神域リーグやV麻雀配信のコメント欄について渋川難波がリーグ戦終了と共にまたいくつか指摘していたのですが、主催の天開司も「批判的なコメントは必要ない」というスタンスを表明していたので判りやすい線引きができていたとも言える。
それでも配信のコメントにはアレな人が消えない。
それはまぁ、当然というか仕方がない。
これは前にも記事にした通り、本人たちは「荒らしている自覚なんて無い」し、「悪いことだとも思っていない」んだから、当然の話。
自分はニコニコ動画で2014年頃に生放送で野球の試合を見るのが好きでした。今でもたまに見ます。何せ実況のアナウンサーがコメントと会話し始めるから面白い。
コメントがツボって笑ってしまったアナウンサーが、笑いすぎてプレーを実況できなくなるなんて珍プレー(?)も。それはさておき・・・。
このコメント付き配信も最初は良かったんですが、だんだんと治安が悪化するというか、良くない人たちが目立ち始めて荒れだします。
こういうのはもうインターネットに限らず、人間社会のお約束です。
昔の2ちゃんねるみたいに「面白いことをやっているところに、つまらない人たちが集まってきて面白くなくなる」ということが繰り返し言われます。
これはもう何処に行ってなにをやっても一緒です。
最初は行動力のある人たちが自主的に献身して盛り上げてくれますが、徐々にそれに乗っかるだけの人のほうが多くなって負担が増えて頑張る人が減っていく。
どんなサービスでもよくあることです。
ニコニコ動画のコメントも「コメント職人」なんて言われる人たちがいるくらいには、視聴者側のパフォーマンスも求められている部分がありました。アスキーアート(文字で作った絵)だったり、特殊な演出を含んだコメントだったり。
お行儀の良し悪しとは別にそういうものがあって、場が盛り上がっていたのです。(邪魔だ、要らない、という人ももちろんいましたけどね)
で、選手のプレーについて批判的なコメントが出ることももちろんありました。肝心な場面で打てなかったり、いつも同じミスばかりしていたり。
最初からブーブー言っていたわけではなく、そういったことが積み重なって「こいつがミスったら言う」みたいな空気感ができてしまう。もうイジメと一緒ですね。
それが定着してしまうとイジリとして「また打てないのが出てきた」「エラー名人!」みたいなことを言われ出す。
これ、言ってる側は悪いと思ってないんですよ。
いやいや、選手の立場でこんなの見たらショックじゃん。と思うでしょうが、コメントしている側は「コメントしているその他大勢で共有して楽しんでいるだけで、選手に向けてコメントしているわけではない」という感覚だと思います。
つまり、その配信に集まっている人たちの中で、そういった流れができてしまっていて、その選手が出てきたときに「批判的なコメントをするのが定番ネタ」みたいな空気感ができあがってしまう。
本当に集団が個人を排他的に扱っているイジメと同じ心理です。いじめる側はいじめられている側のことなんか微塵も考えていません。楽しくてやっているだけです。
コメント欄に限らず、人間の治安なんてこんなものです。
ある人類学者の権威は「人間は集団で棒を持って殴ることに快感を覚える。これを否定しては人類の歴史を学ぶことはできない」と言います。
それぐらい本質的な部分にあるということです。
その後、それがさらに悪い方向に向かったのは、そういった生放送の切り抜きがSNSで拡散されて、選手自身の目に留まるようにまでなってしまったことです。
そうなるとさすがに「これはもう駄目だ」と感じた人も増えたようで、それからは「そういうコメントはやめろよ」という流れも出てきましたが、こうなると視聴者間で派閥ができて割れてしまうので、もう昔のような一体感はなくなり、徐々に盛り上がりがなくなっていきました。
(正義の味方、自治厨なんて言われ方をして嫌われたりもしますし、荒らしと一緒なんて言われもします)
・個人やチーム単位の観戦とリーグ観戦の違い
神域リーグも「麻雀のリーグ戦」としてだけ見ている人と、「Vの応援」で見ている人には差があると思っています。
前者は「いや~、そこでその牌切っちゃうか~」なんて普通に言うでしょうが、後者は「打牌批判になるようなことは言いたくない」となるでしょう。
受け取るV側はどちらも同じと思うかもしれませんが、ただ観戦しているだけの人はVのことなんて微塵も考えていません。ただ、その場で思ったことを言っているだけです。
野球なら三振したので「打てなかったか~」、四球を出してしまったので「ストライク取れんか~」ってボヤいているのと同じです。
なんだったら選手名もチームも知らないで言っていることだってあるでしょう。
神域でも「麻雀は知っているけれど、Vのことはさっぱりわからない」「なんか盛り上がってて大勢が見ているから見てる」「麻雀プロが出ているから見てる」くらいの人もいるでしょう。
その人たちは「打牌について語る」以外の楽しみなんて無いわけです。
もしかしたらお気に入りのVができて「この人いいな」と応援する側に回るかもしれません。そうなれば別ですが、それ以前であれば選手批判・チーム批判なんて領域には到底及びません…。
天開司もそのあたりは判っているとは思います。渋川も「テレビの前で野球見て”なにやってんだ!”って言ってるのと変わらないって感覚なんだろうけど」と言ってはいます。
その声が個人に届く環境になっているので、配慮が必要だということです。テレビの前で独り言ちる*時代とは違うのです。
(*聞く相手がいないのに、自分だけで物をいうこと。独り言)
それとV個人の配信や、V自身が後に振り返って見るであろうコメント欄にそういった発言を残さないでほしい、という配慮。
まあ、自分としては個人チャンネルのほうは判るとして、リーグ戦の本チャンネルのほうでまでそれを強いるのはちょっと息苦しい感じもしますが。
選手の目に触れる部分という意味では確かにそれもある。
さらに渋川は「僕らプロの配信はあーだこーだ言う人がいてもまだいいけど。Vの人達は別にプロでもないんだからさ」「それで麻雀配信するとロクなのが来ないってやらなくなっちゃったら嫌じゃん。勿体ない」と。
これもわかる。
結局は見る側が損していくだけなんですよ。
上述したニコニコ動画の野球観戦も徐々に下火になっていくんですが(サービス側の流行り廃りもあるけど)、荒れてるとやっぱり見るのは嫌になっていくし、何か書き込んだら誰かしらに文句言われるし。
なんかもういいや、ってなっちゃう。
で、そのうち見るのもやめてしまう。見ててもコメント参加できないんじゃ面白くないし、一緒に盛り上がることもないし。
こうなると最終的にはやっぱりテンプレートな肯定コメントだけになって、botがコメントしてんのかって感じになる。
配信者を応援するって意味ならそれは正しい。
でも観戦する側としてはプレーに対してあーだこーだ言いたいわけで、それを「これこれこういう理由で、やっちゃだめ」とされたら、つまんない。となるのもわからないでもない。
このふたつは水と油というか、ドレッシングの中身みたいに混ざり合いつつ、分離しているのが実際だなと思う。
醤油だけだとしょっぱいだけだし、油だけだと味がしない。
塩分を控えている人に醤油は要らないし、脂質制限の人に油は必要ない。
でも普通にドレッシングを味わいたい人は両方混じっていていてほしいし、醤油も油も両方摂取しても問題ない。
でも店主の天開司が「ウチは醤油いらねーから。油だけで勝負すっから!」って言ったら、それは店の方針に従って出てきたものを食べるしかないし、食べたくないなら店には行かない方針を取るしかない。
そんな店に行って「醤油いれたのも作れよ」って言っても、「オメーはウチの客じゃねーんだよ!帰れ!塩まくぞ、塩!!」って追い出されるだけでしょう。
残念ですが諦めるしかない。
・ゲーム配信に湧く指示厨
麻雀配信もこれは散々言われているし、以前も雀荘ベルバードの「こういうことすんじゃねえよ!」っていうお気持ちツイートを記事にしました。
まぁ、自分もどちらかというと、やらかす側なので、だからこんなクソブログを書いて発散させているわけで。
ゲーム配信なんか見ているとね、あるんですよ。「こうしたほうがいいですよ!」って感じること。「もっと便利な機能があるのに!」「それじゃないスキルのほうが有用なのに!」とか。
つーても、これもさらに一周回ると「あっちの地図のほうが宝がいっぱいあるのは知っているが黙って見ておこう(ニヤニヤ」というクソ進化を遂げるのですが。
その前段階として「教えたがり期間」というのが存在する。
それを越えたら「ほう、そちらの牌を切りますか。あえてですかね!あえて!ウマいなぁ~」と上段に構えた相手のさらに頭上で上から目線をキメはじめます。クソ進化です。
まぁ、クソ進化だけどコメント欄には出てこないのでニヤニヤ眺めているだけになります。
表面的には指示厨段階のほうが悪目立ちします。
そもそも指示コメって「親切心」でやっている人が大半だと思います。
「人の役に立ちたい」「得な情報を共有したい」「理解し合いたい」などなど。「優秀な俺様が馬鹿なお前を導いてやる」なんて、あたおかもいるでしょう。(俺だ)
大半のゲームプレイヤーは自分で考えてプレイしたいのであって、教えてもらってプレイしたいわけではないのです。
結果、自分で攻略サイトを見てプレイすることになったとしてもです。
映画「グッドウィルハンティング」という作品でIQの高い主人公が彼女の代わりに数式を解こうとするシーンがあります。彼女はそれを制して「私は自分で解きたいの」と笑顔で返し、主人公も黙って見ることにします。
何気ないシーンですが色々なものを含んでいるところだと思います。
子どもにものを教える親も常に体験することでしょう。
知識の差というものは、本人が体験を経て獲得するものであって、他人が直接与えることはできないのです。導くことはできても、直接与えることは決してできません。
ですが、往々にして人というのは知識を直接与えようとします。(それで発展した面も人類にはありますが、使い分けが必要です)
それと、前にも記事にしているかもしれませんが、ほとんどの(特に大手の)配信者は知識なんて微塵も求めていません。欲しいのはスパチャとサブスクです。お金です。そのための視聴者と人気の獲得です。
私はそれを悪いとは思っていません。ビジネスモデルなんですから。それで収益化して生活できなければ好きなVが消えていくだけです。じゃんじゃん稼いでもらいたいところです。
だから手慣れた配信者はコメント欄に湧く指示厨なんて「あ、日本語しゃべれたんでちゅね~、えらいでちゅね~」くらいにしか思っていないかもしれません。
もし、配信者側が「共有」や「理解」といったものを求めてきたときには、「ポーズ」だと思うくらいにしてください。
「知ってるけど、お前らの教えたがり欲を満足させてやるかぁ~」って餌を撒いているだけのことも十分あります。
それで「コメントで教えてくれたみんなありがとぉ~v」なんて愛想振りまけばイチコロです。
そんなエサに釣られ・・・クソッ!クソ!!!F**K!!
(なんなんだこの記事…)