地獄から光へ到る道は遠く、また険しい。

映画「セブン」でお馴染みの一文。

ミルトン著「失楽園」からの引用。

 

セブンでは二人の刑事が異常事件へと取り組む様が描かれている。サスペンスの名作。

ブラッドピット演じる若き刑事ミルズ、モーガン・フリーマン演じる老練な刑事サマーセット。

この二人は対照的な人物像として描かれてお互いを引き立て合っている。

ミルズは感情的で衝動的で人間らしさが目立つ。だが、純粋で正義感に溢れている。

対して老いたサマーセットは冷静沈着、焦らずに犯人を追い詰めるために動く。

 

そして事件を起こす犯人。

序盤はその姿こそ見せないが、犯行内容からサマーセットに「恐ろしく計画的で辛抱強い」と言わしめる。

「言葉通りの意味だ。”地獄から光へと至る道は長く険しい”。・・・始まったってことだよ」

 

麻雀に置き換えるとミルズは非常に未熟といわざるをえない。辛抱できずに危険牌を切ってリーチしてしまうタイプだ。雀豪くらいまでの打ち手だろう。

サマーセットは堅実で見逃したり取りこぼしたりせず、慎重に打つ雀聖タイプだろう。

犯人、こいつがたぶん一番すごい。魂天・天鳳位クラス。

 

吉村昭の小説「破獄」で描かれている脱走犯の人間像も恐ろしく計画的で、そして辛抱強い。刑務所を脱走した犯人を大勢の警察が何か月も追い回すのだが、山中に何か月も潜んだり、妻子に会いに行くのを警察が見張っていると察して、張り込みが居なくなるまでずっと辛抱する。

ミルズのような衝動的な人間であれば、警察が張り込んでいると判っていても会うことを耐えきれずに捕まってしまうだろう。

(ちなみにこの小説には実在のモデルがいる。白鳥由栄 1907-1979年)

 

世の中にはこういった人間がいるのだ。

「こんなに長期間に渡って潜伏できるわけがない」。相手にそう思わせるほど耐え凌ぐことができる性質。そうして相手の裏をかき、思考をすり抜ける。これはもう特異な才能の一種であると思う。

 

通常の人間が訓練や経験の果てに至れるのはサマーセットのような老練さを備えた人間までだろう。若い人間はミルズのように衝動に駆られて、それに逆らうのも難しい。(それが若さというものだ。そして人間らしさだと思う)

 

餌を前にした犬のように飛び出して打牌しているようでは辛抱強い犯人たちのようにはなれない。

頭ではそうわかっていても耐えることは簡単ではない。耐えの美学であるとか、耐えきって反撃するオーガズムでも持っていないと難しい。それを成功体験として覚えるには、あまりにも辛く、長く険しい。

 

「地獄から光へと至る道は長く険しい」

神話でも地獄を抜ける際に、最後の最後に我慢しきれずに掟を破ってしまい、地獄に戻されるエピソードは実に人間らしい教訓を含んでいる。

創始以来、神話にさえ描かれている人間の様相。現代の卓上でもそれは変わっていない。それほどまでに耐え続けることが人には難しいのだと教えてくれる。

それができるということは一つの才能だと、私は思う。

 

「才能のせいにして努力放棄すんなや」と思われても仕方がない。

しかし、才能というものは努力では及ばないからこそ「才能」となる。

その領域を知って尚、その道を歩き続けられる狂気があれば、光へと至れるかもしれない。

そのときにもはや正気を保っているかは定かではないが。