オカルトをメンタル処方する人の話

筆者自身は非オカルト派なので、そもそも幽霊だとか超自然的なパワーなんてものも信じていないのですが、麻雀のオカルトについても同様。信じてはいません。というか信じる理由がありません。

もし「5巡目の牌は勝負に関わる牌だ」なんてオカルトを言われたとして、それが統計的に実際にそうなることが多かったのであれば、それは「事実」となる。その時点で「オカルト」ではなくなるわけです。

これまでのオカルトとは、地球の上の未踏・未開の地の如く「わからないから」「真偽不明」だからこそ、「もしかしたらそうかも・・・」という悪魔の証明めいた信仰がありました。

 

宇宙人がいないとは否定できないから、地球外生命体の存在についてNOとは言えない。とでも言うようなオカルトが麻雀界にも実在していた。

しかし、その多くが現代においては統計という数字によって正体を暴かれてしまった。我々が神事や悪魔崇拝的に信じ込んでいたアレやコレが、ただのまやかしに過ぎないと気づかされてしまったわけです。

魔法や錬金術が科学にとって代われたようなものでしょう。

 

今でもその名残のようなものを見ることはできますが、これからその分野が発展することは無く、縮小していくと思われます。

 

・メンタル維持のためのオカルト信仰

しかし、一方でオカルト自体は決して滅びないと断言できます。

誰も信じていない、数学的にもランダム性が明らかにされる中でなぜ生き残れるのか。

それは私たちの歴史の中で宗教という信仰が失われないのと同じです。人間とは「偶然の産物」であっても、そこに理由をつけなければ生きていけないのです。

 

自分や身の周りの人が不幸な目に遭ったときに特に理由などなかったとしても「きっとあの時のせいだ」「バチが当たったんだ・・・」と自分を納得させようとします。

映画『フライト』の中で、事故に遭い、助かりながらも後遺症を負ってしまったパイロットの一人が妻と共に神に祈るシーンがあります。「神のご意思なのです」と。

もちろん事故はただの偶然で不運でしかありません。しかし、信仰的に見ればそういった視点で見ることもできる。神の与えた試練なのだと。神は何か理由があって自分にそうなされたのだと。

 

日本で信仰する宗教が比較的に自由度が高いのは素晴らしいことだと思います。一部のテロや政治事件に関わる組織を除けば、いや、それであっても通常の活動は許容されるのだから相当です。

麻雀のオカルトも信仰を否定することは誰にもできません。その人が信じたいのであれば、信じていいと思います。

Mリーグでも副露をほとんど使用しない黒沢咲選手は「鳴くと(麻雀に)良くないことが起きちゃう気がして…」と以前インタビューで語っていました。(そのときは実際に鳴きでツモ牌がズレたことで相手に有利な展開になってしまっていた)

 

「鳴くと良くないことが起きる」。

これは抽象的でこれだけに絞ってデータを取っても何も結果は得られないと思います。

例えば副露した後に相手に有利な牌が入る確率は、副露しないときに比べて25%UPする…なんてことが起きると考えられるでしょうか? 無いと思います。

もしそれが事実としてあるのならば、今後の麻雀で副露する人は殆どいなくなるでしょう。それぐらい恐ろしい現象です。しかしそれはあり得ません。

 

ではなぜ黒沢選手はそれを語るのでしょうか。おそらく黒沢選手自身のプレイスタイルに関連していると予想できます。

彼女は鳴きを入れずに面前で高い手を作るスタイルであることは確かです。他にも同じようなスタイルの打ち手として近藤誠一選手もMリーグにいました。

近藤選手はより鳴きを入れるスタイルでしたが、基本は面前高打点です。しかし現代麻雀では副露を使ったスピーディな展開もメジャーです。

 

実際にそういった時代の波に押されながら生き残っているのが面前派と呼ばれる、副露の少ない打ち手だと思います。

小林や園田は副露も多く、ゲームにより関わろうとする「参加型」の選手だと思います。それと比較して近藤などは勝負にいけないとなると、ひたすらオリるのを繰り返すだけの展開も多くありました。

そうなると現代麻雀においては手牌次第で「何もしないでオリているだけ」になってしまう局がどうしても多くなってしまうこともありました。半荘単位でそうなってしまう展開も少なくなかったです。

 

バランス型の選手であっても手牌が入らなければ結局は同じことですが苦しい展開になりがちです。

こういった苦しい立場のときに自分の精神を支えるのがオカルト、ということになるのでしょう。黒沢選手の「鳴きをすると良くないことが起きる気がする」というのも、自分のスタイルを支えるためかもしれない。

現代雀士であれば「そんなこと信じていられない」という人は多いでしょう。それを心の支えにしてブレない麻雀を打つなんて…、と。

 

常軌を逸した行動だとは思います。しかし、だからこそ通常では成しえない領域に到達することもある。

黒沢選手のアガりはときとして、そういった一面を光放っています。

「普通ならこんなのあり得ないですよ・・・」と実況解説が何度言ったことか。

 

・一般人のオカルト信仰

同じようにメンタルを保つために嘯くオカルトは多々あります。

「こういう流れのときはアガれないわ」

「ここでこの牌をツモってくるんじゃ駄目だね」

「あのスタンプを押してくる相手はこうだ」

 

などなど・・・。

そんなこと判るわけないじゃんw

というのが実際です。

 

しかし中には頑なに「いや、でも本当にこのときは駄目なんですよ」と貫き通す人もいる。以前は不思議に思っていたが、「これはメンタルを支えるためにやっているんだな」と思ってからは不思議に思わなくなりました。

統計や確率をもとに思考する雀士であれば「正着を選んだけど、今回は確率的に低いほうを引いてしまったな」と割り切って次に行くことがメンタルコントロールになっていると思います。

そうはなれない、あるいは別の思考方法としてオカルトを用いる人がいる。「あの牌がキー牌だったから切っちゃ駄目だったんだ」とか。

 

事故の話と同じで人間は起きた現象について「何か理由をつけなければ納得できない」のです。

実際にはただの偶然で理由なんかありません

三巡目に相手にヤミテンでロンされて18000点だったとしても、それはたまたま相手に良い配牌と自摸が入って、たまたま自分が当たり牌を掴んでしまっただけで、何も理由なんて無いんです

 

でも「そんな偶然は起きるはずがない」「たまたまそんなに上手くいくなんて考えられない」と思ってしまう、あるいはあまりにも理不尽な目に遭い続けたがゆえに「なんで自分ばっかり!おかしい!!」と理由探しを始めてしまう。
自分を責めがちな人は「自分が何か悪いことをしてしまったんじゃないか・・・」と不安に思うかもしれません。ただの偶然に過ぎなかったとしても。

人によっては「牌操作」だとか「雀魂は~」「天鳳は~」なんて理由づけも出てくるのでしょう。これも一種のオカルト信仰といえます。

 

何の理由もなく自分が酷い事故に遭ったらどう思いますか?

「なんて理不尽なんだ」

と憤ることでしょう。麻雀とは常にそれです。勝っても負けても理不尽の方向がどちらに向くかの違いでしかありません。大半の上手いとか下手とかを超越しています。

圧倒的な理不尽。覆せないランダム性。

そこに神か悪魔がいるというのなら私は信じますけどね。