先日ツイートで紹介した『ぱちん娘。』。すべて読んだことはなかったのですが、もともと作者さんのファンだったので楽しく読んでしまって・・・。
「ギャンブルってやっぱりこうなるんだなー」という感想に。
私はやらないので知らなかったのですが、パチンコはスロットよりも更に技術介入する要素が無いらしく、「ただ玉を見ているだけでいいじゃないですか…」と無になっているキャラが。
「普通のゲームってレベル上げたり、練習したりするの疲れません?」「パチンコは何もしなくても夢中になれますし…」。そして当たりハズレで感情のジェットコースターはできる、と・・・。
ある時期からの麻雀も一緒じゃん・・・。技術介入ほぼ関係なく、当たりハズレで一喜一憂するだけのゲーム・・・。
いつも言ってますが私はギャンブルは面白いとは思っていないんですよ。「勝つために努力する」というのも、このキャラが言っていることと真逆ですし。
そもそも「眺めているだけ」というのが自分にとっては面白くないので。介入要素が一定以上ないと駄目なんですね。
だからパチンコ、スロット、競馬、競輪、競艇…このあたりの他力本願なものは「何が面白いの?」という感覚しかないのですが。(データとって予測するのが面白いとか、そもそもデータ取るのが面白いという人はいたな)
ぱちん娘。の中でも「でもオカルトでも何かやったほうが楽しめますね」「技術介入が無いから何か挟んだほうが楽しい気持ちになれる」とか、麻雀と一緒やん。
オカルトで面白おかしく語ったり、全部たまたまでしかない引っ掛けや迷彩を「俺が出させた」なんて勘違いしたりする。
結局はギャンブルって類を問わず、こうなるものなんだな…と。
競馬などは公営のギャンブルなので言葉を濁さずに現金を賭けると言ってしまいますが、大金が取れることの興奮はある。
でもそれって別にギャンブルでなくてもお金を得られる興奮という意味では、仕事で一発当てても同じことだし、突然資産が舞い込んできても一緒です。
ギャンブルである必要はないし、それを求めてギャンブルをやることもない。(お金を求めてギャンブルをすることはあるかもしれない)
「クジ引きの結果でしかない」というのも作品内で何度も出てくる。
まぁ、純粋なランダムゲーになったらそりゃそうだよね、としかならないのだが。
やはりそもそもギャンブルにハマる人が求めるものは何か違うとしか言いようがない。「勝負」とか「競技性」とか、そういうところではないんだな、と。
むしろ他者が介入してくる必要もなく、労力を必要とするわけでもない。
しかし麻雀も一定域をすぎれば同じことでしかない。
中級者以上はまず運ゲー。上級者になっても「判っていても何もできない」が増えるだけ。結局は運ゲーがベースで、その土台から逃れることはできない。
運次第では勝負にもならないし、競技性もない一方的な展開を眺めているだけになる。
そして、そうとは解っていてもやめられない。
悪い展開もありつつ、良い展開のときは楽しいので、それを求めて続けてしまう。
上がることも下がることも無くなって、同じところをループするだけの領域に突入し、そこに留まり続ける。
でも俺はギャンブルは好きじゃないし、ギャンブル中毒でもないから。
麻雀なんていつでも止められるし、他に楽しいこといっぱいあるし。
俺は違うから。