麻雀が無になっている話

ギャンブラーが真に求めている刺激とは勝利よりも敗北である…、とする言説。

安定して勝っているときよりも、連敗しているときのほうが勝ちたいがために熱くなってのめり込むという図式。

 

他にもギャンブルのべつの魅力のひとつに「支払うコストが最小限で、最大限の報酬を得ることができる」というものが挙げられます。

レバーを一回ひねっただけで5万円が手に入るとしたら、これで脳汁ドバドバな人種はかなりいそうです。ソシャゲのガチャなんかもこれに近いと思います。

 

通常のゲームもこの構造を取り入れている部分はあります。

最初はチクチク弱い武器で時間をかけて一体ずつ敵を倒していたのが、装備や呪文がグレードアップすることで、一度にドバァーーッと大量の敵を倒せるようになる。

低コストで、大量の報酬を得られるようになる快感です。

 

系統はそれぞれあっても、その中で「無」になるという価値観もあると知った最近。

 

 

「夢中になっているんじゃなくて、無になっているんですよ・・・」というセリフが印象的な一コマ。

いわゆる暇潰しや時間潰しとしてギャンブルが機能する場合、もはや勝ち負けですら関係なくなってしまう。

ウシジマくんで有名な「お刺身食べたいなぁ…」のやりとりもそう。

暇で仕方のない老人がパチンコ以外にやることがなく、闇金で借金をし、食べたいものが食べられない経済状況になってまでギャンブルに打ち込む。

これもギャンブルに接する形態のひとつなのだな、と。

 

自分なんかはハッキリ言って勝たないとまったく面白くないです。基本どのゲームでも「勝つために」やっています。人間相手の対人戦でも、NPC相手のボス戦でも、勝利のために準備をして報酬を得ることを目的としています。

その結果として膨大な時間と労力が費やされることになりますが、それらは勝利という報酬のための対価となります。

だから対価に応じた勝利という報酬が得られないと「いやだーー!!」とむくれたり、ガッカリすることになる。感情の起伏が生じる。

 

しかし「無」だとする人たちは、おそらくそれすら関係ないのでしょう。

ただ時間を打ち込んだ結果として、勝ち負けがある。

「あ~、勝ったんだ。へ~」とか「負けたのか、別にいいけど・・・」くらいのテンションなのかもしれません。

彼らにとって得るべき報酬とは「時間の消費」です。

経過があれば結果などどうでもいい、ということになるでしょう。(まぁ人によって程度はあるし、負けるよりは勝ったほうが良いというのも当然あるかもしれない)

 

自分も麻雀アプリに接するにあたり「何となく丁度いい暇つぶしが無いから」という理由で一局打ってしまうことは多いです。

仕事の返信待ちで20~30分時間が空くとか、休憩中にちょっと遊びたいとか。

まぁ自分の場合はそれでも負けるのは嫌いなんですけどね。

 

麻雀コミュニティを見ていると「勉強しない人」というのは珍しくないです。自分なんかは勝利が活動理由になっているので、負けるのが嫌で勉強します。

しかし「無の人たち」からすれば、そんなことをする必要が無いといえるでしょう。

勝負事に関わっている人間がどうして勝利のために努力しないのか? 私は不思議に思うことがありました。しかし、この無属性の人たちの動機を考えれば納得です。

 

ただぼんやりと時間を浪費していればいい、その結果に得るものがなくても別にいい。

「負けて熱くなる」というのは、ある意味で「勝ちたい人」の特徴であるかもしれません。

(負けて失うことに快感を覚えるのは、また別の人種ですが・・・)

 

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