それは実力ではないですよの話

ちょうどここ最近のMリーグで瑞原、茅森、東城と立て続けに「リーチしては放銃に回ってハコシタ」という展開を目にしたのですが。

和了した側の視点でいえば「運が良かった」以外に言うことは無いんですね。

だってリーチされた後に当たり牌も掴まず、危険牌の強打をしても放銃せず、現物待ちになってどこからでもアガれる状態になった、なんて三拍子揃うようなこと「運が良い」以外にありますか。

 

これを実力だと勘違いするのが麻雀なんですね。

 

たびたび書いていますが麻雀で「上手くいった」というのは、「運が良かった」の言い換えにすぎません。本当に「上手くいった」なんてのは存在しないんです。

何故かって?

麻雀というのは常にランダム要素に付きまとわれて「狙い通りに打つ」なんてのは不可能だからです。

 

「目標があるところに人間が狙いを定めて撃って当てる」

という現象ではなく、

「人間が目標としたいところに撃ってたまたま的がそこに来る」

という現象なのです。

 

本来、狙うべく的のほうが後から来る。しかもそこに来るかどうかは運次第なのです。これが麻雀の実態です。

なので、「当たった!オレ上手い!」と思ってしまうのは危ういところがあります。

どんな射撃のプロでも、的が後から動いてくるのでは確実に当てるなんてことは絶対に不可能です。機械に射撃させても同じことです。的のほうが来るか来ないか、というゲームになってしまえば精密射撃で命中率100%のマシーンでも結果にブレが出ます。

 

麻雀のAIに打たせた結果にブレが出るのと同じことです。麻雀において現象を支配しているのは法則性のないランダムという要素で、そこを完全にコントロールすることは何ものにも無理なのです。(少なくとも現時点の人類には)

であるにも関わらず「オレ、麻雀が上手いんだぜ」なんて勘違いしてしまう人が出てくる。

そりゃ上手さはありますよ。でも、それは言ってしまえばプレイヤーの大半が到達できる「上手さ」です。こんなのはあの人にしかできない、という領域には及びません。

 

だから麻雀で勝敗がつくことには実力差よりも運のほうが重要になってきます。運に対抗できる技術的な能力といえば、押し引きくらいになるでしょう。

手が悪ければオリて無理はしない。手が良ければ強く押していく。その判断基準くらいしか人間が運に対してできることはないのです。

そして押し引きが完璧だったとしても負けます。手牌がどれだけ良かったとしても、やはり勝敗は運次第なのです。

 

冒頭に挙げた三者のリーチ手順を否定する人はいないでしょう。打って当然といえるリーチだったと思います。手順的にも十分だった。しかし結果が着いてくるかは後追いになってしまう。

麻雀の達人は必ず勝てるわけではない。射撃の達人とはワケが違う。何せ的のほうが勝手に動いて弾に当たってくれるのを待つしかない。どれだけ腕があっても自分ではどうにもできない。できる状況になったとしたら運が良いということになってしまう…。

そこが麻雀の行き詰まり。そして新たな開拓分野でもある。

 

いわゆるアナログ・デジタルなんて言われた世代はもう旧世代でしょう。

アナログなんて世代はもう滅んでいます。今ではただのオカルト扱いで新鋭の雀士には相手にもされないでしょう。

アナログ世代に対抗していたデジタル世代も今はその中でさらに分野が分かれてきていると思います。世代差が進んできている。

 

私は麻雀を日頃から運ゲーとして忌み嫌っている部分もありますが、現代においてはそのランダム性こそ解明すべき部分とされているように思います。

そしてもちろん、結果が付いてくるか来ないかは運次第でランダムです。

しかし「常に確率の高いほうを選び続ける」「状況の細分化を進める」というのが現代麻雀の解析かなと思います。

 

それが明確に表れてくるのは、やはり押し引きの部分になってくる。牌効率だ河読みだ、なんてのはもう基礎の部類に移行していると思います。

そのうえで「あの手出し4sから3-6sが当たる確率は、2-5sよりも高いよな」といった読みのレベルへと変わっていくでしょう。

常に確率を相手にする。

手順だとか牌の形なんてのは覚えて当然、そこから確率による比較を常にしていく。

 

そしてそれを貫けるか。さらには貫いたとしても結果が付いてくるかは運でしかない。

そこは結局は越えられない壁なんですが・・・。

同じことをしたとしても結果は人によって異なる。「俺とお前で何が違うってんだよ!!!」というのは人生の残酷な一面です。