打牌批判をするなよの話3

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神域リーグ主催者の天開司が出場を辞退して、実況など運営に専念することを決めた。

まぁ、その理由として「打牌批判を見続けてモチベーションを保てない」ということだった。

上の動画を見ると「ネタにしただけちゃうんか!すでに実況運営に専念するつもりだったんちゃうんか!w」とも思ってしまうのだが、それはまぁ、置いておいて…。

 

下記の動画でも麻雀講座系Youtuberが集まった場で、配信のコメント欄について語られている。

 

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基本的に視聴者側は「専用のコミュニティを(自分で)作れよ」という結論になっている。(1:09:00あたり)

これであればポジであれ、ネガであれ自分の言いたいように言える場を持つことができる。

「打牌批判をしない」の延長として、最近では「必要以上に褒めすぎてない?」という声もチラホラ聞くので、ゆうせーさんの言うように実況解説側は「フラットな状態」という意識も必要な感覚になってくるのかもしれない。

それはそれで、エンタメとして盛り上げるところはワッ!と湧かせるような。

 

・感想は他人のもの

書き物の世界では「作品は作者のもの、感想は読者のもの」という言葉があります。

ある作品について読者があーだこーだと感想を言ったとします。それについて作者が「いや、その感想はおかしいだろ」なんて言うのはお門違いだとする意識です。

逆に読者が作品について、まるで自分が制作に関わっているかのように作者に対してあーだこーだ言うのもおかしなことです。

 

感想という面で、「読んでどう思ったか?」は読者に許された自由なのです。

作者もそれを侵すことはできません。読者が作者の意図しない感想を送ってきたとして、それはその人がそう思ったのなら、それで良いのです。

それが合っているとか間違っているとかはないのです。選手の打牌についてもそれと同じことが逆の立場で言えます。

 

私は打牌についても「まぁ、そう思う人がいてもおかしくはないよね」というくらいにしか思いません。

明らかに損な打牌をしたのであれば、批判意見が出てくるのは普通のことです。

ただ、それを選手に直接送るだとか、目につくところでコメントする必要があるのかという話。

 

「お前が打ってんじゃねえんだぞ」「お前の麻雀じゃねえんだぞ」ということ。

それはその人の麻雀であって、その人が自由に打っていいんです。

それに対して「あー、その手順じゃ間違いだよ」とか思うのも自由ですが、発言する自由はあったりなかったりTPOです。場合によります。

 

逆に選手側の立場で考えた場合には「キミはそう思ったのね、ハイハイわかったわかった。これは俺の麻雀だから黙って見てろ」くらいに考えてスルー。(できれば楽なんだろうけどねw)

麻雀は選択が微妙で難しい局面が多々あります。何だったら本当に差が無いこともあるし、微々たる差で有利なほうを選んでも結果 裏目を引いて批判されることもある。

結果論は本当にクソですが。経過をちゃんと見て評価するのも大変なので、結果だけ見ていっちょ噛みしてくる一見さんも少なくない。

 

打牌は選手のもの、感想は観戦者のもの(そして胸にしまっておけ)。

まぁ、このくらいの感覚でいないと振り回されます。

 

上の配信の違う部分なのですが(58:00あたり)、「ガチ勢になると諦める部分が出てくる」という話。

このあたりのメンタリティも上位陣の考え方としてあるある。

「麻雀止めらないって思って、打たないって選択肢がなくなった時点で強くなるしかないから煽られても何言われても気にしないっていうかw」

振り切ったらここまでのメンタルには確かになるw 麻雀に限らずw

 

何事も「そんなのやっても無駄だよ」とか「もっとうまい人いるじゃん」とか言われても、やってる側からしたら「はぁ?だから?」としかならないんですよねw

「お前は何もやってないのに何言ってんの?」ってなっちゃうんですよ。

「やってるやつが一番偉い」以外にないんですよ。頭で思ったり、口出したりするだけの人間なんかいくらでもいます。実際に行動できるだけで、何もやらない人間よりは先に進んでるんですよね。

 

だからテンツに文句垂れてる層は「お前がVtuberになって神域に出ろ」って話で、「俺がテンツをコメントで鍛えてやる」なんてのは頭わいてます。

それとは関係なく、ただ嫌なコメントを送りたいだけの人間もあたおかです。

まぁ、まともじゃないですね。自覚してない人が大半だろうけど。それどころか自分はまともで周りがバカくらいに思ってるでしょうけど。