈雑言を並べてテンションを高め合う(いがみ合う)光景を目にすることも珍しくないが、戦争にしても「なんでそこまで条件づけてまで他人を憎むのか」と思ってしまう。
人種だとか、肌だとか、出身だとか。もはや憎むために理由を探しているようなものだ。経済戦争だけど無理矢理に戦う理由を見つけて市井感情をコントロールしているだけだろうと思う。
闘争心の強弱でいえば、そういった傾向が強いほうが戦いには向いているのだろうが。
そうそう、雀魂のスタンプが煽り用かという話。
そんな発想が出てくる時点でおかしいと思うのだが、煽りをする人間にとっては「屈伸」「武器を構える」が煽りに使えるアクションになってしまうのだから、何を言っても無駄である。
使える物は何でも使って、相手を貶めていく。
それが煽りプレイヤーだ。
文化が違う。
スタンプは実際にコミュケーションツールであるが、道具というのは使う人間次第である。包丁で美味しい料理を作る人間もいれば、強盗をして人を殺傷する人間もいる。
スタンプも楽しい機能だとは思うが、使う人間によっては煽り道具となる。
もうね、何を言っても無駄。
煽る人間は何がなんでも煽らないといけない生物なんですよ。
自分たちが何の疑問も意識ももたずに呼吸しているのと同じ。そのレベルで煽り行為をする。別の生き物です。
・意図せず煽りとなってしまう
自分は煽りプレイヤーにはなれないと思うのですが、例えば試合の後に握手を求める、なんても相手によっては「煽ってんじゃねえぞクソが!」と受け取られることもあるわけで。
まぁ、受け入れがたい敗北のあとに笑ってユニフォーム交換とはいかない心情もわからなくもない。
しかし、こういった何でもない行為まで「煽りだろ!」「馬鹿にしてる!」と受け取ってしまうのは、そもそも自分がそういった行為を煽りとか挑発と認識しているからで。
逆に自分なんかは「今の完全に馬鹿にされてたよ」と言われても「え、そうなの」とスルーしてしまうくらい無頓着すぎる。
無頓着すぎて逆にナチュラルに煽っていることもあるらしいが気づいていない。
結局はマナー・作法の話になっていくのだが、こういった社会性を身につける機会に恵まれないとロクなことにならないのだなと実感させられる。
映画ジュラシックワールドでオーウェンが「俺のラプトルは兄弟がいる。社会性を学んでるよ」と発言するシーンがある。
集団の中で調和をとることを学んでいるラプトル達は他の生態系とのバランスを重んじるが、生まれてから単一の存在であったインドミナスレックスは解き放たれた際に、他の生物を無意味に殺して回る行動を取る。
犬も社会性が非常に高い生き物である。
子供の頃に子犬たちの中でも上下関係があったり、お互いに守り合ったりする。ドッグランでも犬同士で匂いを嗅いだり、敵意が無いことを表して親しんでいく光景を見ることがある。
一部の若いオスなどは縄張り意識からケンカになることもある。だが、それとは別に社会性を学ぶ機会がなかった犬は脅えたり、興奮して相手に吠えたり噛みついたりすることがある。
それは攻撃性の現れに限らず、脅えて保身のために攻撃的になっていることもある。社交性のある犬同士であれば「攻撃する意思はありませんよ」「私もですよ」とお互いにアピールして徐々に距離を詰めるのだが、そういったことが身についていない犬もいる。となるとコミュニケーションは通じなくなる。