合ってるんだけどアガれない話

私は麻雀で読みを重用するほうで、リーチのときに枚数よりも場況で選ぶこともある。

ついさっきも579sの形(ドラ5s)から、あまりにも8sの場況が良すぎて(逆に6sはだいぶ悪かった)、ドラ5sを切ってのカン8sリーチにしたのだが。2巡後にツモってきたのはカン6s。素直にドラを使っていれば満貫のアガりだった。

 

まぁ点数状況的にどうしても満貫が必要な場面でもなく、無理に高めを狙うよりはアガり率の高そうな牌を選んだのだが、結果は裏目ってしまった。その後、対面に7700放銃となりラス争いまでする羽目になってしまった。(その後ラス回避はできたので心穏やか)

 

さて、その牌譜を見返しても読み通り、場に9sが早かったので6sはそれぞれ持たれており残り1枚。対して8sはリーチ時点で3山だった。ドラそばで出にくい6sよりは8sのほうが…とは思ったが、さすがに宣言牌が5sではロンもできず(そもそも山にある8sをツモる算段だったが自分のところには来なかった)。

 

うまぶりかはともかく「合っていてもアガれない」というのが麻雀あるある。

私は山読みや手牌読みを多用するので七対子が苦手ではない。面白いように重なってくれるので楽しくなるくらいだ。その反面で「いや、なんでこんなに残り一枚しかない牌ばかり来るんだ・・・」となることもある。

麻雀が結局のところ運次第というのがよくわかる。

 

七対子でないにしても、ブロック構成を読んで「7sは危なそうだから先切りしておこう」「69mはだいぶツモれそうだぞ」など、手牌進行の役に立たせることもある。

私はこれを「合っていたから実力」と思うほどではない。結局のところ「合っていたか/合っていなかったか」は運でしかないのだ。「たまたま狙い通りに収まっただけで、それは運が良かっただけ」と考える。

 

運が悪いと裏目を引くことはもちろん、もうひとつ、「合っているのに自分のところに来ない」というのが最悪である。「69mが良さそうだ」と78mのターツを残しているのに、周りがバシバシと69mを切ってしまい自分のところには一枚も入ってこない。読みはともかく「俺のところに一枚来い!」と、歯がゆい思いをするのは誰しも経験があることだろう。

 

・麻雀のランダム性はどのくらいなのか

統計などを取っても「アガり率がどのくらいか?」というのは毎ターン変化する。

和了率の平均は20%弱に落ち着くことが多いと考えると、5~6回に一回はアガれるわけだ。ただNAGAを参考にしても「この形は瞬間n%アガれます」という数値は出ない。(局単位で和了できそうというパーセンテージは表示されるが、リーチの形などで判断されているわけではなさそう)

冒頭のカン8sがいかに見た目が良くても、誰かが偶然8sを暗刻にしている可能性もある。逆に6sが持たれているかと思ったら誰も持っていなかった、ということもありえる。

 

この麻雀の偶然性を考えると「読みよりも可能性にかけたほうが良いのではないか?」となるし、実際にそれが正しい場面もある。

だがそれを固定化できないのが麻雀の怖いところでもある。

たまに枚数で選んでも外すし、読みで選んでも当たることがあるし、打点で狭いほうを選んで正解なこともある。その偶然の違いを取捨選択して正解を引き続けるという都合のいいことはできない。

 

となると結局のところ運次第・・・とはなる。

だが、麻雀を理解すればするほど「これはもうこの形しかないだろ」という読みもあるわけだ。宣言牌に赤5が出てきたあとの14、69など切れたものではない。入り目だったとしても、それもわからないので切らないほうが安全に進行できる。

これを進んで切りたがる人は少ないだろう。

 

このときに「読みも結局はアテにならないから」とは言い切れないのである。状況判断として危険度が高いと見れるわけだから無視できない。結果、合っていようといまいと「切れないものは切れない」となる。(もし勝負するなら自分がオーラスでラス目とかね…)

同じように山読みや手牌読みをアテにして待ちを選んだりターツ選択をする。いかに運とはいえ、これを完全に無くしてしまうのもやはり麻雀として成り立たない。

 

そこで「合ってるんだけど来ないなぁ・・・」となることもあるし、「そっちが来るんかーい!」と裏目るときもあって、「結局、運ゲーだなぁ・・・」感じるのだった。