麻雀は正解の無いゲーム

麻雀は選択肢のあるゲームだ。

毎回のように選択を迫られ、ルート分岐していく。今回はその視点でトピックを書いてみよう。

 

Aさん、Bさん、Cさん、Dさんの4人が麻雀を打っている。

それぞれ違う打牌をしており、同じ手配と自摸でも異なった選択を取ると仮定しよう。

 

Aさんは平和タンヤオ系に向かうタイプ。

Bさんは鳴いて早上がりするタイプ。

Cさんは打点派で手作りするタイプ。

Dさんは役満しか狙わない。

 

この4人の中で「間違っている」のは誰だろうか?

そう一人もいない。

 

Aさんがアガれるときもあれば、Dさんの選択と手順でなければアガれないこともある。

これも結局は「運」なのである。

 

私は常々「他人の打牌を否定するな」というのは倫理やマナーの問題だと思っていた。

しかし実際に麻雀は「正解がない」のだから、どの打牌が正解が不正解かという問題は存在しないのだ。

 

・現代は統計と確率

とはいえ、現代麻雀において統計と確率と理論は最も重要視される。そこを基準にすればDさんやあるいは、Cさんでさえも批判の的になることはあるだろう。

 

これまで正解がより不透明だった麻雀という遊戯において、ネット麻雀の普及により統計学がある一定の答えを出してしまった。

そしてそれを基にしたAIがさらに答えを出している。人間よりもはっきりした答えを示してくれるだろう。

 

これに関しては囲碁や将棋も同様である。

もはやAIのほうが人間よりも優れた結果を出せるようになっている。(まぁその基になるデータの積み上げや構成は人間がやっているわけだけど)

 

AIが優れたとしても麻雀は囲碁や将棋のように「人間がAIに勝てない」ということはないだろう。

何せプロが素人に負けるレベルの運ゲーなのだから。AIがどれだけ強くなろうと覆せるレベルではない。

そういう意味ではエンタメとして行なっている麻雀の競技化は、将棋や囲碁よりもマシと言えるかもしれない。

 

・それによって起こる勘違い

麻雀はしばしば「自分が強い」あるいは逆に「自分が弱い」と勘違いするゲームである。

答えは「どちらでもないただの運ゲー」に過ぎないのだが、結果が良ければ自分の選択が良かったのだと勘違いしやすい。

 

実際のところは「たまたま牌が入った」だけで、そのランダム性においては実力など及ぶところではない、神の領域なのだ。

サイコロの出目で狙った数字が出せるのなら人類はスゴロクの結果に一喜一憂したりはしない。それは分かりきった結果なのだから。しかし人類がそれを思い通りにできない以上はワクワクしたり絶望したりする。

 

麻雀はなまじ選択という余地があるばかりに「自分が正しかった」と勘違いしやすい。

「いやそれは間違ってないだろう」という方は、最初の仮定に戻ろう。

A,B,C,Dさんの中で「正解も不正解も無い」のだ。麻雀の根幹は「たまたま」でしかないのだということを忘れてはならない。

 

受けが広くて手が入りやすいタンヤオ平和系に手を組むAさんは統計と確率の上では正解を引きやすい。

しかしそれはたまたまであって、Dさんのほうが正解になるかもしれないし、高目を狙ったCさんが間違えて、安上がりの鳴きをしたBさんが正解するかもしれない。

それは誰にもわからないし、どうにもできないことなのだ。

 

・長期的だとしても

さらに麻雀の悪いところとして、局や半荘の結果のみならず、長期的に見たとしても統計と確率が及ばない結果になることさえある。

現代麻雀の理論値通りに打ったとしても結果が出ないこともあるのだ。実際にAIも勝てない時期は勝てないが、AIもそれをコントロールする術は持っていない。

 

こうなるとさらに「正解なんて無いんじゃないか?」と疑心暗鬼になる。

やはりエンタメ効率で自分の好きなように打っていればいいのではないか?

周りも自分もワイワイ楽しく打てていればそれでいいのでは?

勝てる方法なんて結局は存在しない運任せのゲームなんだろう?

 

結果は運任せのくせに過程は組まないといけないのが麻雀のクソなところ。

 

・自分に勝った相手は果たして強者か?

段位戦で負け続け、まったく勝てない時期が続いたとしよう。

そんなときに相手のことが気になりデータを見る。相手はこんな数字だった。

 

和了率 18%

放銃率 19%

一位率 15%

四位立 45%

 

どう見ても長期的には負けが込んでおり、安定した段位の持ち主ではないことが判る。

2,3戦やってもトップの相手はこういった戦績の相手ばかり。自分はなす術なく負けていく。

 

こういったときにどのように考えるか?

自分は段位で安定して打てているが、相手は今はたまたま勝っただけで、次からは負けが込んでやがてこの段位から落ちていくだろう…と考える。

 

それはまぁ間違いではない。そのときの勢いだけの相手に負けたのは運が悪かったとしか言いようがない。

途中の選択も間違いはなかったと思えば尚更だ。

 

ここにひとつ麻雀のゲーム性の限界を見ることができる。

すべてが壮大なくじ引きに過ぎないのだ。

局内のひとつひとつの選択など幻想に過ぎず、結果の連続で見ても運任せ。「たまたま」悪いことが続いただけで収支はマイナスしていく。

 

オリる牌も「たまたま」当たらず、追っかけリーチしても「たまたま」当たり牌を掴まず、不利な待ちをしても「たまたま」一発でツモって、普段なら負け越している段位で「たまたま」一勝する。

そしてそんな相手を「たまたま」何連続も相手にして負ける。

 

10戦やって8回は勝てそうな相手に2連続で負けることさえ無くはない。

所詮その程度のゲーム性なのだ。

 

たまたま、Dさんが何回も役満を上がって「自分の打牌は正しいのだ!」と言っても誰もそれを間違いだとは指摘できない。